第7話 2024/3/9 夕刻
撮影は廃ビルの一角でやることになったらしい。カメラを数台設置して、回しっぱなしにする。ウイリマさんは一階で見張りをするそうだ。他の人間は来ていない。僕とセルシアさんのタイマンってやつだ。
撮影の前に、顔以外、お互いの怪我に責任は取りませんという旨の念書を書かされた。
「とはいえ、君には危害は加えません。僕がどうしても耐えられなくて抵抗して突き飛ばしてしまったり、君が殴り過ぎて自分の指や手を怪我したり、その程度のことだと思って下さい」
「分かった」
往来でちょっと喧嘩になった、くらいに説明すれば、留学仲間や引率する先生にも言い訳が立つだろう。
心臓が高鳴る。本当に? 合法で? 傷を付けて、いいの?
「これ、さあ、僕の声は入るの?」
「録画の時点ではお互いに入りますが、曲のMVなんで全部消しますよ」
「ふーん、じゃあ僕が日本語で罵っても大丈夫なわけだ」
「そうそう、プレイなんで、セーフワード決めてください」
「僕が決めるの?」
「君が理性失ってても聞ける単語がいいでしょう」
「へえ……じゃあ、……クリス、とか」
「何それ、彼氏の名前? 僕が呼んでいいやつですか?」
「あっ、えーと」
「可愛い名前だね、クリス君か……おっと」
僕が振り抜いた拳を、セルシアさんは笑顔で
「こらこら、セーフワードじゃなかったんですか? 僕がクリス君って言ってる間は、君は僕に手を出しちゃ駄目ですよ?」
「ぐぬ……」
「ああ、か弱いなぁ……筋肉とか全然無いんですね。なのに、心だけが獣なのか。ふふ、良いですね、抵抗できるのに敢えてやられっぱなしというのも……ドラマがあって……ワクワクします」
「気ッ持ち悪いな……でも、カメラもう回ってるんだろ? 無駄な抵抗は勿体なくない?」
「それは、そうですね。それじゃ、始めましょうか」
「ふん……」
聞くなり、僕は跳び上がってセルシアさんの側頭部にハイキックをお見舞いしてやった。体重は無いけど、スピードはある。セルシアさんは驚いた表情のままマトモに食らってふらつき、床に片手をついた。
ふっ、どうだ。ヒョロガリの僕だって護身術は真面目に習得してるんだ。有名人の息子として、絶世の美少年として、必要に迫られてね……。
そのまま肩を踏み降ろして地面に転がす。セルシアさんはさっきまでの余裕の表情を消して真面目に痛がってくれている。悔しそうな顔、どこまで演技か分からないけど、僕が楽しいと感じるから大丈夫。
さあ、倒錯の時間の始まりだ。
声がいいな、と思う。
うめき声、痛みに耐え兼ねた悲鳴、溜息混じりの喘ぎ声。
歌い手だからだろうか。それとも、クリスもこんな、良い声で鳴いてくれるんだろうか。
「ねえヘンタイ、うるさいよ、喘ぎ過ぎ。そんなにイイの? 顔殴れないから黙らせられないなぁ」
シャツに手を入れて、腹を剥き出しにさせる。色の変わっていない場所の方が少なかった。そこを丹念に踏み潰す。僕の足を止めようとしたのか手が伸びてきたので、思いっきり蹴っ飛ばした。
「んねー、ロープか何か無いの? 抵抗がいちいち邪魔。脱臼はさすがにさせらんないし……ああ、これでいっか」
うつ伏せに転がしてシャツを脱がせ、腕を背面で重ねさせる。そこを引き抜いたベルトで縛ってやった。
「……、ちょっと、ベルト取らないで下さいよ。僕のセクシーが溢れちゃいます」
「キモい、黙れ」
クソ、余裕なのかよ。僕を逆撫でして煽ろうとする意思を感じる。後頭部を踏み躙る、もしかしたら顔に内出血くらいはしたかもな。背中はまだまだ綺麗な方だから、しばらくはこの向きで遊ぼうか。
「リノ君……僕の顔が映らないのはちょっと。元に戻して」
「はっ、嫌だね。顔が見えないんならこうしたらいーじゃん」
