第20話 2024/5/24 13:25
全く、今日は出費の多い日だ。タクシーが電子マネーに対応していて助かった。ま、金のかかる息子は今日でおしまいなわけだから、気にしなくったって良いだろう。あいつは最後まで楽しんだんだな、と気付いてくれれば幸いだ。
ダーツの待ち組が少ないと思ったらそもそも三台しか無かったらしく、一時間ほどゲーセンコーナーで時間を潰すことになった。僕の制服はかなり浮いたので、クリスの鞄にブレザーを入れてもらった。うちの高校はここから一番近いけど、制服でサボりに来てる奴はさすがに僕以外一人もいなかった。
クリスがいつもの音ゲーに吸い寄せられる。あれ、ボーナスステージまで進むと四曲プレイすることになるから長いんだよな。僕はいつもならローカル対戦で応じるところだけど、今日はインカーを独りにさせてしまうからナシだ。
「すげー混み具合だと思ったら他校の奴らもいるな、公立はどこも今日がテスト明けなのかね」
「ああ、その可能性はあるかもね。部活行けよな……」
「リノは何か部活やってんの?」
「僕? 茶道部だよ」
「茶道部」
「うん、裏千家」
「……へー、楽しい?」
「女子しかいない」
「そりゃ良かったねぇ……良かったのか?」
「勿論だよ。何が楽しくて野郎とつるまなきゃいけないのさ。せっかく男子校の地獄から抜け出せたのに」
「地獄だったのか」
「いわゆる、姫ポジってヤツ……まあそれは実は今も変わってないんだけど。でも大っぴらに動く奴はいないからだいぶマシ」
「大っぴらに?」
「下着触りに来たりとか、トイレ盗撮されたりとか」
「犯罪じゃねーか!」
「同性同士だからジョーク扱いしてもらえると思ってる猿が多くて無理だった。……ヤバい奴からはクリスが守ってくれてたし、僕だってそいつらを利用して……それなりに好き放題してたんだけど、そのうち教師まで調子に乗りだしたから、退学したんだ」
八月の夕焼けが、フラッシュバックする。
階段下の小部屋。中三当時の担任に、存在すら知らなかった「指導室」に連れてこられた僕は、いじめの首謀者の嫌疑を掛けられて。
三時間、サシでみっちりと「指導」された。
何の心当たりもないのに、次々と罪状が出てきて、その度に僕は泣いて謝らされて。僕が悪いんだって、僕のせいで皆がおかしくなってるんだって、僕が態度を改めれば、僕が素直に先生の言いなりになれば、全部上手くいくんだって……。早くこの部屋から出たい一心で、僕は最後にはひたすら許しを乞うた。この大人が満足するまで僕は解放してもらえないと、理解してしまったから。
夏の長い日が暮れて、ようやく釈放された僕は、教室まで放心して戻って、そこから動けなくなった。自分の身に起きたことを受け入れられなかった。
涙の跡を、触る。
体の傷を、触る。
これは僕なのか。
僕の罪、なのか。
そこに、クリスが駆け込んできた。
部活上がりで帰ろうとしたら靴箱に僕の靴がまだあったから、慌てて探しに来てくれたのだと。
そして僕の様子を見て、僕の体を見て、ごめん、と抱き締めてきた。
守ってやれなくて、ごめんな。
そうクリスに言われて僕は初めて、ああ、自分は被害者だったのだと、洗脳が解けたような心地になった。
「指導」という名の、どう考えても行き過ぎた行為。教師にあるまじき私欲私怨の重なった凌辱。
これにあと三年耐えるのは、不可能だ。
あと三年、
「……クリス、ごめん。僕はここから、この学校から逃げる。もう、無理だ」
「……分かった。俺も付き合う。お前は好きなように生きろ」
「バカ……お前の人生はお前のもんだろ……」
「結婚して一生守るって約束したから」
「さっさと捨てろ、そんな夢……」
その頃には、僕は自覚していた。
人を自分の好きなように操り、地に堕とし、辱め、傷つけ、泣かせ、いたぶり、血を流させ、苦しめ、殺す。
僕は、それが好きだ。
される側に立たされたら、復讐することばかり考える。
むしろそれをしたいがために、人を誘惑してしまう。
手を出す理由を得るために、相手に手を出させる。
この平和な社会では、許されない凶悪な異分子。
「加害者」という被害者を増やす魔性の存在。
クリスだけは。
こいつだけは、信じられる。
こいつは光の英雄だ。
僕がどれほど煽情しても、こいつだけは耐えてくれる。
僕の傍に居て、僕の悪に染まらない、唯一の。
ねえ、クリス。
僕なんか捨てて、幸せになれよ。
