第9話 2024/3/10 夜
セルシアさんは僕を抱えたまま事務所に運び込んでくれた。
事務所にいたのは赤髪の、僕より少し背が高そうな少年と、白曇りの金髪を肩に流しているちょっと神経質そうな美人のお姉さんだ。ミリヤラ君と、エルマリさんだっけ。不思議な響き。本名かどうか知らないけど。
「ワーオ、ダイナミックお持ち帰り」
「直接部屋に行けば良いじゃない、なんでここに連れてくるのよ」
「見ての通り病人の介抱ですが? 僕を何だと思ってるんだ」
「オマエの行動指針はいつもひとつ。より楽しそうな方を選ぶ」
「それは間違ってないな」
セルシアさんがククッと笑ってソファにどすんと腰を落としたので、僕は彼の腕の中で変な跳ね方をした。
「……セルシアさん、もう大丈夫だから、降ろして」
「えっ、その子男の子かよ! セルシア、オマエって……これは僕の貞操もいよいよヤバいかなー」
「あのねぇ、介抱だって言ってんでしょうが」
「トップさせてくれって言ったクセに」
「嘘つきリノちゃんは日本で成人してから出直してきて下さいね」
「へぇ、リノちゃんって言うの? 僕より年下かな。日本の子なんだー」
ズルいな、多分僕が年齢詐称してたことを指してるんだろうけど、今の言い方だとトップやりますよって言ったのが僕の虚言っぽくなる。十九歳の僕なら手を出す気満々だったクセに。
「何言ってんのよ、セルシアはちっちゃい頃から売ってたでしょ」
エルマリさんがセルシアさんの腕から僕を助け出してくれた。いや、これ玩具を取り上げただけだ。さり気なくないレベルで背中に抱きつかれ胸を押し当てられた。何なの? こいつらイタリア人の集団なの?
「買う奴が十割悪いんで。僕は悪い大人だけど犯罪者にはならないよ」
「
「先に手を出した奴が負けじゃない?」
「わはは、僕もそう思うね!」
ミリヤラ君が向かいの席から笑って賛同する。
「──だからオマエらは負けな。リノちゃんから離れろ腐れアダルトども」
「えっ私も!?」
「未成年を! からかうな!!」
「おやおや、僕とリノちゃんは歴としたビジネスパートナーですよ。無闇にイタズラしてるわけじゃありません」
「へぇ……?」
「昨日動画を一緒に撮った仲です。見ますか?」
「やめて!」「見たい!」
僕とミリヤラ君が同時に真逆のことを叫んだ。セルシアさんはニヤリと笑う。僕は察して顔が赤くなるのを感じた。
「ま、どうせ編集の時に皆に見られるわけですから、今見せても同じですしね」
「うわぁぁぁ……」
僕がソファで膝を抱えて唸っている間に、セルシアさんはノートPCを持ってきて僕にピッタリ体を寄せて座った。ミリヤラ君がセルシアさんの膝に座る。エルマリさんが再び僕に引っついてきた。皆、そこまで寄らなくても見えるんじゃないか? 僕は抗議しようとしたけど、言葉になる前に再生が始まった。
──じゃあ、……クリス、とか。
自分で思っているより高い、でも間違いなく僕だと分かる声が聞こえる。
「クリス? 彼女の名前?」
──何それ、彼氏の名前? 僕が呼んでいいやつですか?
セルシアさんの言葉とエルマリさんの声が重なる。
「……好きな男」
「あらー……」
何かを察されたのか、エルマリさんは少し体を離して僕の頭を撫でてきた。だーめだ、既にめちゃめちゃ恥ずかしい。
──可愛い名前だね、クリス君か……おっと!
