第1章 邂逅~ENCOUNTER  第2話 |異世界召喚《ワタリ》

第1章 邂逅~ENCOUNTER




第2話 異世界召喚ワタリ



1 召喚の間



  時は少し戻る。


 異世界召喚ワタリの儀式が行われた直後から始まる。





 気が付いたら沙那は不思議な場所にいた。

 薄暗く、ひんやりした空間だった。

 天井は高く、学校の体育館か何かのように見えないこともない。

 いや。

 小学生の時に社会科見学で訪れた市民センターのプラネタリウムに近いかもしれない。


 天井にはきらきら光る何かがちりばめられており……それは魔法文字であったが、沙那には星座のように見えたのだろう。

 円形の広い大きな部屋は壁という壁が真っ黒で、暗幕か何かを張っているようにも見え、これが更にプラネタリウム感を醸し出していた。


 床も硬い……黒大理石ブラック・マーブルで真っ黒であり、そこに巨大な光輝く魔法陣が描かれていた。

 ……魔法陣?

 何故、真っ暗?


 そして、数十人もの黒衣の人間たち。


 頭の上からすっぽりと体を包むゆったりしたローブだ。

 沙那の世界ではあんなにだらっとした格好はなかなかない。


 そのローブの開口部から垣間見えるのは人の顔なのだが、何か違和感があった。

 この感覚はなんとなく判る。

 彼らの声を聞いた時に、それは確信に変わった。


 ――外国語?


 日本語とは明らかに違う響き。

 じっと聞き入ってみる。

 アクセントどうこうとかではなく、これは、英語だろうか。

 沙那の乏しい英語教育の知識でもなんとなく理解できた。


 英語っぽい。

 でも違うことも判る。

 発音、でもない。

 ところどころに英語らしさのない単語が混じっている。


 それをどこかカタカナ英語のように喋っているのだ。

 なんだろう。

 ラテン語とかイタリア語みたいなものなのだろうか。

 でも、基本的な文法は英語っぽい。

 英語はそもそも文法が緩く、わりといい加減な言語と聞いたことがある。


 沙那は更に、じっと聞き入ってみた。


 

「なんと不気味な……」


「エルフとはいえ奇妙を超えている……魔族的な……」


「……悍ましや」



 ――何を言ってるのだろう?


「なんとおぞましい胸だ」


 む?沙那は眉を顰めた。

 なんだって!?


「見るのも気持ち悪い。あの体に不釣り合いな巨大な胸……吐き気がしますな」



「むー!?ロリで巨乳はステータスなんだよー!?」


 沙那は腕を振り回して抗議した。

 小柄な体に大きな胸が揺れる。


「ひえええええっ」


「不気味だああああっ」


「いや。まて。それよりも、今、このエルフ。帝国語を話したぞ!」



「おお!?」


「お?」


 空気が変わった。

 どうせ言葉が判らないだろうとタカを括って英語で悪口を言っていたら、唐突に日本人が英語で返してきた、に近い驚きでもあった。


「な、なんと……」


「エルフの超技術だろうか?」


「んー?ボクはエルフじゃないよー。ぴっちぴちの巨乳美少女JCだー」


「じぇ、じぇいしーとは……なんぞ?」


「エルフの世界の何か階級とか種族的なものではなかろうか?」


「今、自分をボクmeと言ったぞ。……もしや子供なのでは?」


「バカな!子供があのような不気味な胸をしてるはずがない!」



 ――こらこら。



「いやいや。異世界のエルフならそのようなイレギュラーもあるのやも知れぬ」


「し、しかし……うげぇっ」


 黒尽くめの一人が吐いた。


「こらー!キミたち、失礼だぞー!」


「うわー。エルフが怒ったぞー」


「攻撃魔法を撃ってくるかもしれん。警戒せよ」



 その場はカオスになりつつあった。


 とはいえ、沙那は今少し冷静だった。

 いきなり非現実的な状態にあったのだから、パニックになるか、逆に醒めて冷静になるのかどちらかである。

 沙那は後者だった。



 ――今、魔法とか言ってた。

 ――そして、アニメや映画で見たことのありそうな魔法陣……ぽい何か。

 ――なんか、ぴかぴか光ってるし。きっとそう。


 沙那は床に描かれた模様を眺める。

 大きな円。それとなにやら不思議文字。

 エジプトの象形文字とも違う、でもきっと何かの文字。

 円の周囲には小さな円が渦巻き状に幾つも描かれている。



 ――タイヤか何かが転がってる落書きのよーにも見える。


 いや。馬車の車輪とか自転車の車輪とかだろうか。

 スポークになる部分が謎の模様や文字が入っている違いはあるが、沙那にはそう見えた。

 これってどっかで見たような?



