第3話


目を覚ますと、部屋には野宮しか居なかった。布団は綺麗に畳まれ、部屋の隅に置かれている。外から物音が聞こえて、カーテンを開けると鈴本が昨日買ったプランターを並べて土を入れている。慌てて着替えて外に出ると、鈴本は服を土だらけにして家庭菜園の準備をしている。

「早起きだね」

「おぉ、おはよう!なんか人の家で寝ると緊張しちゃってさ。早起きして始めちゃってた」

 はい、とシャベルを渡され、空いたプランターに土を入れていく。小さい頃、学校の授業で農作業体験をしたことを思い出した。

「どれ入れる?きゅうりにナスにピーマン……」

「思ったんだけれど、この時期に植えるのって遅い気が……大丈夫かな」

「確かに……。じゃあこれは?さつまいもにじゃがいも」

 種芋が入った袋を高々と掲げる。確か芋の栽培も小さい頃にしたはずだ。記憶が正しければ、今のような時期に植えていた。そうしよう、とプランターを取るが、芋を育てるには少し小さいかもしれない。

「いっそのこと、家の庭に畑でも作ろうか。ブロックで囲んで、土を敷くだけの簡単な物だけど」

 庭の隅に大きめの石やコンクリートブロックで仕切りを作り、残った土を敷く。肥料などを撒き、乱雑に芋を埋めていく。遠い記憶と勘で作った畑。これでうまく育つのかはわからない。

「プランターには何入れようか。ホームセンターにあるもの全部取ってきたんだよね」

「今から植えるなら、冬野菜が良いんじゃないかな。カブとか小松菜とか」

 一応提案してみたが、やはり全部植えてみよう、と言う結論に至り、ひたすら袋を開けては植え、開けては植え……と繰り返した。プランターは日の当たるところに置き、水をやる。

「大丈夫かな、これで」

「一応夏野菜と冬野菜は分けたし、ちゃんと見ていこう。大きくなったら、また畑を作って植え直せば良いし」

 汚れた手をパンパンと払い、家の中に入る。服を脱いで早速洗濯。ひたすらタライの中でゴシゴシと擦るのは、畑仕事の後には辛い作業だ。

「あれ、タライでやってんの」

「水も出なくなっちゃてさ。そっちはどうやってたの?」

「うちはまだ出てた。洗濯機を使ってたよ」

 羨ましい、やっぱりそっちに行けば良かったと内心思いながら唇を噛み締め、再び服を手洗いする。干してやっとひと段落。すると野宮は鈴本がずっとマスクをしていないことに今気づいた。

「そういえば、昨日会った時からずっとマスクをしていないけれど、大丈夫?」

「あぁ、もう随分していないよ。苦しいしもう良いかなってはずしてるけど、病気にかかったことは無いし、元気」

 鈴本は力拳を作って見せた。触ると柔らかかった。

「野宮も外してみたら?ここ、結構自然も豊かだし。空気も綺麗になっているかもしれないよ」

「そうかな、じゃあちょっと……」

 恐る恐るマスクを外し、外に出てみた。深呼吸すると、澄んだ空気が全身に巡る。病原菌がまだ漂っているのかは分からない。しかし、この一息で野宮はもうマスクは外してしまおうと考えた。単に面倒くさくなったこともあるが、鈴本を信用したことが大きい。彼女なら信用できる。家に戻ってクラッカーをつまむ。

「あー、やっぱり楽だね」

「でしょう?」

 水を片手に鈴本がはにかむ。人前や外でマスクを外したのは、高校生以来か、いや、高校に上がった時にはすでに病原菌が蔓延っていたからそれ以前か。とにかくかなりの時間をマスクと共に過ごしてきた。口元がスースーして落ち着かない。

「ずっと付けてたもんね」

「うん、なんだか新鮮な気分」

 座布団に座ってクラッカーをもう一つ。季節柄、一度開けたものはすぐにしけてしまう。その日のうちに食べ終えないといけない。考えて食事を取らなくてはいけないのだ。

「朝と昼はこれを兼用して食べて……。ビタミンはサプリがあるから飲んでね。夜はどうしようか……」

「計画的に食べててすごいなぁ。一人の時もそうやってたの?」

「うん。スーパーまで遠いから、なかなか毎日は行きづらくてね。鈴本はどうしてた?」

「私は毎日冒険みたいに色々なスーパーを回って、調達した分の食料をその日の食事にしていたよ。内容はクッキーとかビスケットとか、こんな感じ。やっぱりお肉や野菜はすぐに腐っちゃったね」

