リノの留学(全4節)

僕が最悪と出会った日(全2話)

第6話 2024/3/9 午後

 なんかやばいことになってるなと思ったんだ。

 今思い返せば、構わなきゃ良かったんだ。

 でも、そいつと目が合ってしまった。


「おまわりさん、ここです!」


 路地裏の手前で、僕は横を向きながら声を張り上げた。

 まるで表通りを歩く警察官を誘導するかのように。


 ここはニューヨーク、夜の摩天楼に人間のカタチをした魑魅魍魎どもが跋扈する街。

 僕が見かけたのも、あるいはうつくしい魔の者だったのかもしれない。

 そいつは、雑居ビルの合間の物陰で、男三人に暴行を受けていた。

 ぬっと上体を起こしてこちらを見てきた連中は被害者含めて全員僕より背が高くて、今更身の危険を感じたけれど、通りに立っている間はきっと大丈夫なはずだ。


「えーっと。じゃ、お金はそのままあげるんで、今日は帰ってくれますか、君達」


 被害者がケロリとした顔で加害者共に指示すると、彼らは僕の方を気にしながら足早に立ち去っていった。

 あれ、僕、なんかの邪魔した?

 周りを確認しながら、僕は一応被害者の様子を見ようと路地裏に入っていった。物陰でも分かるくらい明るい銀髪の美人だけど、声からすると男だ。


「あの……大丈夫?」

「ふふ、優しいんですね、君。大丈夫ですよ、これは撮影なんで」

「撮影?」

「僕らの次の新曲に使うMVです」

「でも、ホントに怪我してるし……」


 僕は言い募る。自分が余計なことをしたとは認めたくなかった。

 だって本当に、襲われていたんだ。血だって出てるじゃないか。


「このくらい怪我のうちに入りませんよ。全然足りません」


 柔らかな笑みを浮かべていた彼は、最後の一言にだけ棘を滲ませた。


「……なに、殴られるのが好きなの?」

「撮影だって言いませんでした? 迫力が足りないっつってんですよ。もっとボロボロにならないと」

「往来でやるなそんなこと」

「ん、ふふ。それはそうかも。面白いですね、君。顔も可愛いし。天使が僕を罰しに来たのかと思いました」

「助けに、じゃなくて?」

「ええ、僕は、悪い大人なので……」

「奇遇だね。僕も悪い子だよ」

「悪い子が知らない奴を助けようなんてしませんよ……。さては君、田舎者だな?」

「田舎じゃなくて、異邦人。日本から来た」

「ああ……幸せの国ジャパン。道理で……」


 そいつがゆらりと立ち上がる。ふらついたので思わず半歩踏み出すと、そいつは自分から僕の肩に軽く寄り掛かってきた。


「痛むの?」

「うーん……ホントなら彼らが運んでくれるはずだったんですが。ね、君、このまま事務所まで僕に肩を貸してくれませんか」

「えー、中には入らないよ、怖いから」

「あのねえ、僕を何だと思ってんですか……。

 電話持ってる? The Arrested Angelsで検索してみて」


 うわあ、いかにもな名前だな。僕はそう言いたいのをこらえて検索してみた。この男と、金髪の女性と、赤髪の男……少年? の三人組か。

 じゃあさっきのいかつい連中は何者? ボランティア?

 ともかく、思ったよりも……


「思ったより人畜無害そうでしょ」

「まあ、ね。いーよ、僕が邪魔したんだし、手伝ってやるよ」

「ありがとうございます」


 それが、僕と〈最悪〉との出会いだった。



 事務所は現場からそう遠くないダウンタウンの外れの廃墟、もとい汚い雑居ビルの三階。このご時世エレベータの無いビルなんて、体力の無い僕には過酷だった。しかもこのおにーさん、意外と重いし。なに、隠れマッチョってやつ? 全然嬉しくないけど。

 ようやく事務所に辿り着く。扉を開けるのに手間取っていると、中からイタリアマフィアか? って感じのいかつい黒髪赤スーツのおにーさんが出てきて僕は思わず足が竦んだ。メンバーは女子供なんじゃなかったのかよ!


