第10話
「野宮!?」
鈴本が近寄ろうとするのをスッと手を上げて止める。感染性の病気ならば危ない。鈴本は一度止まるも心配と驚きが混ざったような顔で野宮を見ている。
「ごめん、今日はやっぱり別の部屋で寝るよ」
「そう……。じゃあ隣の部屋に居てよ。何かあったらドアを叩くかスマホで呼んで」
野宮は自分の荷物を持つと部屋を出た。鈴本はすぐに壁に耳を当て、隣の部屋の扉が閉まった音を聞くとホッとした。ビスを抱き抱えてベッドに寝転がる。
「野宮、あんな病気を持っていたなんて……。通りで途中からマスクをしだしたり、激しく咳き込んだり」
ビスは呑気ににゃあと鳴いた。
「急がないとね。こんな所じゃあ、医者も薬も無い。丘木さんを頼るしかないね」
この日もかなり早めに就寝。翌朝四時に二人はロビーで落ち合った。
「大丈夫?もし具合が悪かったらここに車椅子もあるし、落ち着くまで滞在するっていうのも……」
「ううん、大丈夫。急がないと、丘木さんや両親が待ってる。行かなくちゃ」
心配する鈴本の顔を見て、野宮は笑って見せた。
「一晩寝たら咳も治ったし。薬もあるから。ありがとうね」
「野宮が大丈夫って思うなら良いけど……。本当に心配だから無理しないでよ」
安全を確認して出発した。若干明るいが、まだ星が出ている。太陽の昇っていない、涼しい気候だ。この温度が続けば良いのに、と願いながらひたすら東へ歩く。鳥やセミが鳴く声が聞こえる。廃れても温泉街。うっすら硫黄の香りがした。
「温泉、入ってみたかったね」
「全部終わったらまた入りに来よう。湧き出ているかもしれないし」
温泉街を抜け、しばらく何もない道を歩く。店は一軒も無く、家がところどころにポツンとあるくらいだ。歩いている間も野宮は時々痰混じりの咳をしていたが、座り込むほどひどくなることは無かった。遠くに山が見える。また登るのだけは勘弁してほしい。
「今はどこら辺だろう」
「温泉街を抜けたからちょうど半分くらいかな?……ねぇ野宮、あれって」
鈴本が指を刺したのは線路。地図を見ると、ちょうど大手鉄道会社の線路が真っ直ぐ東西に伸びている。指でたどっていくと桜花市も通る線だ。
「つまり、これをたどっていけば桜花市に着きやすいってことだよね」
「線路に登ろう。線路なら道路よりも勾配が少ないかもしれないから」
線路を歩くなんて、どこかの映画のようだ。普段なら絶対に歩いてはいけないところを踏み締めている背徳感とワクワク感で少し緊張する。砂利道でベビーカーが押しづらいので、ビスは抱き抱えて移動することにした。
「ちょっと健康的な体になってきたんじゃない?」
歩いてみる?と線路上に下ろしてみるとふらつくことは無く、鈴本たちに着いてきてくれた。それがなんだか嬉しかった。
「もうベビーカーは必要なかったんだね」
歩いても後ろからついてきてくれている。ベビーカーは線路の下に置いた。朝日が山の上から顔を覗かせている。今日も1日が始まった。砂利の上にレールが引いてある線路はコンクリートの道路よりもはるかに歩きにくく、体力を奪っていく。加えて暑さも日に日に増しているので、少しずつ休憩をとりながら進んでいく。トンネルには入ると暑さは幾分か和らぐ代わりに真っ暗で何も見えない。持ってきた懐中電灯で先を照らす。何も無い、闇が広がるのみだ。
「かなり長いよ、このトンネル」
「全然先がわからないや」
ビスがついてきているのさえ分からない。たまに名前を呼んでやると、背後からにゃあと小さく声が聞こえるのを確認して安心するのだ。時計を見るとまだ朝の六時。三十分以上かかってやっとトンネルを抜けた。田んぼと畑が広がる田舎が広がっている。野宮の地元を思い出した。
「ちょっと寄っていこうか」
