僕が世界から拒絶された日(全3話)
第8話 2024/3/10 夕刻
まあ、当然の結果なんだけど。
セルシアさんに連れて行かれたハプニングバーで、僕は年齢確認され、パスポートで十六歳とバレて追い返された。
セルシアさんはそこから急に不機嫌になった。どんだけ期待してたんだか……。でも僕も彼の顔を潰したわけだから、ごめんね、としおらしく謝った。
「ハァ……。昨日撮影した動画もすごく良かったのにな……君が未成年だと撮り損じゃないか……」
「駄目なの? 別にあれは、レーティングとか関係ないものに使うんだよね?」
「動画自体はそうだけど、未成年なら親の合意とか要るでしょう」
「セルシアさんって変なとこ真っ当なんだね」
「煽ってるんですか? 僕が君にどれだけ腹を立ててるか。リベンジポルノに無修正で流してやろうか?」
「ポルノではないだろ、別に……修正するとこないよ」
「君の顔を隠さずにってことですよ。MVでは顔は分かりづらいようにシェード入れたりブラーきつめにかけたりする予定……だったんですよ、ハァ……」
「何かよく分かんないけど……お気遣い感謝?」
「んもー……」
この人、ダウンタウンの人なのに全然Fワードとか悪態とか言わないのな。僕はそれに気づいておかしくなった。趣味が悪い以外はいい奴、なんだろう。僕も、いつかそうなりたいなぁ……。
事務所に帰ってから言おうと思ったけど、なるべく早く機嫌を直してほしくて僕は往来で口を開いた。
「あー、親の許可なら、多分おりると思うよ?」
「えっ? あんな動画に?」
「MVの撮影、とだけ言って、父さんに一報入れとく。あの人甘いから、僕が傷ついてる側じゃなきゃ、完成動画見ても何も言わないよ」
「えっ、そうなの? じゃあまたお願いしてもいい?」
「三日後にはヴァージニアだってば」
「行きますよ、片道六時間くらいでしょ」
「来月末には日本だよ」
「行きますよ、片道六時間くらいでしょ」
「いや十五時間かかるよ!」
どんだけ好きなんだよ、僕のこと!
そう言いかけて、僕は口を噤んだ。冗談でもそんな思い上がったことを言おうもんなら、容赦なく地に叩きつけられる気がして怖かった。この人はきっと、そういう人だ。今まで何人も、何十人もそうやって躾けてきているに違いない。
怖い世界、怖い大人。ニューヨークに来て十日目、ついに僕はホームシックになった。正確には、クリスシック。
クリス。淋しいよ、会いたいよ、抱き締めたいよ。
どうして一人で生きていけると思ったのだろう。
どうしてあいつを諦めようと思ったのだろう。
昨日セルシアさんにやったのと同じことを、
あいつにやっても良かったんじゃないか。
あ。
今の、ナシ。
冷や汗が勝手に顔から吹き出た。
本当にどうかしてる、僕。たった一回いい思いをさせてもらっただけで好かれてるんじゃないかと思ったり、一人に受け入れられたからってクリスにも同じことができるんじゃないかと思ったり。
頭の中お花畑かよ。
心臓がバクバクと脈打つ。
吐きそう、気持ち悪い。
大通りで僕が急に立ち止まったのを、後ろから来た男が舌打ちしながら避けていく。
今すぐ消えてなくなりたかった。
「どうしたんですか、リノちゃん」
「ちゃん?」
「日本では子供のことをそうやって呼ぶんでしょう。……酷い顔してる、汗? 何かあった? 気分でも悪い?」
「……大丈夫」
「僕がストーカーまがいのこと言ったからかな?」
「違うよ……大丈夫……ちょっと、頼らせて」
「いいですよ、掴まって」
昨日と、逆だな。僕はそう思いながら、セルシアさんにもたれかかった。
息を荒らげた僕の鼻に、セルシアさんのムスクが直撃する。
本当に無理、ヤバい、頭がおかしくなりそう。
僕、僕は、誘惑されているのか。
「……ダメそうですね、失礼」
「何……っわ!?」
僕の足が宙に浮いた。ひょいと抱え上げられる。ちょっと僕、これでも五十キロはあるんだけど!? これが民族の差……?
「僕の首にもたれてください。安定するので」
「うん……」
くそ、助けてくれ、誰か。
この男を、違う、僕を止めてくれ。
僕は宙に浮いた恐怖心にかこつけて、セルシアさんの首にしがみついていた。
ああ、この動悸は。
何に対する恐怖心だというのか。
嫌だ。嫌いだ。
善い人間のことを、善いからという理由で忌避するような僕になりたくない。
普通の善い人間なら、つらい時に助けられたら、素直に喜べるはずなんだ。
僕は違う。
僕は今、嫉妬してる。
クリスだからじゃなかったのか。
仲間だと思ってたこの人も、光の側なのか。
僕はこんなに醜くて、こんなに淫乱で、こんなに罪深い。
「……セルシアさん、さぁ」
「何ですか?」
「これ、下心、ある?」
「……。」
顔は、見たくない。呆れられていても、笑われていても、無表情でも、傷付く自信があった。
「……ふふ、あると言った方が、君は嬉しいですかね?」
「……最悪」
予想以上に最悪な答えが返ってきた。
こいつ、僕がなんで苦しんでるか、見抜いてんじゃないのか。
クリスが無自覚に僕を照らしてしまう光の生き物だとしたら、こいつはわざと僕に自分の光を当ててくる生き物ということか。
たちが悪い。最悪。思うつぼにハマってる僕も最低。
僕はすり、と首筋の衣類を鼻で寄せて、露出させた肌に歯を立てた。
──Fxxx you.
──Oh, do you?
少しおどけて笑う声が僕の体に響く。
僕はもう、罠にかかった兎も同然だ。
鼻奥がつんとして、涙が溢れてくる。
これは何への涙だというのだろうか。
僕はもう、考えたくなかった。
どうせ自己愛。どうせ弱さだ。
獣らしくこのまま彼の食卓へ。
「……これから、どこ行くの」
「姫の行きたいところはどこですか?」
「お腹空いたな……」
「そんな顔色してる子を入れてくれる店なんかないですよ。事務所に帰って食べましょうね」
「ん……僕も、食べられるの?」
「それは、君次第ですねぇ……」
「食べないでくださーい」
「仕方ないですね~」
ほら、そうやって簡単に引き下がる。
やっぱり、お前は僕のことなんか本当にどうでもいいんだよね。
仲間を、理解者を、渇望しているのは僕だけだ。
派手なネオンが僕らを照らす。でも彼に体を預けて目を閉じてしまえば、恥ずかしくはなかった。
僕は子供で。僕は弱くて。
まだ体だけの関係なんて、理解したくもなかった。
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