過去はべとついたキャラメルのように

 あれは忘れもしない、11月が始まったばかりのある放課後のことだった。

「好きな子がいるんだ」

 健人から申し訳なさそうにそう告げられると私は精一杯の笑顔を作った。

「わかった。これからも友達としてよろしく」

 人生で初めての告白だった。私は紛れもなく健人のことが好きだった。この想いを健人に伝えないと、近いうちに心臓がはち切れると思った。もう自分の気持ちをごまかせなかった。だから私の告白は無意味なことではなかったのだ。そう自分に言い聞かせないと壊れてしまいそうで。

 放送室は密室のため、この告白は誰にも見られていない。言い換えれば、今健人の目に映っているのは私だけだ。そんな中泣き出すわけにはいかない。私は溢れてしまいそうな涙を堪え、今自分が作れる一番の「可愛い」を演じた。

「健人の恋、応援してる」


 荷物を取りに教室に戻ると、そこにはあいつ──咲がいた。この頃はまだ心の中で「あいつ」と呼ぶことはなかったし、「ナマケモノ観察日記」のアカウントもなかった。

 あの日、あいつは教室で一人で静かに泣いていた。

「咲、どうしたの?」

「これ、見て」

 咲が机の中から取り出したのは、下校する咲の後ろ姿が写った一枚の写真だった。

「夏に、ある男子から告白されて振ったの。そうしたら、その男子に粘着されるようになってしまって……」

「粘着?」

「そう、帰るときに校門前で待ち伏せされていたり、家まで着いてこられたり、私を盗撮した写真を机の中に入れられたりする」

 あいつは困った表情を浮かべていた。「普通」の人だったら、心配するのだろう。しかし振られた直後で傷心していた私はその態度に苛立ってしまった。振る方が悪い。振り方が悪い。嫌と言えないのが悪い──。

 私は心の中に溜まっていく毒をあいつに悟られないように、あいつに偽物の励ましの言葉をかけた。

「咲は悪くないよ」

 するとあいつはさらに泣き出してしまったのだ。そして涙をぽろぽろこぼしながら私に感謝の言葉を述べた。

「真子ちゃん、ありがとう。少し心が楽になったよ」

「それはよかった」

「真子ちゃん、健人君と放送してたんだよね?」

「そうだよ。もうすぐ教室に戻ってくると思う」

「そっか。健人君にこの話を聞かれてしまったら困るから、私帰るね」

 あいつはそう言うと、小走りで教室から出ていった。瞼の腫れた自分の泣き顔を健人に見られたくなかったのだろう。私には泣き顔を見せたくせに。男には良い面だけを見せようとするあいつの態度に不快感を覚えた。

 その日から、私のあいつに抱く印象が変わった。あいつを見る度苛立つようになった。目で追う度に嫌な面を見つけた。あいつのことを心の中で「あいつ」と呼ぶようになった。

 あいつは昼過ぎから登校することが多かった。それはあいつのことを目で追うようになってから気付いたことだった。私は「ナマケモノ観察日記」という名前のアカウントを作って投稿を始めた。

 サボり癖。遅刻魔。怠け者。

「あいつにぴったりの動物はナマケモノ」

 あいつはスタイルが良く色白で顔も可愛かった。そのためクラスの男子たちはいつも陰であいつのことを「可愛い」と噂していた。ある日の英語の授業で、私は出席番号の関係であいつと二人でスピーチをした。私は背が低いため、あいつと並ぶとスタイルの悪さが際立った。クラスメイト達の視線は私ではなくあいつに向いていた。あいつは英語の発音を間違えたとき、困った顔で小さく笑った。どこからか「可愛い」と男子の声がした。


 嫌な記憶を振り返りながら私はスマホをいじっていた。自習で先生は教室にいないため、スマホを机の上に置いている生徒が多くいた。隣の席の健人も自習をせずにスマホを触っている。

 過去というのは、べとついた溶けかけのキャラメルのようだ。私にしつこく絡まって離れてくれない。好きな子がいるんだ。好きな子がいるんだ。好きな子がいるんだ──。あの言葉が頭の中にへばりつく。思い返すほど言葉が脳に蓄積され、粘り気が増していく。

 授業終わりのチャイムが鳴る。二時間続いた自習が終わると、あいつからメッセージが届いていた。

「健人君、この投稿って私のことを言っているのかな……?」

 添付されていたのは「ナマケモノ観察日記」のスクリーンショットだった。


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