鈴本の提案で線路を降りる。のどかな田園風景の広がる、夏の田舎。まるで夏休みにおばあちゃんの家に帰省したような、懐かしい気持ちになる。こんな世界にならなければ一生来なかったであろう場所だ。ぽつぽつとある家のうち、比較的大きな所にお邪魔する。期待せずに引き戸を引いてみると、なんと運良く鍵が開いていた。
「お邪魔しまーす……」
入ってみると玄関には靴がある。耳を澄ませるとザーッと音が立て続けに聞こえてきた。なるべく気づかれるようにドスドスと足音を立てて家の中に入る。音の正体は居間にあるテレビの砂嵐画面の音だった。季節外れのこたつに置かれた椅子に誰か座っている。老夫のようだ。
「あのう、こんにちは。私たち、今旅をしていて……」
「野宮」
鈴本が声をかけると同時に老夫の肩に触った野宮。返事は無く、代わりにがくりと体が横に倒れた。
「ヒッ」
「そのお爺さん、もう亡くなっているよ。ここはまだ電気が通っているんだね。テレビやこたつもついているし」
顔を覗く気にはなれなかった。台所に向かおうとすると、鈴本に止められた。
「やめた方がいいよ。さっき見に行ったけど、奥さんらしき人があった」
その言い方で鈴本が何を見たかは察せられた。野宮は大人しく引き下がり、二人は家を出ることにした。門を出ると一面の田んぼ。
かつて黄金色の稲穂が垂れ下がっていたそこには青々とした雑草が生えており、それを風が撫でた。波のようにうねる。先ほどの衝撃を忘れるくらいの景色だ。
「忘れていたけれど、この星に残ることを決めた人も居るんだ」
「私たちのようにうまくいっている人なんて限られているんだろうね。大半が物資の枯渇で餓死か病原菌にやられるか」
野宮も今自分の体がどうなっているかわからない状態だ。限りある命を大切に生きなければ、早く両親と再会しなければ。再び線路に乗り、先に進む。垂れ下がった電線、乗り捨てられた車。のどかな田舎かと思いきや、ここにも戦いの跡が。敵国のしぶとさが窺える。戦争がどうなったのかさえ、野宮たちにはわからない。ここまで弾丸一つさえ飛んでこないことを察するあたり、どうせ指揮するお偉いさんはすでにロケットの中だ。
「野宮、今日には県越えするよ。体は大丈夫?」
「うん、今の所は。もう少しだね、頑張ろう」
再びトンネルに入る。今度はそこまで長くもなく、すぐに明るくなった。今度は工業地帯。山の中に発電所や工場が建てられている。煙突からは煙は出ていない。うっすら変な匂いもする。
「ここら辺はあまり長居しない方がいいね」
鈴本はマスクをつけ、ビスを抱き抱えた。早足で線路を渡る。しかしこの工業地帯が長い。マスクと痰のせいで息苦しい。足を止めたら二度と歩けなさそうだ。めまいまでしてきた。いや、これはマスクのせいじゃない。そういえば顔も熱い。
「野宮、大丈夫……ってすごい顔赤いけど!」
「いい、いい。休憩できるところまで止まらず行こう」
ふらつく足でなんとか線路を歩く。夏の暑さも相まって身体中が熱い。ようやく市街地が見えてきた。駅に着いたので中に入り、ベンチに座り込む。リュックから水を取り出し、がぶ飲みする。なんとか風邪薬を見つけて飲むが、おそらくこれはただの風邪ではないと考えた。連日続く咳、吐血、そして今日の熱。きっと何かしら隠れているのだろう。しかし今は早く目的地に行くしかない。おちおち休んでいる暇などないのだ。
「熱測ってみようか」
家から持ってきた体温計を渡される。一分ほど待つとピピピという音と共に画面に体温が表示された。三十九・五分。思っているよりもかなりの高熱だ。
「ねぇ、今日はもう宿を見つけて休もうか」
「いや、大丈夫。早く、みんなの、ところ、に」
立ちあがろうとするが、うまく立てれない。視界が歪む。ビスが駆け寄るのが見えたのを最後に、野宮は意識を手放した。
「野宮!?ちょ、ちょっと!」
コンクリートのひんやりとした感触が心地よいことは覚えている。
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