フィオナを待つ二人

 寝室に戻ったリオネルとリリアの後ろ。

 工房に繋がる姿見の向こうで、エメラが立っている気配を感じてリオネルは振り返った。


 すると、エメラが頭上に魔力を放出して『フィオナさんの願いですので、一度通路を閉じます』と空中に文字を投影する。

 それを見て、リオネルは頷き「フィオナさんをよろしく」と言って心配しつつもリビングの二階のリビングの方へと向かっていった。


「兎のお姉ちゃんはこっちに来ないの?」


「お姉ちゃんは今から目を治すんだ。しばらくは出てこないよ」


「お人形さんも?」


「エメラさんね。ちゃんと名前で呼んであげなよ?」


「わかった」


「フィオナさんの目を、エメラさんが治すんだ。だから。しばらくここで待ってようね」


 言いながら、リオネルはリリアを窓際のソファに座らせると本棚を物色して、何かリリアの暇つぶしになるような本でもないかと探し始める。


 すると、一つの本棚の一画に子供向けの絵本が並んでいることにリオネルは気が付いて、その中の一冊を手に取った。


「占い師のお婆さんの子供や孫の物……じゃないな。随分新しい。子供が読んでいたんなら折り目とか破れとかありそうな物だけど。コレはもしかしなくてもリリアのために置いてくれたのか」


 これは一度お墓参りをしてお礼を言わないとなあ。


 そんな事を思いながら、リオネルは三冊ほど絵本を手にソファに戻ると、リリアに一冊手渡し、残り二冊は自分の横に置いた。


「あ、そういえばリリアちゃんって文字読めるのかな?」


「もじ?」


「この絵本に書かれてるコレが文字。どう? 読める?」


「……知ってる気はする、けど……わかんない」


 白い鯨が描かれた絵本の表紙に視線を落とし、題名の文字をなぞりながら、リリアが悲しそうに言ったのを見て、リオネルは「いいよ。俺が教えてあげるから」と、微笑みながらリリアの頭を撫でた。


 記憶障害の症状の一つなのだろう。

 この国の識字率は決して低くない。

 学校や教会など、勉学を学ぶ場はあるし、学校に行かなかっとしても親には文字数字の教育をする義務がある。


 育児放棄されている子供ならまだしも、リリアを救出した時の様子から、死んでしまったリリアの本当の両親は間違いなくリリアを愛していた。


 そのリリアが文字を知らないはずがない。


 忘れてしまっているのだ。

 本当の両親の死が信じられなくて記憶に封をした時に、両親から受け取ってきた愛情と一緒に封をしたのだ。


 酷なことだけど。

 それでも、記憶は取り戻すべきなのかも知れない。


 リオネルは一つずつ文字を教えながら、そんな事を思っていた。

 よくある死生観だ。

 人が本当の意味で死ぬということは、誰からも忘れられた時だという思想。


 リオネルもそんな死生観を持っていた。


 だが、残酷な話だ。


 リリアが忘れていることでリリアの両親は本当の意味で死んでいて、その心が癒えて、成長して、両親のことを思い出せば、リリアの記憶の中では両親は生き続けるが、リリアには両親が死んでいるという辛い現実が突き付けられるだけ。


「どうすれば良いんだろうか」

 

 何をどうすることがリリアにとっての最善になるのか。

 新人パパ数日目のリオネルには分からないことだらけだ。

 それでも、やっぱり本当の両親のことを忘れたままは悲しいと思うから、リオネルはまずは文字を教えていく。

 例えそれが原因で両親のことを思い出してしまっても。

 リリアがしっかり両親の魂を弔って、未来をその足で歩いていくためには必要だと思うから。


「ねえ。リオネルお兄ちゃん」


「リオネルでいいよ。鑑定書てきにはお父さんなんだけどね」


「リオネル。文字じゃなくて絵本読んで」


 リリアに言われ、リオネルは気まずそうに笑う。

 それもそうだ。最初はフィオナを待つために絵本を渡したのに、いつの間にかただの勉強になってしまっていた。

 これでは子供は退屈してしまうだけ。


「読み聞かせなんてしたことないから下手でも許してね」


「うん。いいよ」


 抑揚なく返事をすると、リリアは靴を脱いで足をソファに上げると、隣に座っているリオネルの膝の上に腰を下ろして持っていた絵本を広げた。


「はい。読んで」


「いいよ。じゃあ読むね? 『白鯨の空中庭園。広い海に住む、白い鯨のブランシュは、いつも空を見上げてました。あっちの海にはどうやって行くんだろう? そんな事を考えながら、ブランシュは海から空に向かって跳び上がります——』」


 慣れないながらも、リオネルはリリアに絵本を読み聞かせる。

 本当なら、リリアの両親がしてあげたかったことを、今は亡きリリアの両親に代わって。


 それから絵本を半分も読まないうちに、リリアが体重をリオネルに預けてきた。

 リオネルの体温で心地良くなったのか、夕食で満腹になったからか、眠気に誘われるままに目を閉じて眠ってしまったのだ。


「あらら、寝ちゃったか。体を冷やすといけない」


 リリアの手から絵本を取り、横に置く。

 そしてリオネルは娘を抱えると、ソファから立ち上がって姿見のある寝室に向かい、ベッドにリリアを寝かせると布団を掛けた。


「今のうちに荷物運んじゃうかなあ」


 ベッドに寝かせた時は若干グズったリリアだったが、すぐにそれもおさまり、寝ついたようだったので、リオネルは足音をたてずに寝室を出る。


 そして一階に置きっぱなしの旅行鞄を取りに向かうのだった。


 

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