第21話 2024/5/24 14:30
クリスが時間ギリギリまで粘った結果、ちいかわのマスコットぬいキーホルダーが三つ手に入った。ちいかわ、ちいかわ、うさぎ。
案内されたダーツブースのテーブルで、僕らは戦利品を山分けすることにした。
「僕ハチワレが欲しかったなぁ」
「仕方ないだろー、前から順番だったんだからー」
「いいじゃん。プルャも可愛いぞ。はい」
「えっ僕がうさぎ?」
「リノはうさぎだろー」
「なんで?」
「リノにちいかわはあざと過ぎる」
「リノにちいちゃんの命は預けられない」
「どゆこと??」
「うさぎ無双するし、リノっぽいからいーじゃんねー」
「モモンガがいればモモンガ一択だった」
「インカー???」
真顔で割とひどいことを言ってくるインカーのちいかわに、僕のうさぎがドロップキックを浴びせる。
「ヤハー!」
「ワッ……ワァッ!」
「泣いちゃった!」
「クリスもインカーも泣かせてやるからな」
「キャーッ、リノ様! 抱いて!」
「いやクリスの野太い黄色い声キモすぎ、吐いた」
「えっ、リノが抱く側なのか?」
「違うからね!?」
「俺は正直どっちでも良いと思っている」
「僕が無理。っつか彼女の前でやる会話じゃない」
「あっ、お気になさらず……」
「え、ガチ引きされてる……ごめんインカー、冗談だよー! 俺の恋人はインカー! です!!」
「良いって、そんなん……」
「僕からもよろしく頼むよ、インカー。僕とこいつじゃ、僕が幸せになれない」
「……ハァ。そうかよ……」
インカーがややうんざりしたように前髪を掻きあげた。そして、僕に強い、射抜くような視線を投げつけてきた。
「良いか、悪いけど、今から厳しいこと言うぞ。
だったら、リノは、クリスに甘えるのを止めろ。
お前が自分から離れない限り、こいつはいつまでもお前の傍に居ようとする。
スッスはリノ中毒なんだよ、分かるだろ。
リノ、こいつにとってお前は、毒だ」
突然そんなこと言われて、息ができなかった。
クリスがおかしくなっているだなんて、
そんな、こと。
認めたくない。
僕の英雄を、バカにするのか、お前は。
「インカー、それは……」
「スッスは今ちょっと黙ってろ。私はリノのためを思って言ってるんだ。
リノにはリノなりの幸せがあるはずなんだ。でもそれはクリスじゃ叶えられない。リノ自身が、クリスに頼るのを拒否しているからだ。
だったら、都合の良い時だけ甘えるのも、もう止めろ。お前は自分の幸せをちゃんと考えるべきだ。私は、お前にも、幸せになってもらいたいと思ってる」
正論。
愛。
独善。
なんだ、なんなんだ、この女は。
僕が、クリス抜きで、幸せになれるとでも思っているのか。
僕がどれほどクリスを渇望しているのか、分からないのか。
「……まるで、ご立派な親御さんみたいな言い草だな、テメェ」
僕の喉から、僕のものとは思えないほど低い声が出た。インカーは金色の目で僕を睨みつけてきた。
僕も睨み返す。
たった数時間僕と話しただけのお前に、何が分かる。
少し僕の本性を明かされたくらいで、僕の気持ちまで理解したと思い上がるな。
甘えるな、だと。
甘えてるんじゃない。
必死に、我慢してるんだ。
その我慢が、もう耐えられないところまで、来てしまってるんだよ。
僕がクリスを求めてしまうのは、僕からクリスを守るためだ。
征服される側だということを、僕の体に認識させるためだ。
大切なものを、傷付けたくないから。
大切なものを失った世界に、僕の幸せなんて、どこにもない。
そう。だから、お前が。
他の誰でもないお前が、クリスから離れろと言うのなら。
離れてやるとも。
どんなに後悔しても、手を伸ばしても、届かないところまで。
僕は目を閉じて、深呼吸をした。
理解なんか、されなくていい。
結論は出た。
解はひとつだ。初めから、ひとつしかなかった。
たったひとつの冴えたやり方、ね。
あいつ、絶妙な引用しやがるよな。
