第14話 ジョーンズ家の危機

 最初に感じたのは、小さな地面の揺れだった。

 アリアは長兄のマイロと、次男で彼女の双子の兄であるリアムとともに、運動がてらジョーンズ家の敷地内の訓練場で木刀を合わせていた。


 足元がわずかにぐらついた感覚がしたとき、最初は地震かと思った。

 しかし、小刻みにだんだんと近づいてくるドドドドッ、というその地響きは、明らかに地震のそれではなかった。


「魔物の襲来だ……!」


 血の気の失せた青白い顔で、マイロがうわごとのようにそうつぶやいたとき、アリアは直感的に思った。

 嘘だ——と。


 魔物の生息地を考えれば、やつらは複数の領地を越えなければジョーンズ家ここまでたどり着くことはない。

 そしてもしそれらの領地が全てやられるほどの事態なら、ここまで誰も気が付かないはずがないからだ。


 だが、実際に地響きはどんどん近づいてきており、遠方に土埃も見えた。

 快晴の空を汚す茶色いその煙は、到底馬車などで生じさせられるものではなかった。


 ——もはや、決して小さくはない魔物の集団が接近していることに疑いの余地はなかった。


「ど、どうして魔物が……!」

「考えるのは後だ! 大至急、迎撃準備に取り掛かれ!」


 マイロの大声で、固まっていた者たちが一斉に動き出した。


「マイロ、リアム、アリア!」

「状況は⁉︎」


 家から三兄妹の父親にしてジョーンズ家現当主のセオドアと、同じく母親であるモーヴも飛び出してきた。

 セオドアを中心に急ピッチで体勢が整えられた。同時に市民の避難も進められた。


 ここ十年魔物に襲われていないとはいえ、兵士たちは日々訓練を続けていた。

 ——しかし、とてもその程度の準備で立ち向かえるような脅威ではなかった。


「なんだこの量は……⁉︎」

「こ、こんな強い魔物っ、周辺には——ぐわぁ!」

「く、来るな——がっ……!」


 兵士たちは吹き飛ばされ、刺され、はたまた踏み潰され、次々とはかない命を散らしていった。

 国内でも有数の安全地帯である領地に、魔物の急襲に耐えうる戦力など揃っているはずがなかったのだ。


「とにかく突破させるな! なんとか耐え凌ぐのだ!」


 セオドアが大声を出した。陣形を整えられる状態ではなかった。

 彼とマイロは剣を握って兵士とともに魔物の群れに立ち向かい、モーヴとリアムは魔法で生成した弓で各所を援護した。


「はっ、はっ!」


 アリアも戦地を駆け回りながら、魔力を凝縮させた弾を発射し続けた。


 しかし、魔物は井戸水のように湧いてくる状況で、ジョーンズ家の戦力は削られていくばかり。

 数が減ればそれだけ各々にかかる負担は大きくなり、死傷者の数は指数関数的に増え続けた。


 そしてとうとう、セオドアが深傷を負った。

 魔物の角に腕を貫かれたのだ。


「ぐっ……!」

「父上⁉︎」

「セオドア様、お下がりください! すぐに治療を——」

「そんな余裕はない!」


 家臣の忠告を遮り、セオドアが叫んだ。

 人間の言葉をわかるはずがない魔物ですら動きを止めるほどの迫力だった。


「ここで食い止めなければ市民は死ぬっ……汗水を垂らして税を納めている彼らを守らずして、誰が貴族を名乗れようか……!」


 セオドアは利き腕である右腕から血をダラダラと垂れ流しながらも、懸命に足を踏ん張って左手で剣を構えた。


「セオドア様っ……!」

「市民の避難完了まで、少しでも時間を稼ぐぞっ……! お前たちっ、かかれぇ!」

「「「うおおおお!」」」


 セオドアに続いて、ジョーンズ家の兵士は我先にと魔物の大群にぶつかっていった。


「動きを止めるな!」


 セオドアは喉を枯らしながら叫んだ。

 もはや、生き残ろうという考えは残っていなかった。自分たちを支えてくれていた市民のために命を散らす覚悟であり、それこそが特権階級である貴族としての使命だとも思っていた。


 そんな父親の、あるいは主人の姿に周囲は奮い立ち、ジョーンズ家は一時的に盛り返したかに思えた。

 しかし、その勢いは永続的なものではなかった。


 気持ちの持ちよう一つで人間は驚くほど変わる。

 だが、大きすぎる実力差の前では、焼け石に垂れる数滴の雫に過ぎなかった。


 押され始めれば、再び士気は下がっていく。


「みんなっ、諦めるな! 耐えていればいずれ応援も来るはずだ!」


 自身も複数箇所に傷を浴びつつ、アリアは戦場を駆け回りながら叫んだ。

 周囲を鼓舞する言葉でもあり、自分を奮い立たせるものでもあった。


 ——ただし、本当に応援が来てくれるとは、少なくとも間に合うとは彼女も考えていなかった。

 それでもなお動き続けていられるのは、恋人であるヴァイオレットの存在があればこそだった。


(ヴィオラともまだまだ過ごしたいし、絶対に破壊魔法の仕組みを解き明かして、あの子が大好きな魔法を心置きなく楽しめるようにするって決めたんだ! こんなところで死ぬわけにはいかない!)


「はああああ!」

「アリア様っ……! おいっ、俺たちもやるぞ!」

「「「おう!」」」


 絶対に生きるんだ——。

 そう叫んでいるかのようなアリアの勇姿は、味方が次々とやられていく現状に絶望していた兵士たちを再び奮起させた。


 しかし、彼らの心は今度こそ折れた——長男であり、最強の戦力であったマイロの脱落により。

 限界だったセオドアを身を挺して守った彼の腹部には、背後から魔物の長い爪が刺さっていた。


「ま、マイロ……!」

「ちちう——ゴホッ! ガハッ……!」


 絶望する父親に笑いかけようとしたマイロから漏れたのは、言葉ではなく血液の塊だった。

 セオドアは剣を握った片腕で息子の体を抱きしめた。

 ——そんな彼らを、血に飢えた魔物がぐるりと取り囲んだ。


 リアムとモーヴの放った矢も、アリアが乱射した魔力弾も、他の兵士たちの攻撃も全て、その一部を切り崩すことしかできなかった。

 そしてもはや、わずかに見出されたその活路を突き進む力は、セオドアとマイロには残されていなかった。


「父上っ、マイロお兄様っ……!」


 魔物のツノが、ツメが、前足が二人を襲おうとしたそのとき、桜色の塊が隕石のように空から降ってきた。

 ——次の瞬間、ジョーンズ家親子を亡き者にしようと集結していた魔物の集団は、全て空気中を舞うチリと化していた。


「……はっ?」


 自身も敵に囲まれていることすら忘れ、アリアは口をぽかんと開けて固まった。

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