第10話 2024/3/10 夜 続
「交渉成立ね!」
エルマリさん達が急に立ち上がり、キビキビとテーブルやソファを動かし始めた。僕は唖然と立ち尽くしてそのさまを見守る。
「え、ここでやるの?」
「そりゃまあ、ピザ待ちの余興だしさー?」
「廃ビルは夜だと寒いじゃない?」
「大丈夫、僕の顔メインで撮影するんで、床が確保できれば」
打ち合わせしてたみたいにあっという間に、三人は調度品を全部片付けた。
逃げられない。僕は観念して、ふうぅっと深呼吸した。
「……首絞めてると、セーフワード喋れないよね?」
「じゃあ、ギブアップサインを……」
「無視して良いわよ。私が見極めるから」
「エルマリさぁん? 頼みましたよ……?」
セルシアさんがエルマリさんをじとりと睨む。いやこの二人、二十歳と十九歳だよな……? なんでそんなに自信満々なんだ。僕は彼らの私生活にあまり深入りしてはいけないなと肌で感じた。
「じゃ、始めましょ。ああ、手を掛ける前に一応コツを教えるわね。気道、首の中心は絞めないで。そこは親指を引っ掛けるだけ。抑えるのは首の両側、力を入れるのは長指の方。血管を押さえるのよ。
ブラックアウトの寸前に、瞳孔がぐっと開くの。セルシアはカラコン使ってるから分かりづらいけど、まあだいたい震えが弱くなる瞬間と同じだから分かると思うわ。そこで手を離せば、例え落ちたとしてもしばらく待てば気持ち良く帰ってこれる程度だから大丈夫。
首の骨を折らないように気をつけないといけないけど……君の細腕とセルシアの筋肉ならそんなに心配はいらないかな。私みたいな女の子を相手する時は気をつけてね」
プロだ、プロの解説だ。僕はリスニング能力をフル稼働させて彼女の言葉を把握しようと努めた。もうなんというか、たかぶる感情は全部消え失せてしまった。医療行為でも習ってるみたいだ。
僕が鼻白んでしまったのにセルシアさんが気づいてクスッと笑う。
「リノちゃん。とびきり官能的な顔をお願いしますね」
「……キモいな」
カメラがセットされる。上からと、下から。ガチのスナッフビデオになるといけないから、オチかけたら僕の顔がメインになるのだろう。
「コート着直してね。でないと動画と整合とれなくなるでしょ」
「あっ、てことは僕上裸?」
「そりゃそうだろ、リノちゃん脱がせてやって」
「えっ僕?」
「昨日のキミがやったことだろ。ほら、ベルトで拘束もしてね」
「うっ、それはそうなんだけど……」
「雰囲気がほしい、ですか?」
セルシアさんが床に座って薄く笑う。僕はムッとして彼のシャツを脱がせにかかった。
突然頭を抱えられ、彼の口が耳元に。
「世界で一番僕が君を愛してますよ、可愛いリノちゃん」
頭にカッと血が上る。次の瞬間、僕はセルシアさんに掴みかかって押し倒し、顔面に拳を振り抜いていた。いや、何とか少し軌道を逸らせたし、セルシアさんも咄嗟に首を捻ってくれたので、事故は無かった。
「……二度と言うな、そんなこと」
「あは、そんなにムキになるとは……」
「本気で死にたいの、お前」
「お手柔らかにお願いしますね?」
「やっぱお前、最悪の大人だ。お前相手に何したって心が痛むわけない」
「それは結構。ミリヤラ、カメラ回ってる?」
「任せてよ、オマエの逝き顔バッチリ撮ってやるからさ」
「シャレんなってないよ……」
「リノちゃん、ミリヤラによそ見しないで。僕だけを見て」
「いちいち言い方がムカつくなぁ」
シャツを脱がせざま腹を、うつ伏せにさせて後ろ手に拘束しつつ尻を、踏みにじる。赤くなった肌に土がついて、相手を汚しているという高揚を僕に与えてくる。
仰向けに戻して、顔を眺める。見つめているのがつらくなるほどの美人だ。クソ、こんな顔だけの奴に、負けてたまるか。僕は手を彼の顔から首に滑らせて、全力で凄みを利かせて睨んだ。
「……そっちこそ、僕を見て、後悔しろ。ホンモノの、生まれながらの悪に手を出したこと……」
セルシアさんの首に手をかける。鼓動が高鳴る。
やるんだな、引き返せないぞ、良いんだな?