ふ、と頬が緩む。気持ちが落ち着いてきた。
「……そうだな。僕が変わらないと、お前らも進めないよな」
気取られるな。気を付けろ。嘘をつくな。本心のみを語り、騙れ。
「リノ……」
「今までごめんね、クリス。僕やっぱり、お前らに幸せになってほしい。だから、もう、お前には頼らない」
「リノ、俺は……」
「やめろ。インカーの言う通りだ。お前は僕がいない人生なんて考えられないんだろう。それって確かに、健全じゃない。中毒だなって言われても仕方ないと思う」
「俺は、それでも……」
「駄目だぞ、クリス。インカーみたいな良い女、中々いないぞ。僕は、ただの友達で十分だ。結婚式に出られるかは分かんないけど。
インカーを泣かせるなよ、僕はもうこいつと友達になったんだからな。お前がインカーを裏切ったら、僕がこいつを奪うから覚悟しとけ」
「ハァ!? リノ、お前何言ってんだよ!」
「なに? インカーは僕のこと嫌い? 別に今は嫌いでいいよ。必要となれば、好きにならせてみせるから」
「……嫌いとかじゃないけど、お前、すっげえな……」
「よく分かんないから褒め言葉だと受け取っておくよ」
勝った、と思う。きっと、いつもの僕のままで居られている、と思う。虚勢だけど、本心だから。
クリスは俯いて、そっぽを向いてしまった。僕が傷付いているのと同じくらい、こいつも傷付いているに違いなかった。
「それよりダーツしよう、せっかくだからさ!」
僕はテーブルの説明書を読みながら筐体に近づき、ルールを見様見真似で選んでみた。背後で、インカーとクリスが何事か話して、クリスがふらりと立ち去った。
「……どこ行ったの、あいつ」
「飲み物取ってくるって。……動かせそうか?」
「まあ多分。やってみようか」
初心者向け、とあった301というルール。三本ずつ交代で投げていって、当てたゾーンの点数分だけ点を減らし、ぴったりゼロを狙うものらしい。
「このピザの外側の数字が点数で、この外周のラインが二倍エリア、内側のこのラインが三倍になるらしいよ。だから二十点のピザのここに当てると六十点削れる。真ん中が五十、その周りが二十五。最初は真ん中か高得点のピザを狙ってごりごり削るのが良さそう」
「ピザなのか、それ」
「ダーツでの正式名称は知らないけど、扇形っつったらピザだろ」
「なるほど……?」
堂々とゴリ押したけど、これネトゲ用語だったかもしれない。インカーは非オタだから、気をつけないといけないか……。
「僕からやるね」
「リノも飲み物取ってきていいんだぞ」
「……クリスが泣いてるとこに鉢合わせするかもじゃん」
「泣いてるかなぁ?」
「僕が泣いてないから、泣いてるんじゃないかなぁ」
「そういう仕組みなのか」
「僕らはね」
僕がこれだけ冷静になれているのは、全部僕の思い通りになっているからだ。それってつまり、クリスにとっては振り回されてる状態ってこと。勿論いずれは決着をつけないといけなかったと分かっているだろうけれど、感情って理屈じゃないし。
隣のブースをチラ見して、フォームを真似る。とりあえず投げてみて、軌道修正するのが良さそうだ。
手を振り抜く。バン! と思ったより大きな音がして、ダーツが突き刺さった。
「……すげー音したぞ、今」
「力加減分かんなくて……」
力強くぶっ刺さったのは二十のピザの上側。あと少しで四十点だったんだけど、惜しい。
二投目は加減し過ぎて、盤面に当たらずに台の脚に当たった。そこにも判定があるのか、ダーツの矢が消費された表示になる。三投目は、七点ピザに当たって落ちた。意外とちょっとの力加減でブレるものだ。
「交代する前に抜いた方が良いよね、あれ」
「多分そうなんじゃないか?」
ダーツ台に近寄ると、思ったより背が高かった。上の方に刺さった矢に手を伸ばす。ぐっと力を入れて抜こうとしたが、びくともしない。
「えっ? 硬っ!」
誰だよこんな高いとこに思いっきりぶっ刺した奴! 僕だよ!
