第5話 2024/2/15 午後

「結構滑ってたんだな、そろそろ二時間か。お昼にしよー、温まるやつー」


 僕が黙りこくってベンチに座って俯いたまま動かないので、クリスがスケートシューズを脱がせてくれた。情けない。こんなの、僕がクリスを好きなこと、モロバレじゃないか。


「……いつまで凹んでんだよー。そこまで傷付かれると俺だって傷付くぞ……」

「……へ? なんで?」

「ほら立って。帰ろ。寒かったんだろってことにしといてやるから」

「……? うん……」


 いや、え? 分かんないな。僕がうっかりキスして凹んでるとクリスが傷付く? クリスが傷付くってことは、僕が凹んでるのが駄目だった? なんで? もしかして僕が凹んでる理由を勘違いしているのか?


「……クリス。キスしてごめんね」

「えっ? なんで?」


 やっぱりか。こいつ、僕がうっかりときめいてキスしてしまったことを悔やんでると思ってやがる。恋人になるつもりないのに、揺らいでしまったと。あー、言葉にすると違わないんだけど、ニュアンスが決定的に違うんだよなぁ……。


「……馬鹿」

「ねえ、なんで??」

「ううん。僕お前のそういうとこ、大嫌いだな」

「大嫌いって顔じゃなくない?」

「ふふ……楽しいから仕方ない……あとで殺す」

「なんでぇ!?」




 スケート場があるのは商業施設の一角だから、昼ご飯はフードコートで済ませられる。ラーメンと迷ったけど、デートでそれはあまりにも色気がねえなと思ってオムライスにした。クリスは気にせずラーメンを買ってきやがった。ほんと、こいつ……。


「デートでラーメン食うんじゃねえよ」

「そうなの?!」

「女の子より先に食い終わっちまうだろ。口も臭くなるし。汁もはねるし」

「おおー、確かにー!」


 そう言いながらもクリスはズルズルと麺を啜る。まあ、僕相手に気を遣えとは全然思わないけど。


「……お前そんだけモテるのに女子と飯に行ったこともねえの?」

「モテるっつってもサシで遊びに行くまでに至ったことは無いな……」

「マジか……そりゃ女に興味無いと思われるわ……」

「リノはあんのかよ!」

「え? まあそりゃ、誘われたら行くよ」

「えっ、裏切り者ー!」

「ハァ? 勝手に彼女作った奴にだけは言われたくねえな!」

「一緒だろー! 彼女にしてやらなかった分不誠実とまで言える」

「一緒なら裏切り者でも何でもないだろ!」

「……確かにー!」


 なはは、とクリスが笑って折れてくれる。僕の溜飲が下がるようにすっと引く。お前は本当に僕の扱いが上手いと思う。お前と話してて喧嘩以外で嫌な気持ちを引きずったことがない。ストレスでむしゃくしゃしてても、お前と話してるといつの間にか僕の顔は緩んでいる。

 こんなに僕が安らげるのはお前だけだ。できるなら、お前とずっと一緒に生きていきたかった、な……。いや、まだ諦めたわけじゃないけど……お前の気持ちも、考えないとだよね。

 お前が僕のこと欲しいって、本気で思ってくれたら良い。何があっても手放さないって、それが自分の幸せなんだって、本気で望んでくれたら僕は喜んで僕の心を捨てられる。優しいお前じゃ駄目なんだ。お前は僕の幸せなんか考えるな。僕の幸せは、僕が調整しておいてやるから。