 一人の黒ずくめが前に出た。

 他よりやや長身で、意外と若そうな男だった。

 沙那からすればガイコクジンのにーちゃん、程度でしかない。

 外国人?白人?キャー、素敵ー!の感覚は彼女にはなかった。


 外国人は基本怪しく見えるのだ。

 それが作り笑いの笑顔で近いづいてくるのは、さすがに警戒する。


「ようこそ。異世界のエルフよ。我が召喚によくぞ応えてくれた。帝国人民に成り代わり歓迎する」


 男は両手を広げて歓迎の意思を示す。

 

「私は今回の儀式の出資者にして、帝国三代皇帝ルドルファスから任じられしエステルラーヘン王国麾下ラウジッツ伯爵エムレイン家当主カール1世が子、イスト。サイラント子爵である」


 一気に捲し立てられたが、沙那の英語力では半分も聞き取れなかった。

 長い上に固有名詞が多すぎ、しかも知らない単語が多い。

 貴族とか、中学英語で学ぶことはないからだ。


 だいたい、スター・ウォーズのダースベイダーが『ベイダー卿』と呼ばれているけど、日本語吹き替え版しか知らないから『卿』が『sir』なのか『Lord』なのかも分からないくらいなのだ。

 クラスメートの幸助君が英語教師に質問したら『Lord』と教えてくれて、「へー」と思ったくらいだ。

 おまけにカウントだのバイカウントとか言われても何がなにやらである。



「で、えーっと……サイザンスさん?」


 誰がトニー谷やねん。

 とツッコミは入らなった。


「……サイラント子爵だ。特別にイストと呼ぶことを許そう」


「なにこいつ。偉そー」


「偉いのだ。高貴な産まれぞ」


 うわー。

 と沙那はドン引いた。

 自分で偉いとか言うだろうか?

 貴族の感覚のない現代日本人からすれば、『だから何?』なのだ。


 封建社会だと階級差は絶対である。

 特に貴族と庶民では。

 庶民は人間ですらない扱いだ。

 虫けら同然と思われている。

 それにしてもイストの態度は客人を迎える態度ではない。


「それで?お前はエルフの魔術師なのか?それとも何か特別な力を持つ者なのか?」


「……は?……はあああああっ?」


 沙那の頭の上にはクエスチョンマークが乱舞した。

 状況がさっぱりつかめない。


 ……が。


 なにやら怪しい魔法陣っぽい何かが光っている。

 なんか中世ヨーロッパ風の雰囲気。

 なんか外国人がいっぱい。

 で、黒ずくめの男たちが魔法が何とか……。


 ピンときた!


「異世界転生!ゲームやアニメでよくあるやつだー!」


 だがしかし。


「でも、ふつー転生する時って女神様とか天使とか出てきて、すっごいアイテムとかスゴスゴな特殊能力とか貰えたりするのがお約束じゃないのー?」


 でも、周囲は女神様などいないようだ。

 むさ苦しい黒衣のカルトっぽい集団だけ。

 なんだこれ。

 やり直しを要求したいと沙那は思った。


「それにだいたい……ボク、トラックに撥ねられた記憶とかないんだよねー。ファミレスでみんなとお茶して帰る途中だったことしか……」



「エルフが謎の言葉を放し始めたぞ」


「注意せよ。魔法の呪文マントラかもしれぬ!」



「いや。その。そもそも、エルフって何さ。ボクは釣り目でも長耳でもないよー?」


 