「……またヤッたのか、セルシア」

「ウイリマいたの? いたなら迎えに来てよ……」

「迎えに来てほしいなら連絡寄越せ。エスパーじゃないんだよ俺は。……嬢ちゃんここまでありがとうな。重かっただろ、こいつ。寒くないか? ココアでも飲んでくか?」

「……カフェラテがいい。あと、僕男だから」


 マフィアにナメられたら消されるかもしれない。僕は腹をくくってせいぜいセルシアさんというらしい銀髪男を助けた恩を高く売ることにした。


 セルシアさんを二人で応接間に運び込み、長椅子に座らせる。彼は僕の前でも気にせず上裸になって横になった。

 見るのも申し訳ない気がしたけど、反対側に座った僕は思わず見とれてしまった。

 白い肌は、傷だらけ。

 今日つけられたのじゃなさそうな切り傷や痣も多い。

 顔に傷がひとつもないということは、この傷全部、さっきみたいに彼が望んでつけられたものなのだろうか。

 ああ。

 良いなぁ、

 つけてみたい……。


「……気になりますか?」

「そりゃまあね。酷いザマじゃん」

「ん……僕の仕事ですからね。あとのメンバーにこんなことさせられないし」

「ああ、AAの?」

「だいたいArre'Nって呼ばれてます」

「アレン……。知らなくてごめん」

「ふふ、君みたいな人にまで僕らの音楽を届けようっていういい目標になりますね。

 ……金髪の女の子……エルマリは大学生で、ミリヤラはまだ高校生なんです。大人は僕と、さっきの裏方のウイリマだけ。だからアングラっぽいのは全部僕が担当なんですよね」

「好きなの?」

「好きじゃなきゃやってないですよ、こんなこと。

 ……君、名前は? 歳は?」

「リノだよ。リノ・ライノ。十九歳」

「へえ、成人してるんですか。意外だな、やっぱりアジアの血が混じると若く見えるのかな」


 そりゃそうだろうな、と思う。僕はホントは十六歳だ。サバを読んだのは、身代金目当てのキッドナップに巻き込まれたくなかったのと、


「ねぇ、リノ君。こういうことに、興味があるんでしょう? 一緒に仕事してみますか?」


 ……そう声を掛けられるだろうなと見越してのことだった。


「……僕、マゾヒストじゃないよ」

「ふむ、サディストってことか……良いですね」

「えっと、いつからバレてた?」

「僕を助けてくれた時に……普通の人なら傷や血に忌避感を示すんですよね。君にはそれが全然無かった。今だって、羨ましそうに僕を見てる。おおかた、相手に不自由してたんじゃありません?」

「世界一格好良いボーイフレンドならいるよ」

「へぇ……?」


 セルシアさんの目が妖しく細められる。もしかして、挑発してしまったのだろうか。


「サディストなのに、ボトムなのか」


 その言葉に僕は思わず真っ赤になった。なんで、なんでコイツ、僕がネコだって見抜いたんだ? セルシアさんはゆっくりと上体を起こした。気だるげにゆらり立ち上がり、僕の前にやってきて、僕を覆うように屈み込む。彼の両腕が、僕を挟んでソファの背もたれを押さえた。完全に逃げ遅れた。


「僕にしとかない? リノ君。君相手ならトップもできますよ。君は綺麗なブロンドですね、肌も傷一つないし睫毛も自前でこんなに長くて、まるで本物の天使のようだ。僕みたいな反逆児じゃなくて、ね」


 薄紅かかった銀色のショートボブの髪が、さらりと揺れる。眠たげに垂れ下がった目尻と、カラコンなのか、不思議な薄灰色の瞳。白く高い鼻梁の下にある厚めの唇から、僕を誘惑する言葉が紡ぎ出された。


「相手いるって言ってんのに諦めないの?」

「だって君、溜め込んでいるでしょう。そのハンサムな彼氏にお願いできるんですか? きっと、可愛い女の子のように抱かれているんじゃないです?」

「……」


 ドキドキ、する。

 ああ、僕、やっぱ最低だな。

 クリスと念願叶ったばかりだってのに、

 知らない男のこんな安っぽい誘惑に惹かれるなんて。


 大人の世界、僕が浮かない暗い世界、僕が息のしやすそうな狂った世界が、僕を迎えに来てくれた心地がした。

 僕、は。


「……今は間に合ってる。撮影には協力するけど、お前に抱かれるつもりはない」

「おや残念。ええ、でも、ありがとうございます」


 案外スッと引かれて驚いた。僕の顔や体目当ての人間はこれまで何度も出会ってきたが、こんなに余裕の笑顔で引き下がられたことはなかった。この人は、不自由してないんだろうな。僕に声を掛けたのだってただの気まぐれか、せいぜい画面映えのためなのだろう。

 つまり思う存分殴っていい、汚い大人だ。

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