僕が世界を拒絶した日(全2話)
第11話 2024/3/14 午前
「リノさん、最近お疲れ様ですか? 目の下のくま、すっごいですよ」
NYからヴァージニア州への移動日、空港に向かう電車の中で、留学仲間の女の子が声を掛けてきた。
「んっ何? ごめん琴乃ちゃん、ちゃんと聞いてなかった」
「あっ、違います〜。留学中はフィーネって呼ぶ約束ですよ〜」
「ああ、ごめんまだ馴れてなくて……そうだったね」
彼女は帰化したノルウェー人二世で、ミドルネームを持っているそうだ。英語圏ではコトノだと発音しにくいから、フィーネで通すのだと言っていた。青い目で琴乃も中々違和感があるとは思っていたので、正直フィーネちゃんの方がしっくりくる。綺麗なプラチナブロンドのストレートロングヘアだったんだけど、僕と間違われまくった結果、夏休みに水色に染めてきた。うん、大人しそうな雰囲気の割にそういうことする子。ちなみにうちは校則がゆるゆるなので髪色は何でも良い。僕は体育祭でピンクにスプレー振ったら帰ってクリスにドン引きされて丸洗いされたから、もうやらないけどね。
「で、僕がくまさんだって?」
「どちらかというとうさぎさんでは? いえ、そういう話ではなく。寝不足なんですか?」
「あー……」
「四日前くらいに、何かありました?」
「……あー……えっ怖」
「なぜ!?」
「なんでそんなに僕のこと的確に把握してんの?」
「え、お友達だからですが……」
「フィーネちゃんさぁ……僕以外の男にそれやっちゃ駄目だよ?」
「どうしてですか?」
「勘違いするからだよ……男って単純で馬鹿なんだから〜」
「リノさんは良いんですか?」
「え? 僕は全世界の人間が僕のこと好きだと思ってるから、別にフィーネちゃんが特別だとは思わない」
「わあ、リノさんくらい可愛らしいとそうなっちゃうんですねー」
痛い痛い、言葉の棘が。冗談なんだから普通に笑ってくれりゃいいのに。それに今ナチュラルに自分の容姿のこと棚上げしたな、コイツ。
僕らは入学して割と間もなくから、二人でよく行動していた。お互いに恋愛感情をつゆほども持っていないのが丸わかりだったし、美人同士のカップルだと勘違いされれば、変な虫が寄って来なくなって気が楽なのだ。
勿論実態を知っているクラスの連中は、その限りではない。男からは女子二人組扱いされるし、女の子からは男子二人組扱いされる。フィーネちゃんがお淑やかな外見にそぐわず大雑把で運動神経抜群の料理系センス壊滅女子だからだろうか。
バレンタインの日は酷かったなぁ。前の日にフィーネちゃんをチョコ手作り会に誘った女子数名が当日欠席して、当人がヤバい臭いのするダークマターを持参して……。僕らクラスメイトは極力息を止めながら、味覚が無いという噂の美術の先生に全部押し付けた。どうなったかは知らない。美術の授業は二年生だけだし。無責任だと言うなら、もっと責められるべきはこの子をチョコ作りに誘った女子達だろう。
他人の作った手作りチョコなんて、やっぱ食えたもんじゃない。僕が今年口にしたのは、結局クリスが作ったやつだけだ。
……あー、僕の馬鹿……あの日のこと、あの夜のこと、その次の日のこと、思い出しちゃった。
あの、きゅんとする、匂い、がして、少し、しょっぱくて、美味しかった、な──
「リノさん? お耳真っ赤ですけど……」
「っえあ!? 違っこれは、違うの、えっと、四日前はね! Arrested Angelsっていうバンドの人達と知り合って……」
「えっ……The Arrested Angels? Arre'Nですか?」
「もしかして知ってるの?」
フィーネちゃんは人名ぽいアレン、の発音じゃなくてちゃんとレにアクセントを置いて呼んだ。たまたまバンド名を見かけたとかじゃなく、ちゃんと彼らを認知している証拠だ。
「知っているどころじゃないです、大ファンですよ! えぇっ、知り合って……!? それで興奮して眠れなかったんですね!? ああ、納得ですというか羨まし過ぎます……!」
「フィーネちゃん意外とああいうのが良いんだ〜……」
確かに、バンドとしては良かった。あの日ホテルに帰って今までのMVを多分全部見た。声も演奏も世界観も好きだ。メンバーの実態が、アレでなけりゃなぁ……。
「んー、そう、撮影に協力したから、もしかしたら近い内に僕もMVに出るかも」
「ふあ……凄いですね、さすがリノさんです」
「何がさすがなのさ……」
「持ってるなーってことです……良いなぁ〜」
「メンバーは大概人でなしだったけどね……フィーネちゃんは誰推しなの」
「うーん、難しい質問を……強いて言うならエルマリさん、ですかね〜」
「あー分かる、ドラムとハイパーボイスかっこいいよね」
「そう! セルシアさんのお声も好きで、毎回今度はどっちが歌うのかなってワクワクするんです」
「ああ、今度は」
「待って下さい! ネタバレ禁止ですよ! もー!」
「おっと、ごめん……」
僕はカメラアプリを起動して、フィーネちゃんとツーショットを撮った。引率の先生がジロリと睨んでくる。電車内はそんなに混んでるわけでもないし、そこまで怒んなくても。
写りを確認。うーん、やっぱフィーネちゃん、元が良いから小首を傾げただけで人形みたいに絵になる。僕も無表情だから映えないけど、これなら盛る必要もない。
Facebookのメッセンジャーを起動。今の写真を添付して、送信。
「なんで撮影したんですか?」
「セルシアさんに送った」
「な、え、」
(えぇーーっ!!?)
