僕が救いを幻視した日(全2話)
第13話 2024/4/6 午前
僕がArre'Nの新作MVに出ていることは、大っぴらに公表したわけではないけれど、公開されてから数日の間に何人かの友人にバレた。そのうちの一人が、ステイ先ホストの学生、アレクセイだ。
アレクセイはゲイだった。でもホームステイを受け入れることには憧れていて、同性の中では一番好みから遠い僕を選んだのだと言っていた。かなり体脂肪率の高そうな彼のタイプは雄らしいゴリゴリの高身長マッチョ。それを聞いた僕は、実は僕もなんだよと話を合わせつつ、クリスの写真はアレクセイに見せないでおこうと心に決めた。
そんな彼だから、僕も割と安心して仲良くしてたんだけど、Arre'Nの新曲の話が彼の口から出た時はさすがに顔が強張った。
「あのセルシアさんの筋肉がセクシー過ぎてヤバかった、見た?」
「いや、ちゃんとは見てない……」
「なんで!? 一緒に見ようよ! 俺ももうさすがに見慣れたから安心して!」
「ポルノ扱いしてたのかよ!」
「あんなん興奮しない方が無理。まあ一回見てみなって」
「え? それ万一僕がここでそうなったらどうすんだよ」
「兄弟として俺のベッド使っても良いよ、PCの方向いてヘッドホン被っとくから」
「要らん気遣い過ぎる!」
ツッコみながらも、一人じゃなければ何とか最後まで見られるかもしれないと思って、僕はアレクセイの厚意?に甘えることにした。
彼の部屋で、彼のデカいPCモニタで、動画の再生が始まる。
「そういやさ、この金髪の子、リノに似てるよな」
「うぇっ、え、そう?」
アレクセイが僕の様子のおかしいのに気付いたか、モニタから目を離して僕の方を振り返る。僕は慌ててアレクセイの枕で顔を隠した。
アレクセイはスペースキーを叩いて動画を止めた。
「……何してんの」
「えっ、隠れんぼ……」
「動画見ながら?」
「えっちな動画だったから……」
「まだ脱がされてもないただの暴力シーンなんだけど……え、リノってこれで興奮すんの」
「待って待って、誤解だって」
「そうなの? 枕返してよ」
今取り上げられると顔が赤くなってるのがバレる。ガチめに抵抗したけど、デブの腕力は意外と侮れなくて易々と引き剥がされた。即切り替えてシーツに顔を埋める。
「赤くなってニヤニヤして、やっぱそうなんじゃん」
「見るな〜っ! っつか誤解だって、単に僕は……その……」
「あ、やっぱこれ、リノなの? 本人?」
「…………そー」
「マジで!?」
結局僕は撮影に至った成り行きを全部話す羽目になった。アレクセイにとってセルシアさんは理想の男性だったらしく、終始興奮した様子で食いついてきたが、馬乗りになって首を絞めた話をすると、急に真顔で僕の手を取ってきた。
「この手が……セルシアさんを……」
「そーだけど、もう一ヶ月近く前の話な? その後何度も風呂入ったりトイレ行ったりしてっから……」
「ねぇ、俺の首も絞めてよ」
「何言ってんだよ……」
正直、アレクセイのぶよぶよの首に何の興奮もしない。そもそもあれはお互いに傷付けて良いという了承があってこそで、アレクセイに傷を付けるのは僕の気が引ける。
「お前は友達だから、そういうことしたくない」
「俺がデブだから嫌?」
「そういう話はしてないだろ……」
「リノがこんな凶暴な猫ちゃんだと思ってなかったな。俺、動画のお前なら守備範囲内」
「やめろ! 僕に嫌われたいのかお前。嫌われりゃセルシアさんみたいにボコボコにしてもらえるって? お断りだよ、正気に戻れ」
そう言って睨みつけつつ、僕はアレクセイの目を見て、心が折れかけていた。今まで何度と見た、僕に狂った人間の目。どうして? お前は大丈夫だって、言ってたのに。
僕が、悪い。
僕が、善良な人達を、いつもこうして狂わせていく。
今まではクリスが助けてくれた。
でも、もう。
確か百八十ポンドはあると言っていた巨体が、僕にのしかかってくる。どうしたらいい? こいつはホストだ、こいつを拒否するとあと数週間、僕の居場所が無くなる。でもこいつだって正気だとは思えない、ここで我慢して受け入れたところで気まずくなるのは目に見えてる。
「落ち着け、アレク──」
唇が塞がれた。
朝ママが作ってくれたサニーサイドアップの残り香。
なあ、なにが駄目だった?
僕がこんなビデオに出たから?
僕が加虐趣味を隠せなかったから?
お前と仲良くなれたと思っていたから?