「しばらくは乾物生活かな」

 正直言ってそろそろこの乾き物生活にも飽きてきた。今すぐにでも畑に植えた種芋を掘り返して焼いて食べたい。バターなんてつけたら最高に美味しいだろうなぁと最後の一枚を食べながら思う。

「早く野菜が育ってほしいね」

 味気ない食事が終わった。クラッカーの空き容器を捨てて、午後からの予定を考えることにした。

「野宮の家の周り、案内してよ!」

「良いけど、面白い物なんか無いよ」

「知らない土地を回るだけでワクワクするもの」

 スマホをポケットに入れ、外に出る。よく晴れた午後。スマホは午後一時半を示しているが定かではない。先ほど作った簡易畑が日に照らされている。

「じゃあ、まずはこっちからね」

 野宮が住んでいるところは青代町の端にある小さな集落。人口は三十人にも満たない。自然は豊かで、集落の中には大きめの川が流れている。まずはその川を目指して歩くことにした。とは言っても、歩いて五分程度ですぐに着いてしまう。橋の上から悠々と流れる川を見下ろす。

「夏場はここで川釣りとかしてたなぁ」

「良いじゃん!どんな魚が釣れたの?」

「なんだったんだろう……種類もわからない、小さな魚だったよ」

 川までは今いる場所からコンクリートの壁を降りなければいけない。坂上になっているため、うまく手足を使えば川のすぐそばまで降りることができる。流石に今日はこの場でとどまっておくが、いつかここで釣れた魚を食料にする日が来るかもしれない。

「次、行こっか」

 鈴本を連れて今度は神社へ向かう。橋を戻って最初の角を曲がり、木々が生い茂る道に入る。空気が澄んだ感じがする。野宮の好きな場所の一つだ。鳥居をくぐり参道に入ると狐の像が両側からお出迎え。ここは定期的に集落のお年寄りが手入れをしていたが、それも無くなり雑草だらけになってしまった。気休め程度に何本か抜いておく。

「ここにはよく来るの?」

「初詣に来るくらいかな。道は散歩で通るけど、最近は来なくなっちゃった」

 賽銭箱に小銭を入れて拝む。荒れた世界になっても、ここだけは変わっていない。初夏の風が吹いて、木々が揺れた。

「こんなもんかな。案内できるのは」

「めちゃくちゃいいところじゃん!物語の中の田舎って感じで好きかも」

「喜んでくれて何よりだよ。って、まだ一時間も経ってないじゃん……」

 時計を確認すると、まだものの三十分しか過ぎていない。狭い集落ゆえにすぐ回れてしまう。

「帰ろうか、あぁでも、明日からの食料も無いし……ちょっと遠いけど、このままいつものスーパーに行こう」

「やった!着いていくよ」

 その足で数キロ離れたスーパーに向かう。こんな時、鈴本ならすぐに行ける距離なんだろうなと思いながら割れた窓から店内に入る。生鮮品の腐敗臭が鼻にツンと臭う。足早に乾物コーナーに入る。

「んーと、カンパンは飽きたなぁ、喉も乾くし。鈴本は何が食べたい?」

鈴本に声をかけたつもりで顔を上げると、あるポップが目に入った。

「防災コーナー……?」

 駆け寄ると、数多くの保存食が並べられている。缶詰のパン、アルファ米、マフィン。そういえば米を長らく食べていない。炊くことが難しいからと避けていたが、二人になった今、どうにかすれば米が炊けるかもしれない。

「す、鈴本!カートカート!」

「えぇ、何!?」 

 缶詰を吟味していた鈴本が驚く。ショッピングカートに米袋を積み、ついでに保存食をこれでもかと詰める。

「久々にお米を食べよう。火が使えれば、炊けるかもしれない」

 野宮の目はかつて無いほどに燃えていた。

 

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