羽化するセミみたいにダーツ台に齧りつく。え、これ毎回やんの? ダーツってパワー競技だったのか?
「やっ、と……」
抜けた、と喜ぼうとして勢い余って後ろに倒れる。ドスッと背中に硬くて温かい感触があった。きゅ、と胸が切なく締まる。ああ、駄目だ、本当はずっとこうしていたい。卑しいな、僕……。
「……サンキュ、クリス」
「おー。高いとこのは抜いてやるから、任せろ」
「ムカつく……」
「なんでだよー!」
プレイヤーチェンジ。インカーの番だ。
「……泣いた? クリス」
「泣いてないよー。顔は洗ったけどー」
「泣いたんだな」
「泣いてねーっつの」
「泣いてよ」
「このドSお姫様め。別にリノともう会わないって話じゃないし、俺はいーの」
「もう会えないかもよ?」
「……なんで?」
「僕次第ってコト……」
インカーの一投目が刺さる。
「えっすご、三倍のとこじゃん!」
「へへ、八点の三倍だから大したことねーけどな」
「惜しかったねー、もうちょいズレてれば四十八点だ」
「左下のエリアが安定して点狙えるっぽいね、外れても七点ある」
「まあリノみたいに脚に当てなきゃなー!」
「見てたのかよ。もう補正した、僕次は中央に当てるから」
「そんな上手くいくかー?」
僕らの言い合いをよそに、インカーの二投目はスッと十九点に入り、三投目は四十八点に入った。
「……インカーめちゃめちゃ安定してんね?」
「まぐれだよ、こんなん……」
と言いつつ、顔はちょっと嬉しそうだ。矢をクリスが回収して、そのままクリスの番になった。
「結構楽しいねー! 俺ちょっとハマるかも」
「中々ブル安定しないなぁ、悔しい……」
「リノは放すのが早すぎる気がするな、押し出す感じが良いんじゃないか」
「ふうん……? こう?」
「おっ、惜しいとこ行ったねー!」
「ちゃんとフォーム研究したくなるね、これ」
「素人三人であれこれ言い合ってるだけだもんなァ……」
結論から言うと、僕らのダーツの腕はどっこいどっこいだった。純粋な総得点で言えばインカーがちょっとだけ強かったと思うけど、ゼロワンゲームは最後ゼロ点ぴったりにしないといけないから、そこで三人とも苦労した。
まだまだ色んな知らない遊びがある。こうして三人で遊ぶのだって、本当はもっと何度でもやりたい。
僕さえ、マトモだったら。
自分の欲求を他で代償できるような奴だったら。
泥のように毎日疲れてみるのはどうだろう。
血を見たいとか、そういう欲すら湧かないくらい。
……多分、それはすぐ破綻するだろう。
僕は体力が無いから、動けない時間だけを余らせることになる。そうなると待っているのはきっと、発狂だ。
なら、スプラッタな映画やゲームで発散するというのは?
……僕は、本物を知ってしまった。
首を絞めて気絶させる快感。暴力を振るい悲鳴をあげさせる高揚。きっと、再び誰かを手に掛ける。
クリスが駄目なら、家族、高校の友達……インカー。
善人の道を踏み外させて、僕の砂地獄に落とす。
そして、一番欲しいものが手に入らないから、それでも満足はできないのだろう。
ああ、ほら、今だって。
頭の片隅で、インカーを泣かせる妄想をしている自分がいる。
限界が近い証拠だ。誰と接していても、その相手に暴力を振るう自分が脳裏によぎる。
クリスがずっと傍にいた頃より、ペースが加速してる。そろそろ、また被害者が出るだろう。
こんな最低の僕に、救いなんかない。
生きようなんて足掻くんじゃない。
人の姿を取っただけの化け物め。
浅ましい、醜い、見苦しいぞ。
そう心で罵りながら僕は華のように笑う。
なあ、お前らの記憶の中ではさぁ。
綺麗な僕を、遺してくれよ。
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