第12話 2024/3/31
セルシアさんが軽く歌ったのは、本来ならサビのシャウトからの低音シフトがカッコいいバリバリのロックソングだ。僕らだけに聞こえるようにウィスパーボイスで歌われると全然違う曲に聞こえる。
強引な荒々しさは鳴りを潜めて、
僕らを引き止めたいと懇願するような、
あるいは口説き落としたいと誘惑するような。
ああ、ここでその曲を選んでそう歌う、
お前は本当に最悪の大人だよな。
NYの二週間、観光や見学で色んなものを見て、知ったはずなのに、結局僕の思い出はお前に塗りつぶされてしまった。
ブロードウェイやグラウンド・ゼロよりも、そこに今生きているお前達の熱や息遣いに触れたことの方に心を持っていかれている。
僕だけを見て、と歌われて、さぁ。
理性は拒否したいのに、さぁ。
お前を、殺しかけたのに。
そんなに嬉しそうに、
見送りに来るか。
お前だけは、
──僕を受け入れてくれる?──
嫌だ。
僕は、クリスと居たい。
光の側になって、クリスの隣に立ちたい。
この最低な加虐衝動とそれを肯定しかねない自分の弱さは、
どの道僕を、破綻に追いやるだろうから。
今のうちに殺さなきゃ。
僕を。
セルシアさんに微笑む。
さようなら。僕は、お前とは行かないよ。
フィーネちゃんは真剣に、セルシアさんの歌を聞いていた。
彼女の方が余程、彼のことを知っている。
今までの活動を通じて。
うん、
自分を歌われてるとか、
きっと僕の思い上がりも良いとこだよな。
彼にとっては僕も彼女も、大勢のファンの一人でしかない。
これ以上、彼に心を動かすのは止めよう。
そう、きっと罠なんだ。
彼の。
留学先の高校はヴァージニア州の北の端だったから、NYからワシントンDCのダレス空港まで飛行機に乗った。ホームステイ先の家族が迎えに来てくれていた。正味一時間半ちょい。お金さえ気にしなければ、片道六時間なんて全然掛からなかった。
……んー。まあ、もうNYには行かないだろう。行く理由がない。
メッセが届く。勿論、無視だ。
フィーネちゃんもセルシアさんと繋がったから、そっちはそっちでよろしくやればいいと思う。
フィーネちゃんは別れ際にセルシアさんにArre'Nのキャップを被せられて嬉しそうにしていた。良かったね。
僕はもう、お前には縋らない。
二週間後の日曜日、フィーネちゃんからLINEが来た。
『セルシアさんが、動画が完成したからご両親に見てもらって、許可を改めて取ってほしいとおっしゃってます』
『分かった。リンク送ってって伝えて』
『送ってあるそうです』
『あー、そうなんだ。無視してたわw』
メッですよ、なんてスタンプが届く。でもこれは自己防衛なんで、勘弁してほしいところだ。
セルシアさんからのメッセを確認し、YouTubeの限定共有リンクを開く。
ギターが鳴いて、コンクリートが香った。
男達にボコボコにされ気絶したセルシアさんが目を開けると、金色の少年が彼を見下ろしていた。
謎加工でハレーション起こしてるけど、つまり、僕だ。
セルシアさんが立ち上がり、少年を見下ろす。うまく編集されていて、全然違和感がない。
なにごとか会話……そこで、一発目のサビの入りと共に、少年がセルシアさんを蹴り倒す。
うわっ、もう、めちゃくちゃだ。歌詞は逃げろって叫ぶし、少年は余裕なげに暴行に夢中になっているし、僕自身が助けてほしいと哭いているようで、心がおかしくなりそうだ。
こんなん、こんなんさぁ。
親に見せられるわけ、なくない?