両手を添えて、少しずつ力を加えてゆく。
セルシアさんの顔が真っ赤に染まる。
「もっと強く」
エルマリさんの声が聞こえ、
ぎゅう、と指に力を込めた。
セルシアさんの体が震えて、
瞳が揺れながら上に滑って、
口が何事かを訴え引き攣る。
「まだ……」
僕の手から逃れようとのたうち、
「まだ……」
ガクガクと大きく震えて、
「離して!!」
──いやだ。
もっと、見たい。
この人が苦しむ姿を、
僕が人を苦しめるさまを、
「おいリノ! やめろ!」
僕の体はやすやすと横に吹っ飛ばされ、獲物から引き剥がされた。
あ、僕。
やらかした、のかな。
さあっと血の気が引く。
でも
「ごめん、僕が間違いだった、セルシアさんは……」
「近づくな!」
ミリヤラ君に叱責される。エルマリさんがセルシアさんのカラコンを片方剥ぎ取り、瞳孔を確認していた。脈を取り、二人がかりで体を横向け、拘束を外す。
僕は、床に座り込んだまま、その様子を見守るしかなかった。
エルマリさんがふーっと長い溜息をついて、僕に肩をすくめてみせた。
「大丈夫、綺麗に落ちてるだけだわ。すぐに目を覚ますと思う」
「ホント……?」
安堵と共に、涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
泣くな。今のは完全に、僕が悪い。
「……ごめんリノちゃん、タックルしちゃって」
「いや、僕こそ……ごめん……魔が差したんだ……僕を……いや、セルシアさんを助けてくれて、ありがとう……」
ミリヤラ君が僕を引っ張って立たそうとしてくれたけど、僕はしばらく立ち上がれそうになかった。
やっちゃった。
やっちゃった。
本当に、やっちゃった。
台無しにした。
今まで積み上げてきた忍耐、
それを信じていた自分、
人からの信用信頼、
全部全部全部、
台無しだ。
泣くんじゃない!
甘えるんじゃない。
現実を見ろ、お前が引き起こした有りさまを見ろ。
誘惑があった?
乗ったのはお前だろう。
止まれなかったのもお前だろう。
最悪なのも、最低なのも……この、僕だ。
セルシアさんが死んでる。
いや、気を失ってるだけ。
僕がやった。僕が奪った。
あーあ、どうしてくれるのさ。
僕、気づいちゃった。
僕今、すっごく、楽しい。
こんなに反省しろって理性が叫んでるのに、目の前に僕の業が横たわっているのを見ると、ドキドキしてくる。
クソッ……ここじゃ泣けないけど、帰ったら、泣こうね。
幻想の中の綺麗な僕の死を悼んで、泣こうね。
「……あ、そろそろ起きそう」
エルマリさんが呟く。ミリヤラ君が僕を諦めてセルシアさんに駆け寄った。
「……うぅ」
セルシアさんの声だ。僕は這いずって彼の顔を見に行った。
「おはよ、色男さん。手を出した子に殺されかけた気分はどう?」
「……えぇ……? あー、んー……これで、十二回目……?」
「知らないわよ、馬鹿……」
「さっさと起きてリノちゃんにごめんなさいしろよなー」
「えっ僕が……?」
「そりゃそうよ、自分で蒔いた種でしょ」
「僕ね……綺麗なお花畑が見えたんですよね……」
「はいはい、残念ながらここが現実よ。……そろそろ、動ける?」
「エルマリに抱っこしてもらったら動けるかな?」
「じゃあ僕の方が適任だね! エルマリより力あるからね!」
僕は、気を遣われているんだろうか。
それとも疎外されているんだろうか。
やっぱり彼らは彼らだけで世界が完結していて、
僕が今の僕のままで受け入れられることはなさそうだ。
当然だよ、こんな獣、こんな悪性。
きっと笑顔で流してこの場を収めて、
後で僕とは縁を切れとなじるのだろう。
その方が、いい。僕もそう思う。
だって、ほら、僕は。
無神経に、厚顔に、このタイミングで、
腹の虫が鳴ってるくらいの怪物なのだから──
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