父と娘
朝食を終え、しばらく一階のリビングのソファでのんびりしていたリオネルとリリア。
まだ文字を全て思い出した様子ではなかったが、絵本を眺めているリリアを見て、リオネルは昔の自分を思い出していた。
(そういえば俺は何で文字を覚えたんだっけなあ。両親に絵本を読んでもらってた記憶があるから、そこからかな)
リオネルがボーッとソファに座ったまま、間をあけて座っているリリアの方を見ていると、チラッと見えた絵本のページに兎の絵が見えた。
その兎の絵を見て、未だ目覚めないフィオナの事が脳裏を過り、リオネルは天井を見上げる。
エメラが様子を見に行っているが、何も報告がない。
こうして目覚めない誰かを心配するのは二回目だなあと、リオネルは苦笑しながら視線をリリアに向けると、こちらを見上げているリリアとバチッと目が合った。
「ど、どうしたのかな?」
「兎のお姉ちゃんまだ起きてこないの?」
どうやら、絵本に出てきた兎の絵を見て、フィオナのことを連想したのはリオネルだけではないらしい。
リリアも、太陽が高く登って、地平線に昼の月が顔を覗かせても目覚めないフィオナのことを気にしたか、リオネルに聞いて絵本をパタンと閉じた。
「目を治すために頑張ってるからね。あ、そうだリリアちゃん。兎のお姉ちゃんって呼び方は、お姉ちゃんが寂しがるだろうから、起きてきたらちゃんと名前で、フィオナお姉ちゃんって呼んであげるんだよ?」
「なんで?」
「いや、だからほら名前で読んでくれないと寂しいっていうか、悲しいっていうか」
「なんで悲しいの? 悲しいってなに?」
リリアの質問に、リオネルは衝撃を受けていた。
当たり前に感じるはずの感情が分からないことに、ではない。
叔父の世話になっていた少年期、その頃まだ幼かった叔父の息子、リオネルにとっては従兄弟が叔父や叔母に向かって、ことあるごとに「なんで? なんで?」と聞いていた事を思い出していたからだ。
従兄弟は叔父、叔母。自分の親にはそうやってなんでも疑問を投げ掛け、二人はそれにちゃんと答えていた。
つまりこれは、この「なんで?」に答えるのは親の役目。
リリアにとって自分はそういう存在なのだと改めて感じ、リオネルは衝撃を受け、込み上げてくる感情を深呼吸で封じ込めた。
「ああえっと。俺にはリオネルって名前があるし、リリアちゃんにはリリアって名前があるだろ?」
「うん。ある」
「それなのに、俺がリリアちゃんに、人間のお嬢ちゃんとしか言わなかったら、リリアちゃんはどう思う?」
こう聞いておいて、リオネルはその質問のあとに自分の言葉の軽率さに気がつき、自分を殴りたくなってしまう。
リリアは失感情症と診断されている。
感情が分からなくなっていいる子供に、感情を訴えてどうするんだと、手で顔を覆ったが、リオネルの予想に反してリリアからは「よく分かんないけど。いや」と、いつもの抑揚の無い声ではなく、確かに不服そうな声が聞こえてきた。
その声にハッとして手を自分の顔面から放して、リリアを見るが、リリアは無表情で再び絵本を開いていた。
「リリアちゃん、今、いやって言った?」
「言った」
もしかして、いや、もしかしなくても、少しずつ感情が戻ってきている事実に、リオネルは目頭が熱くなってきたのを感じて目を手で押さえる。
すると、リリアが「リオネルお兄ちゃんにはリリアちゃんって言われるのも、なんか嫌」と発言したものだから、リオネルはしばらく体を硬直させて、壊れたゴーレムのようにカタカタ震えながら口を開く。
「あ、あの。え? じゃ、じゃあなんて呼べば良いかなあ〜?」
嫌われるようなことしたかなあと、本気で今日までのことを思い出していくリオネル。
全くの他人に勝手に引き取られ、故郷から離れた知らない土地に連れてこられたのだ。
正直、思い当たることしかない、そもそも自分は、リリアちゃんの両親を助けられなかった。
などと考えて、ガクッと項垂れるリオネル。
そんなリオネルに、リリアは不思議そうに首を傾げた。
「リオネルお兄ちゃんは、私のお父さんなんでしょ? じゃあ私のことはリリアって呼ぶんじゃないの? それが私の名前なんでしょ?」
そう言って、リリアは絵本の一ページを開いてリオネルに見せてきた。
そこには、兎を追いかける父親が、躓いて転んだ息子の名前を呼んでいるシーンが描かれている。
「ほら。このお父さんはこの子のこと名前だけで呼んでるよ?」
「あ、ああ。そうだね」
字が読めるようになってきている事を褒めるべきか、それとも疑問に答えるべきなのか。
考え始めたリオネルに、いつもの無表情で、いつもの無感情なはずの声で、リリアは言う「お父さん?」と。
これが決定打となった。
先程まで抑えていたリオネルの涙腺が完全に決壊。
ドバッと両目から溢れて、リオネルの頬を濡らす。
この様子を、二階から降りてきてリビングに入ってきたエメラが目撃。
『リオネルさま⁉︎ どうなさいました⁈』
と、困惑することになるのだった。
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