そこで周りの迷惑を考えて囁き声に切り替えたのは偉いと思う。僕はホラ、と送信ログを見せた。
『kwsk』
秒で返信が来た。
なんでコイツ日本のスラングに詳しいんだよ。そこがkwskだよ……僕は呆れながら返信を打つ。
『僕の友人のフィーネ。Arre'Nの大ファンなんだって』
『JFK空港行きの電車内ですよね? この時間、ダレス着?』
思わずヒエッと声を上げかけた。一枚の写真から行き先までバレる? ヴァージニアに行く、とは言ってたけど空港は複数あるのに。
『ダレス空港だけど……』
『ああ、じゃあ間に合うな。追いかけます』
『来なくて良いよ!』
……来なくて良いって言ったのになぁ。来るなって言うべきだったかな。
一応引率の先生に、友人が見送りにくるかもしれないからセキュリティチェック後回しにしますとだけ伝えて、僕とフィーネちゃんは出発ロビーに残った。お腹空いてきたし、無視して中に入っちゃっても良かったなぁと後悔し始めた頃に、メッセが届いた。
『着きました』
『ホントに?』
『ホントですよ。デルタ航空ですよね? 僕ここに居ます』
空港内のデカい時計台の写真が送られてきた。マジかぁ……と思いつつ、有名人を僕が動かしたというのは中々悪くない気分でもあった。
フィーネちゃんを連れて向かう。セルシアさんはビッグシルエットのジャンパーにArre'Nのロゴ入りのキャップを被り、スマホを眺めてオーラを消していた。それでも一般人と見分けがつかない……とはならないのがこの最悪美形男の手に負えないところだ。何それチュッパチャプスでも舐めてんの? 色気出すのもいい加減にしてほしい。
「……おい、腐れアダルト」
「ああ、来たね、僕の小さな獣ちゃん」
「バイバイ」
「待って待って。悲しいこと言わないで。というか今のはお互い様でしょう?」
「獣だから分かりませーん」
「うふふ、可愛いなぁ!」
セルシアさんががばっと抱きついてくる。あーもー、距離感バグってっから……。
「目的は僕じゃないでしょ。ほら、この子が例の」
「ああ!」
セルシアさんは思い出したように僕から離れて、フィーネちゃんの方に向き直った。
「初めまして、いつも応援してくれてありがとうございます、青空のような女神様。お名前は?」
「フィーネです! お会いできて嬉しいです」
「フィーネちゃん! 晴れた空、あなたにピッタリの名前ですね」
「Finneだよ、ノルウェー語で見つけるって意味。メッセに書いただろ」
「いいえ、私は青空が好きなので、大丈夫です!」
「それなら良かった、ハグしても?」
「良いわけないだろ!」
「ええっと、よろしければ握手して下さい」
「あ、はい……」
いいぞ、マイペース同士だからセルシアさんに主導権を持たせなければ何とかなりそうだ。若干僕が疲れるけど、大切な友人を狼に差し出したという汚名だけはそそがなければならない。
ちょっと腑に落ちなさそうな様子を笑顔で揉み消して、セルシアさんがフィーネちゃんの手を取り握手する。
「フィーネちゃん、イチゴは好きですか?」
「えっ? はい……」
するとセルシアさんは左手で口から飴を取り出し、フィーネちゃんの右手の甲にキスをした。
「ひゃっ!?」
「ささやかですが、イチゴの香りのプレゼントです」
「うわぁ……」
負けるなとフィーネちゃんを応援したいところだけど、見てる僕の方が胃もたれしてきそうだ。何してんのコイツ。
フィーネちゃんは顔を赤くしながら、手の甲を鼻に近づけて確認した。
「えへへ、全然分かりませんね」
いや、フィーネちゃんもフィーネちゃんで強メンタル過ぎる。どうなってんの? 僕が繊細なだけか?
