第22話 2024/5/24 17:58

「インカー、そろそろ六時だよー。門限一時間前だ」

「お、そうか、ありがとう」

「門限なんかあんの? 大変だな」


 ああ、そろそろ、おしまいか。


「それじゃ、私先に帰るわ」

「いやいや待って? 一人で帰すわけないじゃん」

「そうだよー、いつもみたいに家まで送るよー!」

「だってお前ら二人はまだ遊べるだろ? ここ八時までフリータイムだし」

「クリスがそう言ってここに残ったら蹴り出すよ。つか僕に代われ」

「代わりませーん!」

「そうか? それなら一緒に帰ろうか、三人で。その後お前ら二人で飯も行けるし」

「僕に家バレしてもいいの?」

「私に興味無いだろ、お前」


 からからと屈託なく笑われる。確かに、恋愛対象としては一ミリも興味無い。さっきから加虐妄想の対象にしていることは内緒で、良いなら付き合うよ、とだけ返事をした。


「あれ? シャトルバス乗らねえの?」

「四十分まで来ないよー。帰りはいつも駅まで歩き」

「マジかよ……」


 げんなりしつつ、ここから歩きなら、駅前の歩道橋がちょうどいいな、と計算する。

 何にちょうどいいかって?

 死ぬのにちょうどいい場所ってことだ。


 ナイフで首を切る。そんで、階段の上から転がり落ちる。頭を打てれば死ぬまでずっと痛い思いをしなくても済むし、ナイフがしっかり刺さる確率も上がる。自分の腕力だけでは多分死ねないから、重力を利用する。

 飛び降りや入水をしないのは、僕の血に対する憧れかもしれない。頸動脈を掻っ切ったら、どれくらい血飛沫が上がるのか興味がある。多分、最期に見られる、楽しみなもののひとつだ。一番楽しみなのは、クリスの絶望する顔。

 帰り道の僕は、うっかりスキップでもしそうなくらい浮かれていた。



 他愛もない話をしながら、目的の歩道橋に登る。


「あ、そーだ。クリスとインカーは、そこで止まって」

「なにー?」

「写真撮らせて」

「良いぞ」

「分かったー」


 二人から、距離を取れた。

 スマホで一枚、写真を撮る。

 何の意味もない、幸せな写真。


「あ、待って、まだ終わってないから動かないで」

「何だ?」


 僕は、リュックからナイフを取り出した。リュックを投げ捨て、パチン、と刃を出すと、クリスとインカーの顔が強張った。


「リノ……それ」

「うん、父様の。少しこのまま話をしよう」

「何する気……」

「動かないで。いつでもお前らに怪我させることができるんだよ、こっちは」


 僕がそう言って刃をインカーに向けると、クリスが彼女を庇うように少しだけ手を広げた。

 ホント、カッコいいね、お前は。


「これで、お前らとはお別れだ。悪いけど、友達なんてぬるま湯に浸かっていたら、僕は気が狂うと思う。そんな綺麗事には付き合えない。だからここで終わらせる」

「……させるかよ」

「クリスは何の武器もなく、凶器からインカーを守れる気でいるの? ホント能天気だよね、お前。こっちに来るな、後の先は基本だろ。図体のデカいお前が先に動くと、僕の方が早いぞ」


 クリスは完全に、僕がインカーを手に掛ける気でいると思い込んでくれたようだ。それで良い。僕より彼女を選んだ、その事実があればいい。


「クリス、確認させて。何があってもインカーを守るって、誓う?」

「……当たり前だろ」

「僕が相手でも?」

「二言はねえよ」

「そうか」


 良かった。お前が僕に狂う前で、良かった。

 僕の光の英雄。

 どうか、そのまま真っすぐに、生きて。

 僕のうつくしい思い出と共に。


「……愛してるよ、クリス」


「! スッス、あいつ、死ぬ気だ!」


 インカーが叫ぶ。

 やっぱ気付いたか、お前は。

 でももう遅い。

 僕は笑顔のまま、自分の左首にナイフを突き立て、力任せに右に引いた。

 両手が僕の血に染まる。

 火傷のような熱を感じる。

 クリスが僕に突進してくる。

 捕まらないように階段に走る。


 僕の足が離れるのと、クリスが跳んで抱き着くのがほぼ同時だった。


(バカ、それじゃ、一緒に落ちる!)


 声なんか出るはずもなく。

 クリスを下敷きにしたせいで、鈍い衝撃が何度も体に伝わる。

 ああ、なんで、お前は。


「スッス! リノ!」


 インカーが駆け寄ってくる。問答無用で首を掴まれる。止血、するつもりか。

 なんでだよ、お前も。クリスの方の心配をしろよ。なんでクリス、動かないんだよ……。


「事故です、歩道橋から二人、人が落ちて、一人はナイフで首を切って死のうとして……野駅の南の歩道橋です、えっと、不動産屋の前、二人とも意識は無いかも……動かなくて……」


 インカーが救急に電話をしてる、みたい。

 クリス、意識、ないのか。


 え。

 嫌だ。

 クリス。

 駄目だよ。

 死なないで。

 ごめんなさい。

 僕のせいなんだ。

 ごめんなさい、僕、

 巻き込むつもりじゃ。

 お願い、します、神様。

 クリスを助けてください。

 僕の命全部使っていいから、

 こいつは、連れて行かないで。

 クリスは生きなきゃ駄目なんだ。

 僕を記憶していてくれる人なんだ。

 僕の夢、希望、全部背負ってるんだ。

 僕よりインカーを守るって言ったのに。


(馬鹿……、馬鹿野郎ーーーッ!!!)




 それから僕も、遅れて意識を手放した。

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