僕はセルシアさんの髪を右手で掴んで後ろに引っ張った。あう、と情けない悲鳴を出してお綺麗な顔が歪んだまま僕を見上げる。大人の癖に十六の子供に良いようにされている。それでもその目はどこか楽しそうで、物欲しそうで、ああきっと、今の僕と同じ目をしているのだろうと……
気づくと僕の左手が、セルシアさんの首を撫でていた。
ヒューッと彼が息を吸うと、喉仏がころりと動く。
僕が何をしたいか、彼はきっと勘付いている。
僕は口を開いた。頬が吊り上がっていく。
今僕、笑ってるんだ。喜んでるんだ。
「首絞めて、いい?」
彼の耳朶に囁き尋ねる。
「経験は?」
「あるわけないじゃん」
「じゃ、今日はやめてくれますか。二人きりでやると事故が怖いから……」
「二人きりじゃないとこで、やれっていうの? 正気?」
「君が正気じゃないから、こうやって交渉してんですけどね」
「ええ、今それ言う……?」
「絞める気満々だったじゃないですか」
「ちゃんと確認したでしょ」
「さっきのタイミングでばっさり断ってたら、絶対喜んで絞められてたと思います。言葉を重ねたから君も理性が戻ってきただけ」
「知った風な口利くじゃん……」
僕は小さく舌打ちしてセルシアさんの頭を突き放した。ごち、と鈍い音を立てて床にぶつかる。
「痛った……顔に傷ついたらどうすんですか……。ああ、そろそろ十分撮影できたと思うんで、今日は終わりでいいですか」
「僕、全然足りない」
「だから、ね、女王様。今度もっと素敵な場所にお連れしますから。」
「……ん、僕ニューヨークに居るの、あと四日なんだよね。その後はヴァージニアで……」
「あ、そうなの……。あと四日か……じゃあ、明日の夜とか」
「急ぐね? どうして?」
「君を手に入れたいからですよ」
「……本気なの?」
僕はお前のこと玩具だとしか思ってないのに。
お前なんか、クリスの代わりにすらならないのに。
クリスに出来ないことしか、してやるつもりないのに。
そんな僕だと分かってて、手を出してみたいっていうのか。
「駄目、ですか?」
「チャレンジしたいなら、勝手にすれば?」
断れよ僕、最低だな。
セルシアさんがニッコリと笑う。
ああ、
お前はお前で、最悪だ。
僕はお前のせいで、
僕の悪性を抑えられなくなっていく。
僕が悪いんじゃないって、思ってしまう。
お前のせいで。
僕がおかしいのはお前のせいだって、僕がおかしくなってしまう。
依存、かもしれない。
よくない、と思う。
ねえ、僕の理性、
息、してる?
「……セーフワード。言って」
「クリス君、ですか」
「……。はぁ……、……今日はおしまい、ね」
「はい」
クリスの名前を聞いて、理性が少し戻ってくる。僕は拘束を解いた。セルシアさんが笑顔でカメラを止めて回る。まあ、結構ストレス発散にはなった……かな。初めてだった、あんなに思う存分、人を痛めつけられたのは。そうだなあ、こんな機会がもう一度あったら、僕は本当にこの行為を「許してもらえる相手もいる」ものだと認識してしまいかねないだろう。
それは、駄目だ。
そうなると僕は、実質この人に依存してしか生きていけなくなる。
「明日の何時に、どこに行けばいいの?」
それでも興味が勝ってしまうのは、僕の弱さだ。
この人の誘いに乗っていけば、きっと僕は救われる、のだろう。
それを不要だと捨ててしまうのは、とても勇気の要ることで。
「事務所に、午後六時。ご飯は食べないで来てくださいね、吐いちゃうと困るから」
「……分かった」
素直に頷いてやると、銀色の最悪の天使は、とても嬉しそうに笑ったんだ。
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