 このまま、お前に惚れちゃった、ということにしようか。

 みっともなく、彼女の次で良いから、と縋りついてみようか。


 正直、この日の昼食の味は覚えていない。




「んで、他に行きたいとこは映画、ゲーセン、カラオケ、本屋、ボーリング、バッセン?」

「さすがクリス、僕のことだけは記憶力いいよね……映画って今何やってる?」

「え、見たい映画あるから行きたかったんじゃないの?」

「んー? 別に。カップルって映画館でイチャイチャするもんなんだろ」

「リノは映画中ちょっかいかけたらブチ切れるじゃん」

「当たり前でしょ」

「駄目じゃん」

「確かにね」

「てか、なに、イチャイチャしたいのー?」


 クリスが笑って僕の顔に手を伸ばしてくる。ん、と首を傾げて差し出してやると、よほど意外だったのか急に真顔に戻り、そっと僕の頬を撫でた。


「……なぁ、リノ」

「何?」

「ホテル行かね?」

「行くわけねーだろこの変態」

「でっすよねー!」


 クリスはまた笑顔に戻り、僕の左頬をふにふにと揉む。なすがままにされながら、僕はあれ? と引っ掛かった。今の、割と本気だったのでは? いつものように返してしまったけど、今、こいつ、ちゃんと自分本位だったのでは?


「……別にわざわざ金出さなくても、そういうのは家で良いじゃん」


 クリスの右手がぴくりと反応して、動きが止まる。


「……えっ、それはそうだけど……本気にするぞ?」

「今日は恋人役だって言ってるだろ」

「なんで……今日はそんなに優しいんだ?」


 優しい? 優しくしてるつもりはなかったな。お前、僕が無理にお前のこと好きになろうとして頑張ってるようにでも、見えているのか。


「このままお前と離れたくないから」

「……そうか、ごめん」


 クリスの顔がつらそうにゆがみ、スッと右手が引っ込む。

 ああ……そうか、失敗した!!


「違う、謝らないで、僕は無理してない、僕は本当に嫌じゃない」

「リノ……」

「僕が今までお前のこと受け入れなかったのは、僕が……っ」


 思わず口走ろうとして、ヒッと喉が鳴った。僕、今、何を。

 落ち着け、誤魔化せ、まだ何とかなるはずだ。


「……僕が、お前に……幻滅されるのが。嫌だと思ったからだ」

「は、なんで幻滅……?」


 動揺して、目を伏せてしまう。綱渡りでもしてる気分だ。本当ならもっと時間をかけて上手い言い訳を考えておくべきだった。してこなかったのは僕の怠慢、僕の甘え。クリスなら許してくれると思っていた結果が、このザマだ。


「……僕が、男だから……やっぱ、お前の欲しいもの、全部には答えてやれないと思うから」


 どうだろう、上手く誤魔化せたか? 恐る恐るクリスを見る。いつになく真剣な顔で、ドキリとしてしまう。


「……俺がそんなことで幻滅するって? 男同士で何が出来て何が出来ないか、俺が調べてないとでも思ったの?」

「クリス、お前……」

「必要そうな道具も全部揃ってるけど?」

「それは引く」

「お褒めに預かり光栄の行ったり来たり」

「褒めてねえよ……」

「だから、さ」


 クリスが立ち上がり、ソファ席に座る僕の隣に来る。朝嗅いだよりも濃い匂いがして、頭に血が上るのが分かる。この流れは、もう、さぁ。

 頭を優しく抱えられ、唇を塞がれた。

 ……だからラーメンはやめとけって。


「リノ。リノが好きだ。俺のものになってくれ」


 胸が、苦しい。嬉しいけど、ここまで来てしまった。

 僕が仕向けた通りだ。

 思い通りじゃないのは、僕の気持ちだけだった。

 このまま僕は、お前の未来を奪ってしまうのか。

 僕はお前のものだ。

 でもお前は僕のものになっちゃ駄目だ……なんて。

 無理。


「……いい、よ」


 弱くてごめんなさい。

 大好きになってごめんなさい。

 お前と一緒だと僕は狂ってしまうのに、

 それでも、どうしてもお前を手放したくなくて。


「ありがとう。……それじゃ、帰るぞ」

「ん……」


 僕は自分を隠してお前の恋人になる。

 今日だけ。今日だけだから、見逃してほしい。



 その後家に帰った僕らが何をしたかなんて、カミサマ以外に教えてやる義理はないと思う。




「クリス……お腹すいた」

「んー? あ、もうこんな時間か……何も買ってきてねえな、食べに出るか」

「んあ……動くの?」

「あ、無理そう?」

「多分平気……シャワってくる」


 僕はベッドからのそりと起き上がり、尻に貼り付いたタオルを剥がしてそのまま風呂場まで持っていって洗濯籠に投げ入れた。

 髪は今濡らすと出掛けるのに支障が出る。雑に編んで後で直してもらおう。

 シャワーに掛かる。自然と大きな溜息が出て、僕は床に座り込んだ。

 さっきまでのことを反芻する。

 上手くやれたとは、思う。クリスはすごく喜んでくれたし、僕も嫌な気分じゃなかった。ちょっと我慢できなくて引っ掻いてしまったけど、まさか傷を付けるのが目的だとはバレていないだろう。