僕は、どうするのが正解だったのか、分からない。
お望み通りボコボコの傷だらけになったアレクセイと泣き腫らした僕の顔を交互に見て、ママは「末っ子同士だねぇ……」と少し呆れた様子でココアを入れてくれた。
加減しろと言外に注意してくれたのかもしれない。でも今は、アレクセイの顔を見られなかった。多分、向こうも。
不思議とその後、仲が拗れることはなかった。きっとお互いに、自分が悪いと思っていたからだろう。普段通りの距離感で過ごして、あいつの気が向いた夜には、僕の部屋をノックしてくる。そんな関係。
あいつの首の皮が弛んでいて良かったと思う。普通の人間なら、首を絞められた跡なんて丸見えになるもんね。
そう、僕は、僕らは、タイプでも何でもない奴のことを、ただそこに居たからという理由だけで手にかけた。
どうしてそんなことをしたのか、どうしてこんなことになっているのか、上手くは説明できない。
でも間違いなく、僕が悪い。
僕相手なら大丈夫だと信じていたアレクセイを狂わせた。
クリスというストッパーのいなくなった僕は、まるで殺人鬼のようだ。もしくは、ビッチ。確実に、理性が弱くなっている。そのうち自分から他人を誘惑しだすのが目に見えるようだった。
アレクセイとは、四月が終わるまでの付き合いだ。
お互いに理解しているからこそ、止まらなかった。
「アレクセイ。僕に好きな男がいるって話は、したっけ」
「うん。前に聞いたし、何度か名前呼んでるよな、クリスだろ?」
「えっ僕そんなことしてた?」
「自覚無かったのかよ……むしろこの部屋でアレクセイって呼ばれることの方が少ないんだけど」
「マジで……?」
自分の身勝手さに顔を覆うと、アレクセイは優しく僕の頭を撫でてきた。
「気にすんなよ。俺も気にしてない。本気で好きになって貰いたかったらこんなやり方してないよ」
「それは、そう。僕お前のこと、全然好きじゃねえし」
「うん。ごめんね。」
「アレクセイが謝ることじゃないだろ……」
僕はふう、と溜息をついた。夜だからこのまま寝ても良い。アレクセイの腕の中で目を閉じて、もう一度溜息をついて、口を開く。
「……僕ね、死ぬつもりなんだ」
「リノ……?」
「ああ違う、お前に会う前から、死にたかったんだ」
アレクセイがぎゅっと抱き締めてきたので、慌てて訂正した。
「……なんで?」
「……僕は今の自分が嫌いなんだ。僕は人を傷付けるのが好き。僕は誰かを狂わせるのが好き。楽しい、もっと欲しい、全部僕のものになってしまえ……そう願えば、そうなってしまう。上手くいかなかったことなんて、ない」
「リノ……」
「むしろ願わなくても向こうから転がり込んでくる。迷惑だと思うこともある……アレクセイのこと言ってるんじゃないよ。もっと一方的に被害に遭ったこともあるって話……」
「……そっか、まあ、そりゃ……リノは綺麗だもんな」
綺麗だって言って欲しい相手は一人だけだ。
でも、そいつには、もう僕のことを見ないで欲しい。
こんな醜い僕のことよりも、自分のことを大切にして欲しい。
でも、僕のことは、出来れば一生忘れないで欲しい。
なんで僕はこんなにも、欲深いのだろうな。
「……ホントは、医者になるつもりだった。医者になれば、合法で人に傷を付けられるし、血もいつでも見られる。クリスが……あいつさえ傍に居てくれたら、僕は医者を目指してたと思う。
でも、あいつは僕を諦めて、他の女を選んだ。僕が望んだ通り。僕はあいつにだけは、本当の僕を見せたくなかった。だからあいつから逃げ続けてた。ずっと良い子のフリをしていれば、いつかは本当にあいつに相応しい良い子になれると思っていた。
……結局、間に合わなかった……僕が変わるより、あいつが諦める方が早かった……僕は変われなかった。アメリカに来て、セルシアさんと出会って、むしろ、本性と向き合う機会が増えた。アレクセイ、お前も……」
「なにが、駄目なの? 俺は今のお前が好きだよ」
「やめて、ほんと、そういうの。僕を許さないで。僕を受け入れないでよ。僕のことを知ったような口を利かないで。僕の苦しみを理解してると思わないで」
「じゃあ、なんで、俺に言ったんだよ」
「……。」
僕は再三、溜息をついた。言われるまで自覚が無かったけど、僕はまたしても手近な誰かに甘えようとしていたのだ。
「……分かるだろ。お前を許さないって、言って欲しいからだよ。俺の気持ちを弄びやがってって、詰られたい。僕は、僕のことを否定する僕を、誰かに支えて欲しいんだ」
「……勝手にやってろよ。お前に振り回されるのも、傷付けられるのも、俺が好きだから、俺が望んでるからだ。俺はお前の恋人じゃないから、お前の望みなんか叶えてやらねえよ」
「そっか。うん……僕らはそうだったね」
「死ぬなら、独りで死ね。お前のことが好きな俺にそんな話するんじゃねえよ……」
「ごめんね、アレクセイ……」
デブでブスで我儘なアレクセイが、泣いていた。
僕よりよっぽど純粋でうつくしい涙を流していた。
見た目しか取り柄のない僕の方がよっぽど醜かった。
僕は取り繕うように、初めて自分からキスをした。
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