第35話『再熱するシリアスとマリーナの胸の内』

 マルサネス川を源流のタンクホルム山へさかのぼると、しだいに川幅かわはばせばまりガレオン船から、小舟に乗り換える必要がある。そこから小舟で船底ふなぞこ川底かわぞこを打つまで進むと、徒歩とほで歩ける小川おがわに出る。



 レオが率いるヴァルガーデンの『白鷹しらたか騎士団』アラン・ホワイトホークと、バレタニアのオルカン・タイドンとその娘でレオの母・マリーナ率いる『バレタニア師団』が船を降り小川に足を踏み入れた。


 ヌルリ!


 川底のぬめりでプレートアーマーで固めた『白鷹騎士団』団員が、足をすべらせて転んだ。


 オルカンが、「だから、水辺には鉄は不向きだと言ったであろう。これだから都の人間はダメなのだ」と呆れ顔で叱責しっせきする。


 若いレオは、生れてはじめての戦で、総大将の任についている。しかも、母と祖父そふまでお守役でついてくる始末だ。


「母上と祖父様じいさまの前で無様ぶざまな姿をさらしおって!」


 レオがバケツに水を入れたように重いプレートアーマーで自力で起き上がれず、溺れる団員に近づいて、かぶとを脱がして濡れた髪を引き掴む。首をき出しにすると、腰の短刀たんとうを引き抜き、スッとのどを切り水面に叩きつけた。


「レオ様、何ということを!」


 血相を変えてアランが、団員を抱き起し、「すぐに手当てを!」救護班きゅうごはんを呼びつけ、傷口から溢れる血を手当する。


 駆けつけた救護班がヒーリングの魔法をかけるが、傷口がふさがるより早く事切こときれた。


 アランが、残忍ざんにんなレオの仕打ちに、無言で厳しい目を向ける。


「なんだ、ホワイトホーク、総大将の私のすることに文句でもあるのか!」


 と、切れ長の一重でにらみ返す。


 パチンッ!


 そこへ、マリーナが進み出て、いきなり、レオの頬面ほほつらを張り飛ばした。


「レオ、あなたはヴァルガーデンの皇太子こうたいしでもあるのです。不慣ふなれな川での行軍こうぐんで足を滑らせただけで、大事だ自己おのれの兵の命を奪うとは何事ですか!」


 レオは、ダークスのような猜疑心さいぎしんの強い目をマリーナに向けて、「パチンッ!」と母の頬を張り飛ばした。


「マリーナ!」


 父・オルカンが、レオに張り飛ばされ、川に倒れ込んだマリーナを抱き起し、レオを睨みつける。


 レオは、悪びれもせず、さも当たり前のように「私は未来のヴァルガーデンの王になる人間だ。その高貴な人間に手を挙げるとは母と言えども容赦ようしゃはできない。私は、ダークス・ストロンガーの息子、誰の指図さしずも受けない」と言い放ち、一人さっさと行軍を再開した。


 オルカンは、マリーナの背中を抱き、「マリーナ大丈夫か!」と孫の暴君ぼうくんりに、心痛の表情をみせる娘に同情の声をかける。


 マリーナは、あたたかい父の言葉に、手を借りて立ち上がる。


「大丈夫です。父上、やはり、この戦に私もついてきて正解せいかいでした」


 と、オルカンに頷く。


 オルカンは心配そうに娘を見て、「『バレタニア師団』は海の民だ。皆、靴底くつぞこに砂をまぶしたざらつきのある沢靴さわぐつで滑らないように対策している。しかし、平原で騎馬を駆るのが専門の『白鷹騎士団』は鉄の重層甲だ。とても、ワシらのように水辺に生きる者から考えられない装いだ。これではモルデールに着くころには、装備の重さと水に足を取られる疲労で戦どころではなくなるわ」


 マリーナは、賢明けんめい眼差まなざしをオルカンに向け、「父上のおっしゃる通りです。私がレオを甘やかして育て過ぎました。すべては私の過ちです」と頭を下げた。


 オルカンは、胸の前で自分のこぶしをぶつけて、「ダークス卿は、周りの人間の人生すべてをゆがませる元凶げんきょう。お前が許嫁いいなずけだったシリアスとそのまま一緒になっておれば、このような事には……」と悔しそうに口元を引き締める。


 マリーナは、オルカンの目を見つめて、黙ったまま首を横に振る。


 オルカンは、本音とは言え、娘の心を代弁しすぎたと、「口が過ぎた」と自重じちょうする。


 マリーナは、部下をレオに殺されたアランの元に駆け寄って、ひざを折り、懐からシルクのハンカチを取り出して、無念むねんの表情をみせるアランから部下の亡骸なきがらを抱き受け取り、首筋の傷を拭った。


「アラン、私の息子があなたの大切な部下の命を奪いました。なんとびればよいか」


 と、事切れている部下の顔を慈母じぼのように優しくなでる。


「王妃様、もったいないお言葉、この者にとってせめてもの救い。痛み入ります」


 そう言うとアランは立ち上がって、「これも戦の1つです。我らの目的はモルデールを落とすこと、泣いてはおれません。先を急がねば」とレオを追いかける。


 オルカンが、マリーナの元に近づいて、「アラン・ホワイトホークは心強い真の忠臣だな」と背中を抱く。


 マリーナは、救護班に、事切れた団員の亡骸を預けて、「父上、レオが間違いを犯さぬため、私たちも進まねばなりません」と立ち上がった。




 ――モルデールの町の要所要所に馬防柵ばぼうさくもうけ簡単には侵入しんにゅうできないように防備を整え、待ち構えるシリアスが胸元から一枚の絵手紙えてがみを取り出し、見つめている。


 絵手紙は、女文字で書かれている。裏には若かりしころのマリーナが描かれている。


 と、そこに、住民の避難を終えて報告にヴァルダーがやって来た。


 ヴァルダーがシリアスに並びかけて、ヒョイと絵手紙を覗き込んだ。


「若様、まだ、マリーナ様のことが忘れられぬのですか、男らしくない!」


 と、不躾ぶしつけ物言ものいいをする。


 シリアスは、絵手紙を慌てて、胸元に仕舞しまって、「私は、父上のように強くはない。愛する者も守れない情けない男だ」とばちに言い捨てる。


 ヴァルダーは、腕を組み身を反り返らせ、「某ならば、ダークス卿と決闘いたしましたな」


 ……シクシク。……シクシク。


「私は、ヴァルダーお前と違って、繊細なのだ。難しい判断を簡単に言うな」


 ヴァルダーは、首をかしげて、「若様、次のチャンスがあれば、男らしくあられよ。わっはっは~」と豪快に笑い飛ばした。



 ブヒヒーン!


 モルデールの四方に配置した物見の『幻影騎士団』団員が、騎馬を乗りつぶす勢いで戻って来た。


「シリアス様、南、1kmのマルサネス川より、『白鷹騎士団』の旗と、海シャチ『バレタニア』の旗が並んでやってきます。


 ヴァルダーが団員に厳しい目を向ける。


「大将は誰だ?」


「おそらくはレオ様!」


 ヴァルダーは眉をしかめて、「皇太子殿下だと⁈」


「はい、さらに、海シャチには王妃様とおぼしき人影も、何分、夜の遠目にて正確なことは」


 ヴァルダーは、ゆっくりシリアスに振り返って、「若様……」


 シリアスは、胸に手を当てて、静かに頷いた。




 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る