 楽しかった。ありがとう。

 もう一度は、耐えられない。


「やだなぁ……」


 お別れなんて嫌だ。でも、このままだと破綻する。クリスは長年の思いが成就したと思っているのだろう。そう、お前の望みは叶えてやった。だから、もう、いいだろ。満足しろよ、僕……。

 髪を濡らすつもりはなかったのに、気付くと頭からシャワーを浴びていた。



「リノは何食べたいー?」


 クリスが再び僕の髪を乾かしながら尋ねてくる。


「ラーメン」

「デートにラーメン食うなっつったじゃん……」

「もうデート終わりでいいだろ。明日出てくんだから、荷造りしないと」

「えっ……出てくって、なんで」

「は? 出てけっつったのお前だろ。ボケたの?」

「だって、俺のものになってくれるって言ったよな?」

「今日は、ね。お前はそのまま彼女を大事にしろ。もう僕を求めるな」


 僕の言葉を聞いて、クリスはドライヤーを切った。後ろから僕の肩を抱いて、洗面台の鏡の中の僕を見てくる。


「そんな……だって、リノも俺の本気聞いて受け入れてくれたんじゃねえのか。それとも……やっぱ、無理だったのか」

「……心配すんなよ、楽しかったって。でも、僕じゃ駄目だ。せっかく好きな女の子ができたんだろ?」

「あいつと付き合うのは、リノのこと諦めたら、っていう前提があってだ。今の俺はお前のこと諦められない」

「あのさぁ……僕もやっぱ男だから、本当は女の子と付き合いたいんだよ。クリスとの関係はそりゃ好きだし居心地良かったから捨てがたいけど、お前も僕も彼女作って幸せになるのが一番だと思わない?」


 なんて言ってみたけど、さらさら嘘だ。好きな女の子ができたとして、僕の欲望をぶつけるわけにはいかない。頑丈なクリスよりもなお駄目だ。最悪殺してしまう可能性がある。でも素直なクリスは嘘だとは思わないだろう。


「俺……リノのこと幸せにするよ? やりたいこと、してほしいこと、何でも叶えるよ。お前は女の子と付き合ってても良いから、俺のそばにいてくれないか?」


 息が詰まる。

 何でも叶えるよ、なんて、絶対に無理なのに。お前はどうしてそんなに軽々しく僕の欲しい言葉を垂れ流せるんだ。

 女の子の次でも良い、なんて、僕がお前に言いたくても言えないこと、なんでお前は言えるんだ。

 狡いよクリス。この馬鹿、考えなし。

 ああ、もう、死んだ方が良いかなぁ。


「……頭冷やせ。一旦、お互いに距離を置こう。どうせ僕の留学もあるし、お前は僕がいなくなったと思って過ごせ。インカーちゃんと、お幸せにね」

「無理だ、俺今日こんな……こんなの、一生忘れられるわけないよ……」

「僕もだよ、クリス。今日はありがとう。ほら、ラーメン行こ」


 クリスはしばらく押し黙って、ハァと溜息をついた。その溜息は、僕の我儘を聞くために折れる時に、よくするやつだ。


「……俺昼もラーメンだったんだけど」

「僕は我慢したから食べたい」

「仕方ねえなぁ……」



 一生忘れるわけない。

 僕の大好きなクリス。

 僕の分までお幸せに。

 僕は十分受け取った。

 もう、死んでも良い。


「……リノ。お土産、期待してるから」

「……ああ、うん。大丈夫だよ」

「ん? 何が?」


 何でもないよ。

 ちゃんと、生きていけるよ。

 今日のお前との思い出を抱えて、ずっと。


「いや。行こ」


 僕は最後まで何も説明せずに、笑顔でクリスの手を取った。

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