第17話 2024/5/18 午後 続
「……私と付き合ったらさぁ」
「はい」
「お前がリノを欲しいって気持ちは無くなるわけ?」
「無いです、インカーを大事にしてます」
「あっちがまた、抱いてくれって頼んできたら?」
「……」
「バカ素直だなお前……いや褒めてねえからニヤけんじゃねえよ」
「ごめんなさい」
「……リノが特別なのか? 他の人間相手でも……例えば私でも、押されたら負けるわけ?」
「インカーは特別。負ける自信がある。その他の奴らは絶対に無い。インカーのこと傷付けたくないし」
「リノだけか、私が気にするって分かってても負けるのは」
インカーが眉をひそめて腕組みをした。大きな胸に腕がほとんど隠されてしまう。今見てはいけない気がして、俺は顔を逸らした。
「……あいつと、小さい頃に結婚の約束してたんだよ」
「……そう、か」
「だから昔は、相思相愛だったんだと思う。でも俺の好きに……その……下心が混ざり始めてから、あいつはそういう態度、嫌がるようになって……中学入る頃くらいだったかなー……あいつは昔から変質者に狙われがちだったから、俺が守ってたんだけど、その俺までソッチ側に見えたんだろーなー。
そこからはもうずっと、片想いだった。多分結婚の約束とかも忘れられてる。俺とインカーのことも、良かったじゃん、応援してる、なんて言ってたし。……そのクセに、俺の気持ち利用して、自分が欲しい時だけ……。
でも、あいつには俺がいないと多分、駄目なんだ。別々に住むようにはなったけど、あいつがつらい時に頼ってくるのは、今でも俺なんだよ。こないだも、思い詰めたような顔して、『何も聞かずに抱いてくれ』って……だから俺、断れなかったのかも……」
「スッスはリノのこと、諦めるって前に言ってたけど……」
「諦めてる。バレンタインの時はまだ、恋人みたいなことすればワンチャンあるかと思ってた。でもその次の日、俺学校休んだんだけど……あの日、リノが試しに一日恋人やってやるって言ってきたんだよ。で、サボってデートして……初めて、ヤることもヤッて……それじゃあね、彼女大切にしろよ、ってフられた。から、もう、無理。綺麗に諦めさせてくれました……」
「それなのに、何も聞かずに抱いてくれ、かぁ。お前……振り回されてんなぁ……」
インカーが同情したような声を掛けてくれて、その優しさに甘えてしまいそうだったから、俺はわざと思いっきり渋い顔をしてみせた。
「友情、痛み入ります。でもホント、ちゃんとインカーと付き合いたいとは思ってるから……」
「あー、もう、分かったよ……私がリノと会って、話つけるのが多分一番早いんじゃないかな。お前は向こうに逆らえないんだから、向こうが遊び半分の中途半端な気持ちなら、手出ししないように私から頼んでみよう。向こうが実は今でも全然結婚する気満々とかだったら、私は降りさせてもらう」
「それは無いと思うけど……女の子と付き合いたいって言ってたし。俺はどっちかっていうと、インカーがリノに取られないかを心配してる」
「は? 馬鹿か? 浮気とか絶対無理だって自分で言ってるだろ私は」
「そうだけどー! 理屈じゃないんだよあいつはさー!」
俺は知っている。あいつが意図せず籠絡した老若男女、全員が全員最初からあいつに好意を持っていたわけではないことを。
リノ自身は俺以外の他人に全く興味を示さないのに、勝手にあいつの周りで、あいつに嫌われたくない、あいつを好きだと言っておけば許される、あわよくばあいつの特別になりたい。そういう空間が出来上がるのだ。
アイドルを通り越して狂信だ。
あいつは、人を狂わせる。
俺が特別だったんじゃない。
あいつが俺を特別扱いしただけだ。
それだけで、俺の人生はあいつのために存在するものになってしまった。皆が、クリスはリノのものだと認識した。俺自身も、そうとしか思えなくなった。
支配する者。上位存在。神の子。
血縁のはずの俺でさえ、あいつは異質だと感じてしまう。
なまじあいつは関わる友人をひどく絞るせいで、被害範囲を本人が認識できていない。気付いた時には手遅れ、犯罪行為に手を染める人間まで出現させてしまう。そういうことが何度かあって、俺はその度に優秀な番犬として働いた。
高校が分かれた時はものすごく心配した。でも、さすがにあいつも自分の性質を理解したのか、多少の社交性を身につけて、最寄り駅まで友人達と無事に帰ってこられるようになったらしい。兄貴が総合格闘技のプロをしているめっちゃ強い女の子と仲良くなってるんだとか。ガチの文武両道女子、一度会ってみたい気もするけど、とにかくもうそろそろあいつ一人でも……と思った矢先の別れ話、からの留学だった。
