第14話 2024/4/19 夜
留学が終わる前の週の金曜の夜、セルシアさんに母からのプレゼントを渡すことになった。次の日の夜にワシントンDCのミュージックバーで演奏するらしく、ウイリマさんも含めた全員で来るそうだ。友達も皆呼んでパーティになりませんか? と向こうから打診されたから、僕はアレクセイに相談した。アレクセイは腹を盛大に揺らして喜んで、地下室で夜通し遊ぶ許可を両親に取り付けた。アレクセイの親も、うちのと同じくらい暢気で大らかだ。よほど自分達の子供を信用しているらしい。女の子達は日付が変わる前に帰そうな、と僕は一応アレクセイに念押しした。
『アルコールは無しでいい?』
『大丈夫ですよ。煙草も吸わない方が良いかな?』
『無理じゃなければ、吸わないでもらえると助かる。地下だから』
『了解。ウイリマには車から出てくるなって伝えとくよ』
『さすがにそれは可哀想でしょ!』
一時期は避けていたセルシアさんとのメッセも、最近は寸暇を惜しんで続けるようになった。あの人の生活パターンはめちゃくちゃだ。深夜までずっと返事が続くかと思うと、数時間パタリと途絶える。昼間であろうと夕方であろうと、そこが睡眠時間。もしくはライブの時間だ。たまにデート中だとか飲み会中だとかの写真が送られてくる。要らんし、そんなプライベート……と思いながら返信すると、即レス。そっちに集中しろよ! と呆れるけど、それだけ僕を優先してくれてるのだろう。それはやっぱり、ファンとしてはとても嬉しい。
もうすぐお別れ。そう思うと、僕はたまらなく淋しくなる。こんなに他人に懐くとは自分でも思わなかった。アメリカが性に合った? 違うな。クリスが居なくなった穴を、何とかして埋めようとしたからだろう。対人初心者が自分の体を使って無理矢理作った人付き合いだ。きっと大人になる頃には、若気の至りとして笑って……ううん、このまま大人になんか、なりたくないけど。
大人になりたい、死ぬには惜しい、そう思える何事かが、今の僕には何もなかった。僕をこのまま生かしては置けない。決定的な罪を犯す前に、誰かに取り返しのつかない傷を付ける前に、僕を抹消すべきだ。
分かってるけど、死ぬ覚悟っていうのは、心にあるだけで気分を蝕んでいくもので。
嫌だ。
愛して欲しい。
死んだら何も残らない。
僕のことを、覚えていて欲しい。
せめて、思い出の中だけで、綺麗な僕を。
皆も、僕も望んでいた、理想の僕を、住まわせて。
どうして僕はこうも変われないんだろう。
どうしてこんな本性なんだろう。
本当は、死にたくない。
死ぬしかない。
嫌だ。
誰かと、一緒に、生きたかった、な。
「セルシアさんって、なんで大人になっても生きてるの」
「変なこと聞きますね? 僕が生きていないと、Arre'Nが続かないでしょう」
「それはそうだけど……セルシアさんがいなくなっても、なんだかんだエルマリさんやミリヤラくんは、音楽やって生きていくと思わない?」
「えぇ……、何ですか? 僕は死んだ方が良かった?」
「ううん、ただの思考実験だよ。僕が僕のこと、死んだ方が良いなって思ってるから……」
「えっ? 駄目ですよ?」
「どうして?」
「僕は君のこと気に入ってるんですから!」
「簡単に言うよね、そういうこと」
パーティの途中、飲み物のおかわりを取りに行こうと階段を上がったらセルシアさんがついてきたので、二人だけで話す時間が取れた。二人で話すならメッセで十分な気もしたけど、こういう話は対面の勢いがないとできないかもしれない。
セルシアさんはちょっと考えた様子で、そっと僕の頭を抱き寄せた。
「……僕は詩人だから、君の欲しい言葉はいくらでも挙げられる。でも、きっと僕じゃ駄目なんでしょうね。
君は、確実に世界に愛されています。一人に執着さえしなければ、幸せはいくらでも押し寄せてくるでしょう。どうしてひとつの理想、たったひとつの冴えたやり方にこだわるんですか?」
「……古典SFとか読むの?」
「僕、こう見えて活字中毒なので」
「へえ、本当に意外……」
セルシアさんの綺麗な顔を改めてまじまじと見る。彼はどこまでも優しい微笑を浮かべながら、だからね、と頷いた。
「どうです、君が見えていない世界、君が見えていない他人の裏の顔、まだまだいくらでもあると思いませんか。自分自身のことだって、本当に今もう見切りをつけていいものかどうか。いつまでも変わらない世界なんて無いんです。いつまでも変わらない君も、きっといない」
僕、この人に詳しい話なんかしたっけ? 特に具体的な話をした覚えはないのに、なんだか今ちょうど喉が渇いていたのだとでもいうように、心の奥に沁み込んでいく。
「僕……」
何か返事をしようとした声が震える。言葉がつかえて出てこない。地下室からエルマリさんの伸びやかな歌声が、扉を二枚隔ててここまで届いた。
退屈な田舎町にやってきた、楽しい、幸せな夜。
セルシアさんが見せてくれるものは、いつだって狂おしいくらい僕が求めているものだ。
ずるい奴。最悪の男。並の人間じゃ、軒並み魅了されてしまう。
「……僕の自殺が失敗したら、セルシアさんのせいだからな」
涙目で責めると、セルシアさんは嬉しそうに莞爾と笑った。
「リノちゃん。天使が死ぬのを阻止出来るなんて、贖罪以外の何物でもないですよ。ありがとう。君が生きていてくれるだけで、僕は救われるんですね」
「っ馬鹿やろ……お前、ホント最悪だ……」
今回も、耐えられなかった。
僕は嗚咽を漏らしながら泣いてしまった。
こんな、何も事情を知らない男の、きっと上っ面だけの言葉に、僕は愛すら錯覚してしまう。
それは僕が愛を渇望しているから。
セルシアさんは、欲しいものを与えられていると相手に勘違いさせるのが天才的に上手い男だった。
そう自分に言い聞かせないと、僕は彼から離れられなかった。
本当に愛が在ったのかどうか、彼が何を見抜いていたのか。
僕の泣き崩れる姿を、アレクセイが見ていたかどうか。
セルシアさんが僕らの様子に気付いてたかどうか。
どうせもうすぐ僕を忘れる他人のことなんて、どうでも良かった。
だってその頃、僕は自分自身の闇を見つめることで、精一杯だったから。
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