「コイツ、ペラペラと鬱陶しいな。さっさとヤられろよ」
「それが兄貴分に言うセリフ? 僕は悲しいなぁ」
「僕、今完全にリノちゃんの味方だから」
「ひどくない? 僕ここから一方的にボコられるんですが」
「それがシュミなんだから救いようがないよなー……わっ!?」
ミリヤラ君とセルシアさんが応酬している間に僕のハイキックがスパーンと決まった。思わずニヤニヤしてしまう。こんなに綺麗に入ってたんだな……。
「ヒューッ、クレイジーじゃん」
完全にスイッチが入った動画の僕をミリヤラ君が褒めてくれた。僕は自分が誰かを嬉々として傷付けているさまが怖くて、セルシアさんの腕を取った。
あ、今踏みつけた、とこ。ちらっと自分が抱えてる彼の右腕に目を遣ると、赤黒く変色している。これは、今動画の僕が付けた傷。
息が苦しい。自責の思いに圧し潰されそうだ。
それなのに、ドキドキする。顔が綻ぶ。興奮、している。
そっと彼の腕の傷を撫でた。痛かったのか邪険に振り払われ、その右腕が僕の肩に回された。慣れた手付きで僕の右頬を長い指が這う。少し皮膚が硬いのは、ギターをしているからだろうか。あれ、でも、左利きだったよな……。よく、分からない。ギターには詳しくないし。分かるのはセルシアさんの一挙手一投足が、めちゃくちゃ煽情的だということだけだった。
セルシアさんが口ずさむ。このMVで出す新曲、だろうか。どんな演奏で歌われるのかは知らないけど、優しく突き放すようで、この歌詞の君は僕のことかもしれない、と感じた。
僕は弱くて、残虐な自分を受け入れることができない。これが僕だと肯定するにはあまりにも重い。
──
小声で囁いたつもりだったその言葉は、妙にハッキリと僕自身に返ってきた。ミリヤラ君が小さく口笛を吹く。
「今の声、良いわね……そのまま使わせてもらえないかしら」
エルマリさんが僕にもたれかかって口説いてくる。どこが人畜無害なんだ、こいつら全員揃いも揃って野獣じゃないか。僕は身震いした。
「ハイ、動画はここまでです」
「えっ、オマエの首絞めは?!」
「無いよ、さすがに未経験の奴に僕の命は預けられない」
「そーなの!? ちょっと見てみたかったのになー」
「うん、だからホントは今日ハプバーでやるつもりだったんだけど……子供だってのがバレて門前払いされてさ……」
「それで腹いせに襲ってさっきみたいに担いで帰ってきたの?」
「ミリヤラはマジで僕を何だと思ってるの?」
「倫理観蒸発野郎」
「よく僕の膝の上でそんなに挑発できるよね」
「僕に手を出したらウイリマに言いつけてやるんだー」
「全く……」
セルシアさん、ウイリマさんの名前出された途端に嫌そうな顔して黙ってしまった。何となくこのグループの力関係が分かってきた気がする。
「じゃあ、今からここでやってあげれば良いんじゃないの?」
「それ良いね!」
「いや、リノちゃんお腹空いたって言うから帰ってきたんですが」
「じゃー、ウイリマにピザ買ってこいって言うよ。んー、……リノちゃんが、いるから、テリヤキもね、っと……よし」
「これで時間が出来たわね?」
僕が何を言う間もなくどんどん話が進んでいく。別に日本人全員テリヤキが好きなわけじゃないんだけど。いや、思考を逃避させるな、しっかりしろ、僕。
「なんでそんなにエルマリが乗り気なの?」
「ん、だってMVに首絞めるとこまで載せたくない? 友達を殺して脱獄する天使にピッタリだわ」
「ワオ、僕死ぬまでいくのか……」
「やーね、死んだフリよ。リノちゃんもそんなに青ざめないで。ちゃんと落ちる寸前で私が止めてあげるから」
「なら、良いけど……どうします? リノちゃん」
セルシアさんが呆気なく受け入れて僕の顔を覗き込む。怖い。怖いけど、またとないチャンスでもある、と思う。僕は基本的に好奇心の塊で、いけそう、やってみたいと思ったことにはブレーキが効きにくい。相手は良いって言ってるんだから、さぁ。自己責任で、さぁ。
餌を目の前にして、我慢するなんて、我慢してやるなんて、クリス相手だけで十分だろ。
元々今日はそのつもりで準備してきてたんだ。
「……やりたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます