リノが十七歳になった日(全5話)

第18話 2024/5/24 12:06

 待ち合わせ場所には、わざと遅れて行ってやった。

 主役は遅れて来るものだし、一番歓迎されていないのも僕だろうから。

 果たして、そこには幼馴染のクリスの見慣れた長身と、僕と同じくらいの身長の、小麦色の肌に燃えるような赤い髪をポニーテールでまとめた女の子の姿があった。なかなか見ない、すごい髪色だが、着飾る様子でもないし多分天然モノなんだろう。

 あの子がインカーちゃん、ね。

 イラン人のハーフだって聞いてたから石油王みたいな濃い顔の子をちょっと想像していたけど、思ったより可愛い子だ。上はブレザーの制服で下はスラックス。クリスが学ランだから他校の生徒かと一瞬思った。あと、胸がデカい。

 物陰から確認して、念の為リュックの中をチェックする。よし、取り出しやすい所に刺さってる、これならきっと、大丈夫。

 今日の目的は、インカーちゃんが本気でクリスを好きかの確認。

 それから、ちゃんと二人の目の前で、僕の人生を終わらせること。

 ふう、とひとつ深呼吸をして、僕は二人の元へ駆け出した。


「おーい、ごめんねー! お待たせしました!」

「どうしたリノ、なんかトラブルか?」

「んいや、ちょっとずらかるのに手間取っただけ。こっちは昼までじゃなかったから」

「そっちの学校が普通に終わってからでも良かったんだぞー?」

「そしたら全然遊べないじゃん、嫌だよ!」

「リノ、それより自己紹介しろよ」

「ああごめん。初めまして、雷野リノだよ。クリスと同じ高二で今日が誕生日。よろしくね。クリスの叔父で、同じ苗字だから、リノって呼んでね」

「リノ、今日はよろしくな。私はインカーって呼んでくれ。犬飼インカー。パキスタン系イラン人と日本人のハーフだからこういう名前なんだ」

「ふぅん、よろしくね、インカー」

「あっズルいぞリノ、俺だって呼び捨てにし始めたの最近なのに」

「いや私は呼び捨てで良いんだけど……」

「ほら、インカーも良いって言ってるよ。彼女の意見尊重しないタイプ?」

「ああ、私まだクリスの彼女じゃないからな」

「……は?」

「えーっと、その……」

「リノに一度会わせてもらうのがスッスと付き合う条件だったから。私はただのスッスの友人として来てる、ここに」

「……クリス? 話が違うんだけど」

「あのう……」


 クリスが目を泳がせて、何か言うのを躊躇うように口をパクパクさせる。僕は不機嫌を隠さず睨みつけた。その視線にようやく決心がついたのか、クリスはふーっと深く息を吸い込み、


「……俺とお前が体の関係あるってバレて白紙に戻されました!」

「おまっ……!」


 自分の顔が真っ赤になるのが分かる。駅の往来でデケェ声でなんてことを発言してくれやがるんだお前は!

 クリスの襟を掴んで頭を近づけさせ、小声で耳打ちする。


「全部ゲロったのか」

「全部言いました」

「ゴールデンウィークのも?」

「はい」

「黙ってりゃ良いのに、バカじゃねえの」

「……ゴムの箱の蓋が開いててバレた」


 ああ、あの嫌がらせがそんなに覿面てきめんに効いたのか……。それってつまり僕のせいなんだけど、


「片付けろ、バカ」


 僕はクリスの頭を一発シバいてから解放した。クリスは不服そうな顔で僕を一瞬見て、気を取り直したように肩を竦めてみせた。


「つーわけで、とりあえず飯いこー。リノの行きたいとこ」

「なんで僕の? 女子がいるんだからそっち優先だろ」

「えっ、今日はリノの誕生日なんだから私はいいよ、嫌いなもん無いし」

「そうなの? ありがと、優しいね、インカー。じゃあ前から気になってた店なんだけど……」


 スマホで検索しながら、自分がちゃんと笑顔かを確認する。

 まずは全力で、インカーを落としにかかるつもり。これで揺らぐようなら計画は全部無し。クリスの相手に相応しくない。



 平日の昼間、僕が選んだ店は有閑マダムと昼休憩の会社員達でほぼ満席だった。学生は価格帯的にまず来ないのだろう。何でもない昼飯に千円以上出せるのは僕みたいな医者の息子かクリスみたいな社長令息くらいなものだ。

 とはいえランチプレートと一品選べてドリンクバー付きで千円台は安いと思う。デザートを追加で頼んでも二千円。インカーが値段を見てちょっと遠慮してそうだったので、どのデザートが一番気になるか話を振っておいて、注文時に勝手にデザートセットにしてやった。


「リ、リノ!?」

「気にしないで、インカーの昼飯代は僕が出す。僕の誕生日だから綺麗な女の子に奢ったんだって気持ちよくさせてよ」

「マジか、ありがとう……でもなんか、リノに綺麗とか言われるの微妙な感じだな……」

「どうして? どう見ても素から美人なカッコかわいい系女子なのに。もっと堂々と称賛を受け取っても良いと思う」

「俺もそれは完全同意」

「お前らさぁ……」


 インカーが顔を真っ赤にして黙ってしまう。

 んー、チョローい。大丈夫かコイツ?


「それとも、少食過ぎて食べられない? 大丈夫だよ、余らせてしまいそうならクリスっていう万年欠食野郎がいるから」

「任せろ。幾らでも入る」

「ああうん、それは知ってる」

「ってお前、インカーに迷惑掛けてんじゃねーだろうな?」

「大丈夫ですー! デートの前にラーメンとか餃子とか臭いのキツい底入れはしてませんー! 今日早弁で食ってきたのはスイートブールですー」


 えっという顔をしてクリスを見るインカー。どうやら初耳だったらしい。スイートブールと言えば、貧弱な僕の胃袋だとそれだけで音を上げてしまいそうなデカくて甘い製菓パンだ。そんだけ食って運動部に入るわけでもなく謎マッチョ体型を維持しているのだから、クリスはズルい男だと思う。僕だって食べた分だけ筋肉が付くなら頑張って食べるんだけどな。


「スッスのエンゲル係数ヤバそうだな」

「テスト最終日ともなるとそんくらいのご褒美がないとやってられないんだよー!」

「まあ気持ちは分かる……私もデザートセット迷ったくらいだし」

「ま、二人ともテストお疲れ様ー。ところでどうしてクリスのことスッスって呼ぶの? あだ名?」

「ああ、生徒会で一緒になった時の初めましての挨拶が、クリスッス! だったからちょっと面白くてな」

「最初はクリスッスって呼んでたよなー、すぐスッスに縮まって封神演義かと思った」

「ほうしん……? 何だそりゃ?」

「クリスの好きな昔の漫画だよ、こいつ生まれる前の漫画とかも結構読破してんの」

「雷野の本家コレクションだから漏れなくリノも読破してる。俺だけがオタク扱いされるのは納得がいかない」

「んなことないよ、僕興味無いのはすぐ止めちゃうし……」

「封神演義で好きなキャラは?」

王奕おうえき

「読み込んでんだよなぁ!」

「クリスはあれだろ、雲霄うんしょう

「無いです」

「はいはい、どうせ王貴人おうきじんとか蝉玉せんぎょくちゃんとかだろ」

「敢えて妲己だっき外すとかガチっぽいからやめて? インカーもググらないで?」

「なるほど……」

「画像検索だけして納得するのやめて!? 待ってどのキャラ検索した!?」

「そうだよなァ、蝉玉ちゃんの良さは読まないと伝わらないよなァ。インカー、気になったならいつでも貸すよ。うちに読みに来ても良いし」

「リノ、リノちゃん、リノさん?」


 クリスの顔が心なし剣呑になるのを僕は鼻で笑った。


「別に、お付きのナイト様も一緒に来ていーよ」

「なに悪だくみしてるんだお前」

「ひどー、ねえインカー、そんなに僕って怪しい?」

「……まあ、何かウラがありそうだなとは思ったかな」

「思はずにあさましくて、『こはいかに。かかるやうやはある』とばかり言ひて……」

「負けてるよ!」


 即ツッコミを入れるインカーの隣で、クリスはピンと来てない顔をしている。こいつホントに首席なのか?


「ふみもみず、だよ、クリス」

「んん?」

「ふみもみず、遣わしびとに聞きもせで、などか避くらむかみなりのいえ」

「ごめん、日本語でおk」

「スッスはふみはしてるだろ」

「さっすがインカー! クリスは補習でーす」

「あーもー! 俺は理系コースだから古典はそこそこでもいいのー!」

「大江山だぞスッス、一年の一番最初に習っただろうが」

「マジで? すっかり忘れてんなぁ俺」

「まあ、聞きもせでからは元ネタ分からんかったけど……」

「無いよ、別に元ネタなんか。前半は大江山の話から本歌取りしたけど今作った歌」

「は?」

「あー駄目駄目インカー、リノは規格外だから……こいつ理系のクセにマジで勉強は何でもできるから……」

「別に、理系の方が得意だから理系に居るんだけどな。現代文は採点者と相性が合わないことがあって嫌いなんだよね。古文は独りよがりな解釈強要してこないから好きだよ、読み解くのとかパズルみたいだしね」

「と、理数で満点しか出したことない奴が言うわけよ」

「……ハンパねぇな……」

「さすがに満点しか出したことないは嘘。チューリングマシンじゃねえんだから。僕だってケアレスミスくらいはする」

「そんな話はしてないんですが?!」


 クリスのツッコミはほとんど悲鳴に近かった。しまった、文系っぽいインカーにアピールしようとして「普通」から乖離し過ぎたらしい。僕はテーブルの上に突っ伏して悄然とした声で抗議した。


「……僕はただ、インカーと古い漫画も古文も楽しいって話をしたかっただけなのに。理系の話今関係ないじゃん……クリスの意地悪……そうやって僕に友達を作らせないようにしてるんだ……」

「そうだったのか、そりゃごめん。ほらスッスも謝れ」

「えぇ〜……今の俺が悪いの?」

「クリスは僕とインカーが仲良くするのが嫌なんでしょ……」

「だったらここに連れてくるかよ……」


 突っ伏したまま、インカーに手を伸ばす。僕の指先がインカーの手の甲に触れた瞬間、クリスはビクッと体を震わせた。そのまま彼女の手首を握る。思ったより、細い。クリスはさすがに試されているのが分かったのか、口を真一文字に結んで固まっている。


「……っく、く」


 僕は笑いを堪えきれなくてぱっと手を離した。


「いや、クリス、今のは怒っていいんだよ? っふふ」

「そうなの!?」

「あー、おもしろ。今のでチャラになったわ」


 にしてもインカー、微動だにしなかったな。気にしないタイプなのか、僕が単に男として見られていないだけか。これは少し、やり方を変えないといけないかもしれない。

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