「……リノ、大丈夫か? なんか悪いこと聞いたっぽいな」
低めの落ち着いた女の声に、今に引き戻される。
「……大丈夫。……ちょっともたれてて、いい?」
「リノくらいなら平気だ」
「ありがと……」
肩を借りる。異性との接触。それなのに、インカーは悔しいくらい動揺しない。フィーネちゃんだって照れるくらいはしてくれるのに。とはいえ、印象が悪いというわけでもなさそうだ。
受容。おおらかで、気にしない。優しいというより無私。
誰でも押せば落ちる奴なのだろうか。
それとも、僕が許してもらえているだけなのだろうか。
「……ねぇ、インカー。クリスのどこが好き?」
音ゲーにガチになっているクリスを後ろから眺めながら、こっそり聞いてみる。インカーの肩がすうっと上がった。深呼吸したみたい。
「……えと。太陽みたいなところ、かな」
「……ああー」
「話してるだけで、なんとなく温かい気持ちになる。賢いはずなんだけど、全然鼻に掛かってなくて。優しいし、面白いし、カッコいいし、人気者だし……でもちゃんとこっちを見ていてくれて、気を利かせてくれてるのが分かる」
「めっちゃ分かるなぁ」
「……あいつが、お前にあんなに弱いなんて、知らなかった。知ってたら、私は……付き合ったりなんか、しなかったのに……」
おっと、声が震えてる。泣かせてしまっただろうか。
でもこれで、はっきりした。こいつが恋愛対象として見ているのはクリスだけだ。
良かったな、クリス。なんか知らないけど、よっぽど愛されてるよ、お前。
「あのね、インカー。クリスが好きなのは、僕じゃないんだ。あいつは僕の虚像を見てる。儚げで、可愛くて、助けてあげないといけない、女の子みたいな僕。そんなのは全部つくりもの、僕が小さい頃からずっと偽ってきた嘘っぱちなんだよ。だから僕は、あいつの期待には応えられないんだ」
「……なんでそんな嘘を? リノだって、クリスのこと、好きだろ」
まさか、とか嘘だろ、なんて言わないこいつは、やっぱり人を見抜く力があるみたいだ。
「……最初は、クリスと一緒にいたかったから。だからあいつの正義感につけこんで、弱い僕を守ってもらってた。あいつが性に興味持ち始めてからは、あいつが離れないように、女子より可愛い僕で居ようと思った。でも、……」
言うのか、僕。
ずっと、誰にも言わず秘密にしてきたことだ。
でも、今日からこいつにクリスを任せるなら。
真実を知っている必要が、あるかもしれない。
「……僕は、醜かった。インカー、僕は本当はね……人が血を流したり、苦しんだり、泣いたりするのを見て、喜ぶような奴なんだ」
スッと身じろぎされて、僕は支えを失った。もたれる必要なんて、最初からなかった。
インカーが僕に向き直る。
ああ、その驚いた顔。きっと次の瞬間には、軽蔑した表情になるのだろう。
僕は先んじて、諦めの笑顔を作った。
さあ、笑えよ、お前も。
「っしゃあ!! SSいった!」
クリスが雄叫びを上げて、僕らを振り返った。僕はインカーの視線から逃げた。
「えっ凄いじゃんクリス、いつの間にそんな上手くなったの」
「ふふん、免許合宿暇すぎてこっちの方にガチってた」
「えー、僕もアメリカでやっとけばよかった!」
「今対戦やったら俺の圧勝だろうなー!」
「は? それはSSS取ってから言えよ。僕だってまぐれSSくらいはあり得るっつーの」
「まぐれじゃねーし!? なんならもっかい……」
「スッス、順番待ちはどうなってる?」
「あ、そっか。……と、あと一組だ。もう時間かかるやつでは遊べないなー」
「そんならクレーンゲーム見にいこう。ちいかわの看板があった」
「おっけー!」
「インカーちいかわ好きなんだ?」
「な、何だよ、悪いかよ……」
「ううん、可愛いなーって」
「当たり前だろ!? インカーは最高に可愛い学園のマドンナだぞ」
「マドンナ言うな!」
クリスが笑って先行する。その背中に文句を叩きつけた後、インカーが僕を振り返った。
あ、さっきの続き、何か言われるかな。
僕の顔が硬くなる。
「ほら、行くぞ、リノ」
インカーはそう言って、ぽんと軽く僕の頭を撫でてきた。
許す、のか。
僕の存在を。
それとも事の深刻さが分かっていないのか。
「……うん」
僕は素直に喜べなくて、むすっとした顔で二人の後を追った。
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