「……言い逃れしようとしてもその髪の色で明白ぞ」


「髪の色?……染めたりはしてな……なにこれええええええええええええええっ!?」


 毛先を摘まんだ沙那が突拍子もない叫び声を上げる。

 沙那の髪は割と長い。

 下せば腰の少し上くらいまである。

 それをツインテールとポニーテールを合わせたようなトライテールにしてあるが……。


 ピンク色だった。

 しかもうっすらと金属光沢があるので、ピンクブロンドとでも呼べばよいのか。

 生まれて今までずっと黒い髪だったはずなのだが。


「うわわわー。ピンク!ピンク!よりによってピンク!……アニメとかだとエッチなキャラの色ー!!」


 沙那は空中の見えざる何かに抗議した。

 確かにアニメやマンガではおお色気キャラクターの定番の色なのだ。

 しかも、巨乳。

 中学生なのにEカップなのだ。

 これはもう……お色気キャラ確定な感じだ。



「その金属光沢の変な色はエルフにしかないのだ」


「ええええええー?」


「不気味で巨大な胸であろうともエルフなのだ」


「このー……。ロリでEカップ巨乳はグラビアアイドル顔負けなんだぞー。この変態ガイコクジン!」


 確かにイストたちにとって不気味であることには違いない。

 帝国世界はあまり栄養状態が良くないので、細身で巨乳なぞあり得ないのだ。

 例え、栄養状態が良すぎても『かなり太ってる』状態しかない。

 元々の遺伝子の形質がエネルギーになる脂肪を蓄積しやすい体質であり、都合よく胸だけ大きくなるなど起きないからだった。


 つまり、普通は胸に栄養が行くよりも先ず、腹が出る。

 お腹がタップんたっぷんのおデブちゃんが、ついでに胸も大きくなるのがこの世界の常識。

 頭もお尻も98~98~。

 太ったおばさん体形、ならあり得るといったところか。



 沙那の様に細身で巨乳は、この世界では完全に異質の化け物なのだ。



「さあ。異世界のエルフよ。その力を示してみよ!」


 イストは常に上から目線だ。

 支配することが常識と育ってきたせいだろう。

 異世界エルフに対しても高圧的だった。


「お。うん……魔法?ううーん。女神様から何かもらったりしてないけど。秘めた力とか……あるのかなー」


「さあ!」


「よ、よーし。魔法の呪文……ビビデバビデブー!」


 何も起きなかった。


「ちちんぷいぷいっ!……オープン・セサミ!」


 もちろん何も起こらない。

 呪文のバリエーションが公共放送の幼児向け番組レベルなのは、沙那がまだ中学生でしかない故なのか。



「そりゃー……なんか、こう専用の呪文じゃないとダメかー……」



 その様子を見ていたイスtは険しい顔になった。


「まさか……ハズレなのか……」


 認めたくはなかった。

 異世界召喚の儀式には巨額の費用が掛かるのだ。

 しかも、支払った金は戻らない。

 壮大な課金ガチャなのだ。


 実は異世界召喚ワタリの目指す特殊なエルフが召喚される確率は1%に満たない。

 課金ガチャとしてはわりと普通な確率かもしれないが、誰しもが数回以内で当てたいものだ。

 イストはなかなかの貴族の家とはいえ、お金を無限に湧き出させることができるほどの資金力はない。

 彼自身は伯爵家の次男なので、全てを自由に使えるほどではないのだ。


「まだ、分かりませぬ。エルフには様々な力があります故に……」


「ふむぅ……」

 イストは顎に手を当てた。

「では、今しばらく牢へ入れておこう。地下牢に幽閉せよ」


「ははっ」


「いやしかし。エルフをぞんざいに扱いすぎるとどんな厄災があるやも……」


「構わぬ。厳重に監視せよ。協力する様子を見せたのなら連絡を」


「は、はあ」



「おい。こら。なにするのー?触るな―!すけべ!えっち!へんたい!」



 叫び抵抗する沙那を黒ずくめたちが連行する。



 沙那の甲高い声を聞きながら、イストは思った。

 あのエルフが当たりであるなら、危機に陥った時に何かの力を見せるだろう。

 もし、何もなかったら……堀にでも投げ捨てて廃棄だ。






2 地下牢


 ぴちょん。

 

 天井から水滴が沙那の頭に落ちた。

 湿度が高いのか。


「換気が悪いんだろーねー」


 ここは地下牢。

 当然だが窓はなく、湿気取りもなければ換気扇もない。

 あるわけがない。

 電気なんかないのだ。


 空気が滞留する場所は結露しやすい……というのは小学校の理科の時間だっただろうか。

 温度差があっても起きるんだったかな?

