目覚めた少女

 後世の歴史書にヘザーデールの悲劇と記されることになるダンジョンの決壊による惨劇から数日後。

 

 リオネルはその日の仕事である王城近辺の見回りを終えると、宿舎に戻らず病院へ向かうために王城内の詰所を出た。


「また病院か?」


 城から街へ繋がる門の前。

 リオネルに声を掛けてきたのは門番に務める同僚の青年だった。


「あの子はまだ目を覚さないのか?」


「ああ」


「心配するのは分かるが、あんまり思い詰めるなよ?」


「大丈夫。分かってるよ。ありがとうな、心配してくれて」


 同僚と挨拶を交わし、城から離れていくリオネル。

 町一つが滅んだ惨劇のあととはいえ、王都の様子は変わらない。

 いつものように平和そのものだ。

 どこかで遊んでいたのだろうか、子供たちがお互い手を振って離れていく姿が遠巻きに見えた。


 夕暮れ時の空を羽ばたく、四枚羽の鳥が住処に向かって飛んでいくのを見上げ、どこからか漂ってくる夕食の香りに鼻をくすぐられながら、リオネルは綺麗に整えられた石畳の道路を歩いていく。


 そして、辿り着いた病院の前で着ていたコートを脱ぐと、扉を開けて中に入った。


「リオネル様。今日もお見舞いですか?」


「ええ。容体に変化は?」


 扉からすぐのところにある受付に顔を出すと、リオネルの姿を見て、担当の事務員が書類を差し出してきた。

 その書類に来院理由と自分の名前を書きながら、リオネルは事務員に質問するが、事務員の女性は困ったように眉をひそめると首を横に振る。


「そうですか」


「外傷はありませんので、目覚めないのは精神的なものかと。可哀想に、あの歳で両親を亡くして」


「そう、ですね」


 名前を記入した書類を渡しながら応えると、リオネルは出入り口の正面にある階段から上階に向かい、ある病室に向かっていった。


 そして、目的地である病室の前に立つと、ノックして、返事を待たずに扉を開けて室内に足を踏み入れる。


 病院というよりは少しお高い宿のような一室に入ると、リオネルは手に掛けていたコートをコートラックに下げ、部屋の奥のベッドへ向かった。


「やあ。今日も来たよ」


 ベッドに寝かされているのはリオネルが助け出した少女だった。

 側から見ればただ眠っているだけに見える、目を覚さない少女に声を掛け、リオネルはベッドの側に置かれている椅子に腰を下ろす。


「可哀想、か。いっそのこと、このまま眠っていたほうが、この子にとっては幸せなんじゃ」


「馬鹿言うんじゃない。それを決めるのはアンタじゃないよ」


 リオネルが、事件で両親を亡くし、帰る場所もなくした少女の未来を憂いていると、後方、病室の出入り口から声がした。

 この少女の担当医を努める年配女性だった。


「先生」


「アンタが助けた命だ。そのアンタがこの子の回復を祈ってやらずにどうするんだい」


「そうは言っても、この子は目覚めても、故郷も両親も、もう何も無いんですよ?」


「確かに寂しいだろうがね。でもそう思うんならアンタがこの子の故郷なり親なりの代わりになってやれば良い」


「俺が、親代わりに?」


「そういう道もあるって話だよ」


 椅子に座っているリオネルの隣に立った白衣を着た担当医の女性が、リオネルの肩にポンと手を置いてそう言うと、続いてベッドの上の少女の額に手を当てた。


 そして鑑定魔法を発動して少女の容体を確かめる。


「病気の類は無し。しかしこのままでは衰弱して、最悪の事態にもなる。魔法も万能ではないからね」


「どうにか、出来ないんですか?」


「気つけは試したがダメだった。それ以外の方法は脳を弄るしかないが、人間の脳は繊細だ。無理に弄ればそれこそ廃人で終わる。今は祈ってやりな、手でも握ってな」


 そう言って、担当医は魔法を中断すると、少女の頭を撫で「じゃあ私は回診に行くんでね、何かあれば呼んでくれ」と、病室をあとにした。


 窓から夕陽が差し込む病室。

 オレンジ色の暖かい光が眩しくて、リオネルは立ち上がってカーテンを閉める。

 不気味なほど静まり返っている病室には、自分の呼吸音と、ベッドで寝ている少女の寝息しか聞こえてこない。


(思えば俺も同じか。君と同じ歳の頃に、俺も両親が死んだ。でも俺には叔父も、祖父母もいたからな)


 再び椅子に座り、リオネルは担当医が言ったようにしようと思って少女の手に向かって自分の手を伸ばす。

 しかし、その手に触れてしまえばこの少女とは無関係ではいられないと感じ、一瞬躊躇って手を止めた。


「馬鹿な話だ。助けた時点で、無関係ではないだろうに」


 自分に言い聞かせるように呟いて、リオネルは少女の手を両手で包み込む。

 そして、信じる神に向かって祈るのだ「町の人を見捨てたんだ。せめてこの子ぐらいは助けてやってくれ」と。


 しばらく目を閉じて祈りを捧げるが、神は何も語らない。

 それでも、祈りは届いたのだろうか。

 日が暮れて、宿舎に帰ろうとしたリオネルが少女の手を離そうとした時、少女がリオネルの手を握り返し、ゆっくり目を開けた。


「目を⁉︎ 良かった、目を覚ました!」


 院内であることを思い出し、咄嗟に出た言葉を塞ぐように口を噤んで、リオネルはベッドの横のサイドチェストの上に置かれたベルを手に取り、軽く振る。


 そのベルから音は鳴らなかったが、魔法で担当医にだけ聞こえたベルの音が担当医を病室に呼び寄せた。


「どうした? 何かあったのかい?」

 

「先生。この子、目を」


「目を覚ましたのか。ふぅ、良かったあ」


 ひと安心といった様子で胸を撫で下ろす担当医だったが、目を覚ましたはずの少女の反応のなさに疑問を抱き、担当医はベッドに近付くと「おはよう」と少女に声を掛ける。


 しかし、少女は口を動かしはしたが声を発することはなかった。

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