恐らく、何かが起こった。
留学から帰ってきた時には、最近鳴りを潜めていたあいつの苛烈さ、有無を言わさぬ致死の蜜、視線で殺す蛇のような凶悪さが剥き出しになっていて、俺の思考を奪った。
あれがインカーを襲うのが、怖い。
俺とインカーの、ほぼまだ何も始まっていない青い恋なんか、きっと完膚なきまでに破壊されてしまう。というか、既に破壊されかけている気がする。
でも、約束だから。
俺は、守らなきゃ。
「……テストの終わる日、二十四日。あいつの誕生日なんだ。毎年俺らは二人分の誕生日をそこで祝ってて……。インカーも、来る?」
「……行っていいんなら、行く」
「あいつがインカーと会いたいって言ってる。だから大丈夫」
「そうなのか、意外だな。良い誕生日にしてやれると良いけど」
「優しいなぁ、インカーは……」
「だって十七の誕生日は一生に一度きりなんだぞ。今日みたいな微妙な日にさせるつもりか?」
「……あの、今日の俺は自業自得なんで」
「そうだな」
にべもなく返される。俺だって、本当はもっと楽しい勉強会にするつもりだった。でも、リノのことを伏せておいたまま例えばインカーを……抱けることになったとして、そこで襲ってくるのは絶対に、二人に対する後ろめたい気持ちだ。だから結果的には、これで良かったのかもしれない。十六の頃の過ちに、終止符を打てたというところか。
恋人関係は一旦保留になってしまったけれど、インカーと別れることにはならずに済んだ。リノのことが解決したら、まだまだそこから幾らでも取り戻せる。とりあえず、今は。
「……よし。勉強すっか」
「あれ? 良いのか? スッスならもう少し粘ると思った」
「え、何を?」
「だから、ちゃんと祝ってよーって」
「祝ってくれんの!?」
「友達だって祝うだろ、普通に……」
インカーは呆れたように笑いながら、鞄からビニルの袋を取り出した。中に、お菓子のようなものが入っている。色とりどりのナッツを練り込んだ焼き菓子、かな?
「さすがにテスト期間中に自分で作るほどの余裕は無いから、母さんに作ってもらったんだ。ソーハンっていうイランのクッキーみたいなやつ。ナッツ系大丈夫だったよな?」
「大好物だよありがとう! ソーハンっていうんだー! 世界で一番好きなお菓子だよ、食べたことないけどー」
「食べたことないのに調子のいいヤツだなァ……まあでも、私も世界で一番好きかもしれない」
クスクスと笑いながらインカーは袋からひとつ摘んで、狐色ベースのカラフルな焼き菓子が俺の口元に運ばれてきた。ふわり、とほのかな薔薇の香り。異国のお菓子に起因するものか、それとも。
「良い匂い……」
「食べてみ」
咥えようと口を開けると、ひょいと投げ込まれた。しっとりした生地の中にポリポリと軽快な歯応え、しっかりとした甘みと、噛み締める度に変わる色んなナッツの香ばしい味、薔薇とバターと生地の香りの高貴なハーモニー。五感が幸せになる。
「めっひゃほひひい」
「食ってから喋れよ……でも良かった、うまいか」
「むん」
俺がそう答えると、インカーは自分でも一切れ食べて、幸せそうな表情になる。ああ、本当に世界で一番好きなのだろう。その顔を見られただけで俺もとても幸せだ。
俺はニコニコしながらインカーのコップに麦茶を注ぎ足した。口にソーハンを頬張っているインカーが、軽く頭を下げて俺に笑みを返す。
何気ない仕草だけど、ぐっと来た。
恋愛って、人付き合いのカタチのひとつだ。
そこには別に、体の関係とか、触れ合いとか、本当は重要じゃないのかもしれない。
俺はこの笑顔を、いつも隣で見ていたい。
俺のせいで悲しい顔はさせたくない。
俺は、インカーがいないと嫌だ。
覚悟が決まる。
二十四日は、いやこれからは、何があってもリノよりインカーを守ろう。
リノが、インカーを奪うつもりなら、俺はあいつと戦おう。
「……ありがとう、こんなに美味しいの初めて食べた。誕生日って最高だな」
「テスト期間でなきゃ私も作れるから、気に入ったならまたやるよ。ちなみに私の誕生日は……」
「八月二十九日な、覚えてる」
「なんで!?」
「生徒会で祝ったじゃん!」
「お前やっぱすげーな!?」
あはは、と二人で笑い合う。
こういう日がいつまでも続くように、俺は早く大人になろうと心に誓った。
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