竜の孤城Ⅰ/再会
公国領・アルジェルシュ
雄大な山々が聳え立ち、何人たりともを拒む絶壁が連なる山脈が大部分を占める土地。険しい道は感覚を狂わせ、突如として発生する霧は目を
自然の要塞の中に、唯一人の手で施された建造物がある。
峡谷を見下ろすように建てられたソレは、こじんまりとした城砦であった。帝国の多国文化を取り入れた宮殿とも、信仰の名の下に豪華絢爛な彩色を施す聖方諸国の巨城とも異なる。石と煉瓦で作られた、質素なものだった。
しかし余人や権威にうつつを抜かす貴族連中には分からないだろう。この城砦こそ、誰にも突破できない難攻不落の要塞であることを。
その城砦を囲う壁の外側、唯一の出入口である門を守る番兵二人が、篝火に照らされる。
使命を帯びた彼らの目には決意に漲り、些細な異変も見逃さない気概でいた。
刹那。
爆ぜた篝火が、突如として消えた。
二人は消えた明かりに驚き、意識を逸らす。
目の前から、暗黒の化身が来ているのを知らずに。
「関心しないな」
背後から声が聞こえた時には、遅かった。
「暗闇にこそ目を凝らすべきだよ。次の時には覚えておくといい」
番兵が、声を発することはなかった。
頭を掴まれ、押し倒される。地面に叩きつけられ、顔の正面から潰された。無論、即死だった。
頭を半分以上無くした番兵二人の亡骸を左右の手で掴み、即座に門に投げつける。
轟音が、夜の山脈を震撼させる。
門が破壊され、土煙が舞う。その中を、手についた血を舐めがら、『彼』は悠然と歩く。
狭いとはいえ、城砦の中は整っていた。壁に沿うように建物が幅狭く乱立している。今『彼』が立つ中庭がぽかんと開いていて不自然だった。
中庭を超え、乱立する建造物を超えた先を、見据える。
辺りが騒然とする。火が灯され、兵士たちが飛び出る。武装もままならぬ数十人の兵士が槍を手にして現れる。
事態を把握した誰かが言った。
「何者だ!」
「囀るな。私は臣礼をしに来たんだ」
言葉に関わらず、風切り音がした。
片手を上げ、摘み上げる。顳顬目掛けて飛来したのは、鋭く尖った短矢。
矢じりの向きを変え、指先で放る。建物の手摺りにクロスボウを構えていた兵士の喉元を勢いよく貫通した。
嗚咽にも似た声を発し絶命する兵士。友の亡骸を茫然と見て、次に『彼』に視線を移す。
「そして、おまえたちの敵である」
発するや否や、『彼』の姿が消えた。否、変貌した。
多数の蝙蝠が、兵士たちの方へ飛翔する。耳障りな鳴き声と共に襲い来る蝙蝠に竦む兵士たち。
だが蝙蝠は彼らを素通りして、狭い街を駆けた。寄り道もせず一直線に、その最奥に。
この広大で狭小の領地を統べる、領主の館に。
薄く灯った館の窓という窓から、蝙蝠は侵入する。居室から、通路から、街を見下ろす塔から。
硝子を割り進軍する蝙蝠たち。攻めた場所は違えど、一箇所に群れは集まる。
黒い翼を持つ鼠が人の形をとり、『彼』は目を開ける。
館の中心部。四本の柱に支えられた広間。
不必要なものの居場所はなく、最低限のものだけが設置されている。その置かれたものすら片手で数える壁掛けの松明程度で、広間は閑散としていて薄暗い。
空虚。
まるで主の心境を現すかのように、広間は存在していた。
否。一つだけ、置かれたものがある。
空白を彩るかのように置かれた唯一の椅子。
それが玉座であることに、誰もが疑いを持たない。
かつん、と音が響いた。
床を何かで叩く音。玉座の背後から重なり鳴る。
誰かが歩く足音が、聞こえてくる。
「──よもや、再び見えるとはな」
声がした。
低く、それでいて鋭く聞く者に畏怖を与える、上に立つ者特有の声色。
「土足で領地に入ってくるとは、相変わらずだな
『彼』の背後から音が響く。
兵士たちが広間に雪崩こみ、即座に『彼』を取り囲んだ。
かつん、と音が鳴る。
それを聞いた兵士の誰かが、片膝をつき首を垂れた。
震える口先で言う。
「領主、さま」
気付いた皆が、一様に首を下げた。まるで『彼』など意に返さず、槍を手放し玉座の方に膝を折った。
正確には、玉座の後ろにいる
手が、玉座にかかる。
真紅の手甲に覆われた左手が、玉座の縁を掴んだ。
見覚えがあった。
忘れることなどない。忘れてなるものか。あの鎧を、朱に身を包んだ騎士鎧を。
敵味方問わず、血を啜った戦装束を。
喉を鳴らす。歓喜の吐息が『彼』から放たれる。
「歓喜に打ち震える。この異郷において、これ以上ない邂逅だ!」
悦びに咽ぶ体を押さえつけ、眼前を見据える。
暗闇からまろび出る王を、直視する。
真紅の鎧に覆われた偉丈夫。長い黒髪を揺らし髭を蓄えた壮年の男。右手には身の丈を超える大槍。三つに割れ広がる刃の影が視界に入る。
その槍はまるで、福音をもたらす十字架のような形をしていた。
信仰者に祝福を、怨敵には聖なる烙印を押し付ける、救世主の象徴を。
十字架を携える使徒の顔を、直視する。
視線が交わった。それを以て、確信した。
知っている。『彼』は
……東から攻めくる異教徒との戦いに生涯を賭した信仰の騎士。
国を護るためならば手段を選ばず、敵を追い詰め喉笛を掻き切り、最後には幾多にも敵を天に吊るした。
供物を捧げるよう、串刺しにして。
彼の道には、血も肉も残らない。草木は枯れ更地と化し、その上に串刺しの森は創造される。
天と地もなく、人も影もない。晒された墓地に、血を吸った大地の上に、ただ一人存在する。
墓の主たる悪魔が、一人座する。
……異教徒たちは、悪魔をこう呼んだ。
またの名を、
────
「幾星霜の時を経ようと、こうはならない。正しく運命が我らを引き寄せたのだ」
高揚に満ちた笑い声が響き渡る。二人の目には、もうそれぞれの存在しか入っていない。
まるで鏡合わせだ、と彼らは思う。
歳の違いはあれ、肉体の違いはあれ、人間か否かの違いはあれど。
彼らの相貌は、全くの瓜二つなのだから。
『彼』は言う。自分の元になった、かの悪魔の真名を。
「再び出会えたことに感謝を! 我が君、我が宿敵────」
「我が父、ヴラド・ドラクリアよ!」
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