 などとぼんやりと考えていた。


 沙那が辺りを見回しても、明かりになるものは見当たらない。

 全体的に薄暗いがほんおりと明るい時があるのは、たぶん、昼間であるからなのだろう。

 かすかな明かりが届くのかもしれない。



 石の壁にカビがあることも気になった。

 湿気のせいだろう。

 こまめに清掃されてる様子がないから当たり前かもしれない。



 なにより……



「くっさぁぁぁーいっ!トイレの臭いぃぃーっ!消臭剤プリーズっ!」



 そう。臭かった。

 強烈に。


 原因は判ってる。

 判り過ぎるくらい判る。


 トイレと称する木製の桶だ。

 蓋も何もない、ただの桶。

 もちろん汚い。

 だから、臭いなんてものじゃない。


 現代の日本では公衆トイレすら洗浄便座が当たり前なのに、ない。

 沙那にはとても耐え難い。

 日本人が海外に行って、愕然とするものの一つだ。

 変に潔癖症な日本的な感覚だ。


 判り辛い謎ボタンがいっぱい!と外国人が驚いたりもするが。


「なるほど。異世界。ちょっとリアル・バージョンかー」


 沙那には未だに実感がない。

 やはり夢の中のような印象もあるし、反面、妙はリアリティもある気がする。


 どちらにしても……。


「臭いのはいやぁぁぁぁぁーっ!」


 女子中学生だし。


 なんとか脱出したいものだ。

 そこに……。



「おら。エルフ。メシだ」


 牢の扉の下から……ペットゲートのような小さな扉が開いた。

 沙那の実家では飼猫用のペットゲートを取り付けるか、両親が話してたなあと思いだす。

 そして、そこから木製のトレイが差し出される。


 カビだらけで染みの付いた、汚いトレイだった。

 うわっ。

 と沙那は思ったが、一応、それを見てみる。


 やはりこれも洗ったことがなさそうな汚い木製の深皿に具のないスープのようなものが入っている。

 ……ように見える。

 臭い。

 食べ物というより生ごみのような悪臭だ。


 それと、これは何だろう。

 同じような深皿に入ったのは……雑多な野菜くずのようなものが入った粥だった。

 たぶん。


 パンは?

 と思ったががそれらしいものはない。

 汁物が2つってどういうセンス?


 沙那は知らなかったが、この世界の食事は基本が粥や煮込み料理なのだった。

 それもスパイスや調味料の変化のないもので、味は素材由来のものと少量の塩味くらいしかないのだ。

 調理の手間が省けるように簡単なつくりでしかない。

 味も栄養も二の次。

 お腹を膨らませるために水で暈を増している。

 それも、綺麗とはいえない水であるから、臭いも良くない。


 特別に粗末なものを用意したわけではなく、庶民ならほぼこの程度なのだ。

 現代人の沙那には全く想像できな代物だ。

 パンは雑穀パンですら割と高価な部類の物とは、彼女は知らない。

 とにかく粥がメインなのだ。

 何しろ、手間が掛からない。


「……うっわーっ。ナニコレぇー?」


 お腹を満たすより先に、お腹を壊しそうに見える。

 雑菌への耐性が低めの現代人には耐えられないだろう。



「スープだけじゃないことに感謝するんだな」

 

 沙那は扉を睨み返した。

 何か言いたかったが、上手く言語化できない。

 そもそも状況を把握しているわけでもない。


 とにかく。

 沙那が立たされた状況はかなり悪そうに見える。

 ここは……脱走しかない!

 そう思った。



 ――こういう時、手段はアレとアレだよねー?



 沙那は今の状況を把握しかねていた。

 楽しい冒険モノの夢の中なのか、もしかして本当に異世界なのか。

 そして、概ね、前者だと考えていた。


 そう。夢。


 だからこそ、ややリアリティのないトンデモ行動も許されそうな気がした。

 やってみよう。

 先ずは、映画やアニメでお馴染みのパターン。



「ねー?ねー?看守のおじさーん」

 沙那がしなを作る。


「む……?なんだ?」

 看守が扉の覗き窓を開ける。

 覗き窓といっても小さなスリットであり、開閉式の蓋などついていない。

 目線だけが確保できる程度だ。


 