曲は間違いなく良いんだが、僕が映像に耐えられなかった。この後多分首絞めシーンもあるんだろうけれど、見るのを途中で切り上げて、余計なこと考える前に親にLINEでリンクだけ投げる。前に協力許可は取ってあったし、理解されるはず。
意外にも数十分で返信が来た。
『うまく出来ているね、リノに役者の才能まであるとは知らなかった。母様がすごく気に入って、The Arrested Angelsの皆さんにプレゼントを贈りたいと言ってる。彼らの活動場所を教えてくれないか』
「……っふふ……クソが」
思わず悪態が漏れた。
どうしてお前らはそうも善良で無邪気なんだ。
どうしてこんな僕が、お前らから生まれたんだ。
嬉々として他人を殴る子供を見ておかしいと思わないのか。責めないのか。叱らないのか。
僕を、自分の息子をなんだと思ってるんだ。
正直、なにか変わるかもと期待していなかったと言うと嘘になる。でも、だめだ。お前らは自分の見たいものしか見ようとしない。きっとクリスに見せても同じような肯定的な反応なんだろう。
才能ね。才能があると言うならそれは、役者のではなく、闇に生きる加害者としての才能、なのだろう。
有り体に言えばそれほどまでに、動画の僕は人間離れしてうつくしかった。行為は許されるものでないのに、見惚れてしまうような、仕方ないと認識してしまうような、そんな捕食者としての説得力を持っていた。
セルシアさんは……恐らくあの時あの路地裏で目が合った瞬間から、この僕の才能を見抜いていたに違いない。分かる人には分かる、ということか。
それも嫌だ。僕自身が僕を許せないのに、僕の大切な人が僕を知らないのに、どうでもいい他人に僕の獣性が知られて勝手に認められたり求められたりするのは気持ち悪さしかない。
ああもう、クリスになりたいな、と僕は溜息をついた。僕の中身がクリスみたいな光属性だったらな。そしたら僕は自分を偽る必要もなく、存分に相思相愛を果たせたのに。悪い大人に目をつけられて狂わされることもなかったのに。
ずっと、クリスに憧れてきた。
一緒にいれば似るかなと思ったけど、無理だった。
せめてあいつに相応しい人間になれるまでは、あいつの隣には戻れない。
独りで生きていく。大人なら、誰だってやっていることだ。
僕だけが苦しいんじゃない。
僕がこんなに苦しいのは、独りで生きる資格すら、無いと感じるからだ。
こんな見た目だけで人を惑わす体と、決して見せたくないのに見抜かれてしまう邪悪を抱えて、社会に存在しようとするなど。
顔を、焼くか?
目を、潰すか?
いや、どちらも却下だ。どう考えても始末が大変だ。
そんなややこしいことしてまで生きるより、さっさと死んだ方がいい。
「……どうやって、死のうね」
今ここで死ぬと、ホストのアレクセイやファミリーの皆に迷惑がかかる。
日本に、帰って。
そうだな、インカーって女の顔を見てみたいな。
そいつとクリスの前で、死んでやろう。
クリスが止めに入るよりも早く、素早く死ねる方法でないといけない。
首。
絞めるなら時間がかかる。
そうだ、ひと思いに掻っ切ってやろう。
家の包丁、は母様が悲しむから、父様のナイフかな。
──Though you seek a reason
You said you are not a clone
Arre'Nの新曲を口ずさむ。
僕は、お前らとは違う。
楽園には逃げないし、お前らと一緒にも生きない。
僕の居場所は、クリスの心の中で十分だ。
メッセを開いて、セルシアさんに連絡する。
『許可降りたよ。僕の母様が気に入って、あなた達にプレゼント贈りたいって。受け付けてる?』
『ああ、ごめんね、直接は受け取ってないです。リノちゃんのところに送ってもらって、僕が取りに行くのはどう?』
『それ、僕目当て?』
『うーん、お望みなら?』
『無いよ、諦めて』
『フィーネちゃんは?』
『それはお好きにどうぞ。僕の知ったこっちゃないので』
『じゃ、行きますね。いつ届くか分かったら教えて下さい』
本当にこいつ、フットワーク軽いよな。人気者のクセに、暇なの?
無いよと自分で言ったのに勝手に膨らむ妄想に苛つきながら、僕はベッドにダイブした。
ヴァージニアの昼は、車を出せなきゃ何も無い。
退屈な田舎町。
満たされない僕には、音楽しか無かった。
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