「じゃあこの飴も欲しい?」
「いい加減にしろ」
「リノちゃん嫉妬ですか?」
「どっちに!?」
「え、分かんないな。どっちに嫉妬したの? 教えて下さい」
「どっちにもしてねえよ!」
「リノさん、ごめんなさい……」
「フィーネちゃんが謝ることなんか何もないからね!?」
いや何もなくはないかもな、この疲労感の一割くらいは正直彼女由来かもしれない。圧倒的にセルシアさんが悪いのは揺るがないんだけど。
「ほらセルシアさん、もう満足した? 僕ら行かないとだから」
「そんなぁ。まだあと一時間半あるのに……」
「ランチ食べてないから食べたいの!」
『あれ、行程表では機内食が出るって書いてましたよ?』
『フィーネちゃんは僕の味方してよ~』
『あ、それなら飴をいただいてはいかがですか?』
『嫌だよ! 舐めかけじゃん!!』
僕らが日本語でやり取りしているのを、セルシアさんはちょっと所在なげな顔をして聞いていた。何だその淋しそうな目、絶対わざとだろ。張り飛ばしてやりたいな。
「ふむ、日本語の勉強もしないとですか……」
「聞く必要ない! セルシアさんってファン皆にそんななの?」
「女性ファンは大切に、男性ファンは
「うげ……」
嫌な単語が聞こえた。昼間っから何言ってんのコイツ……それで僕にもトップだのボトムだのと吹っ掛けてきていたのか。さすがのフィーネちゃんもドン引き、してないね。なんで? 受験英語ではソッチの意味は使わないから通じていないのかな。
とにかく、もう付き合っていられない。
「女の子の前で変なこと言わないでよね。それにフィーネちゃんの本命はエルマリさんだから。諦めて帰って」
「エルマリ〜? あの子も所詮僕と同類ですよ。むしろ僕の方が後腐れなくて分かりやすくて良いと思います!」
「なんのアピールだよ……」
「お二人ともクールですよね~!」
「そうだけどそういう話はしてないよ!」
ほら見ろセルシアさんが謎にドヤ顔になったじゃん!
僕だけが無駄に憔悴している気がする。フィーネちゃんもこんな感じだけど分別無い子じゃないから、後は二人でごゆっくり、とお
「……もうさぁ、僕抜きで話する?」
「それは淋しいな、僕はリノちゃんに会いに来たんですよ」
「えっ、フィーネちゃん狙いじゃなかったの?」
「天使が二人も居て幸せだなぁという感想です」
「僕はあなたを喜ばせるつもりは無かったんだけどね。友人を喜ばせるために連絡取っただけ」
「ええ、大歓迎ですよ! 僕は何すれば良いかな? 喜んでいただけるなら何でもしますよ」
「何でも?」
「何でも。」
「じゃ、帰って」
「喜んでいただける方法は他にもあると思うんですよね」
「めげないなぁ……」
僕はそう言いつつ、彼の周囲を確認した。スマホ以外手ブラのようだ。ギターとかは持ってこなかったんだね、さすがに。セルシアさんはそんな僕の視線に気付いたのか、少し肩を竦めてみせた。
「ギターでも弾ければ良かったんですが、許可なしに演奏するとウイリマが怖いんで……声だけで。君達も知ってる有名な曲って何かなぁ」
「自分の曲は歌わないの?」
「僕独りでやるArre'Nは解釈違いなんですよね」
「でも、せっかくですし、生歌お聞きしたいです……!」
おお、さすがはフィーネちゃん、本物のファン。勇気あるなぁ、でもそりゃそうだよね。セルシアさんは少し瞠目し、ふわりと嬉しそうな笑顔になった。
「分かりました、では……僕の太陽のために、一曲だけ。"Howling and Holding"」
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