「うっふ~ん」



 しなを作った沙那が流し目を送る。

 制服のブラウスのボタンを2つほど外してみせた。

 そして、腕を組むようにして大きな胸を持ち上げる。

 中学生とは思えない立派な谷間が見えた。


「うげっ……気持ち悪いもの見せるな!」


「えええええー?色っぽいでしょー?萌えーにならないのー?」


「ならねえよ。気持ち悪い体しやがって!」


 そう、沙那には判らないことだが、この世界の美的感覚では巨乳は不気味なものなのだ。

 完全な洗濯板は困るが、大きすぎるのも気持ち悪い。

 なかなか微妙なラインで、それが栄養状態の悪い世界だから自然発生したものだった。

 より平均値に近い造形が美しさの基準になっているのは、実は現代世界とほぼ同じなのではあるが……。


「ふつー、ロリ巨乳なセクシーJCがいれば『萌えー』ってなるものでしょー?キミはおかしいんじゃないのー?」

 

「ふざけんな。牛エルフ」


 沙那は膨れた。

 牛とはなんだ。牛とは。

 

「むむむ~。ボクのせくしぃポーズに動じないとは見上げた職業意識……」


 違うと思う。


「色仕掛けするなら、もうちょっと胸をダイエットすることだな」


「おにょれぇ~……」


 沙那はさほどモテはしないが、すけべな目で見られることは多いのにと思った。

 とはいえ、所詮は子供なのだ。

 性的アピールするには色々たりない。


「ならばっ……これだ」



 さなは ふしぎな おどりを おどった。



 といってもブレイクダンスの様な激しいものではない。

 膝丈スカートの制服姿で踊ったら、それはそれで現代なら受けそうだが

 この世界では逆効果だろう。


 そこで沙那が選んだのは……。

 ショーグンサンバ!

 金色の着物を着た中年の将軍様が歌いながら踊るアレだ。


「うわっ。エルフがおかしな動きをっ……!」


 慌てて看守がのけ反る……!


「ふふふふふー。この呪いの踊りを見た者は……あることをしないと、紫色の滲みになって死ぬっ!」


「なんだと!?」


「あぶらかたぶらてんぷらあぶらー!エルフの呪いの魔法なのだー!実をいうとボクは呪いの大魔法使いなのだーっ!」


「うわっ……うわっ……」


 看守は腰が抜けて、尻餅をついた。

 恐怖で全身に冷たい汗が出る。


 一介の看守でしかない彼にはエルフについての知識はほとんどない。

 しかも、異世界のエルフは稀に大魔法を行使することは聞き及んでいた。

 油断すると何をされるか判らない。 

 

 てっきり、魔法というと爆発したりとか何か派手な攻撃をするのかと思っていたが。

 まさか呪いとは。

 これは恐ろしい。 

 人間にとって最も恐ろしいのは、『見えない強力な力』なのだ。

 見えなければ逃げることも対抗することもできない。


「ただし!この扉を開ければ呪いは解ける!さあ!さあ!さあ!」


「う、嘘だ!騙されないぞ」


「へー?試してみるのー?キミは勇気があるんだねー」


「ま、まさか……いや、しかし……エルフの大魔法……」


「ほらほら。あと3分しかないよー?」


「さ……3分……?どういう意味だ?」


 沙那はちょっとだけ間違った。

 実はこの世界に明確な時間の概念はない。

 朝とか夜、何の月とか何年というのはあっても、庶民レベルには細かい時間は存在しない。

 そもそも、時計がないからだ。

 砂時計も存在はするが、何しろ高価なものだから庶民では目にすることすらあまりない。

 そのくらいだから時間の感覚がないのだ。


 ただ……。


 なんとなくの意味は看守にも感じられたかもしれない。 


「3分っていうのはー……ペンギンがぱんつをはいて脱ぐくらいの短い時間だーっ!」


 意味不明だった。

 ぺんぎんはぱんつ履かないし!……というよりも、ちょー時間かかりそうだ。

 例えとして不適切だった。


 だが、看守は沙那の勢いに圧倒されていた。


「さあ、さあ、さあ!ハリー、ハリー、ハリー!」


「うわ……うわっ……うわあああああああーっっ!」


 看守は鍵を開けた。

 頑丈さだけが取り柄の単純な南京錠パッドロックは鍵が回れば、あっけないほど外れる。

 勢いと雰囲気に呑まれた看守は腰が抜けて尻餅をついた。


「やった!」


 沙那は迷わず飛び出した。

 そして、確信した。


 ――こう上手くいくなんて、やっぱりこれは夢の話なんだあ!


 沙那は走った。

 宛はないが夢ならどうにかなるだろう。

 行き当たりばったり、どんとこい。


 ここが地下だと見当を付けていたから、上へ上へと向かうことにした。

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車輪屋男爵・R 草薙さくら @kusanagisakura

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