第三部②マリーナの葛藤

第33話『揺れる王妃の心』

 ヴァルガーデン王宮の東側広場には王立劇場と、南側には大聖堂がある。


 劇場を出たいかめしいトリスタン率いる衛兵えいへいを連れ、狡猾こうかつなカラスの羽のようなガウンを羽織はおったダークス王と、大聖堂を出た黒の修道服しゅどうふくを着た王妃おうひマリーナが、王宮の正門広場で鉢合はちあわせする。


 ダークスは、マリーナを見ると、抑圧するように、「レオはヴァルガーデンの総大将としてモルデールへ出陣が決まった」あごを突き出して言った。


 マリーナは、キッと見返して、「レオはまだ17歳、いくさに駆り出すには早すぎます。しかも、実の血を分けた兄・シリアス様のいる『モルデール』への出陣、あまりに残酷ざんこくにございます」と目を伏せた。


 ダークスは、眉をハの字に懐疑的かいぎてきに、「もと許嫁いいなずけが我が子の手に掛かって死ぬかも知れぬと思えば、お前もこころおだやかやかではいられまい」と屈折くっせつした微笑えみを見せた。


 マリーナは、燃えるような目で、「私はあなたの妻になった時に、シリアス様への思いは捨てました。今の私は、このヴァルガーデンの王妃おうひ皇太子こうたいしレオの母で」


 ダークスは、目の奥に本心を内に秘め、マリーナの修道服の頭巾ずきんつかんで引きがした。


「マリーナ、お前の申すことが本心ならば、なぜ、ワシという夫がありながら、修道女の真似をする!」


 ハラリとマリーナの美しい黒髪と小麦色の肌が、頭巾の中からこぼれた。


「私は、王に仕える従順じゅうじゅんな妻、それだけにございます」


 と、頭を下げた。


 ダークスは、目をすぼめて、「まあ、よい。お前は自由な海のたみバレタニアの女、好きにせよ」と、背中を向けた。


 一歩、二歩、ダークスが王宮へ進むと、足を止め何か思いついたように振り返った。


「そうだ、今、お前の父・海シャチの仇名あだなをもつオルカン・タイドンも上洛じょうらくしておるな。そうだ、レオの後見役こうけんやくとして一緒に出陣してもらおう」


 マリーナがキッと顔を上げた。


「父は、ヴァルガーデンへの海塩うみしおと、黄色く実をつけたのオレンジを孫に食べさせようと、老婆心ろうばしんから上洛しただけ、山の国モルデールと戦する心などこれっぽちもありません」


 ダークスは、嬉しそうに抜けた歯を見せて、「これは、絶好ぜっこう機会きかいだ。レオの初陣ういじんを海シャチに後見こうけんしてもらおう。マリーナ、王命だ。お前は、この後、埠頭ふとうへ行き、オルカン・タイドンにレオとともに兵を出せと伝えるのだ!」


 マリーナは、一瞬、目を強くつぶった。そして、絞り出すような声で、「……はい」とダークスの命令に応えた。




 王宮から真っすぐ埠頭につながる道を馬車に揺られ思いつめたように暗い顔を浮かべるマリーナが、山と海の物流が集まるバレタニアからモルデールへつづくパラシオ街道を抜け、そのまた南の大河マルサネス川が流れる埠頭ふとうのタイドン家の町屋敷についた。


 埠頭には、バレタニアからのガレオン級の大型おおがた帆船ほせん着岸ちゃくがんしたところだ。


 マリーナが、心苦しい面持ちで、馬車を下りると、ちょうどガレオン船から日に焼けてたくましいオルカンが自分で一箱ひとはこを担いで桟橋さんばしを渡ってきた。


「おお、マリーナではないか、めずらしいな出迎えか」


 オルカンは、海のおとこだ。マリーナがダークスから命じられた非情ひじょうな命令など想像もしていない。


「父上、話があります。荷を置いたらすぐに町屋敷までお越しください」


 オルカンは、あっけらかんと、「なんだ、ここでは話せないことなのか?」と荷を足元に置いて、後から来たふな人足にんそくに、「後を頼む!」と肩を叩いて、マリーナとともに町屋敷に入っていった。




 ――タイドン屋敷。


 ドンッ!


 マリーナの話を聞くなり、オルカンは、いきなりテーブルを叩いた。


「なんだと! ダークス卿は、私にレオの子守こもりをせよとお命じになったのか!」


 マリーナは、悔しそうにうなずく。


「はい、父上……」


 オルカンは、マリーナの目をしっかり見て、「ダークス卿は、まだ、レオのまことの父をシリアス様だとうたがっておられるのか!」


 マリーナは、悲しそうに、俯いて首を横に振る。


「ダークス様のお気持ちはわかりません。ですが、レオは……」


 と、マリーナが言いかけた時、オルカンが言葉を打ち消すように怒鳴どなりつけた。


「それ以上、言うなマリーナ! ここはタイドン家の町屋敷とは言え、使用人の中にダークス卿の耳として働く者もおるやも知れぬ」


 マリーナは、オルカンにすがるように、「ですが父上、レオは……」


「マリーナ!」


 オルカンは、マリーナの両肩に手を置いて、教え諭すように見つめて言った。


「いいか、マリーナ。レオはダークス卿の息子だ。例え、お前の許嫁がかつてはシリアス様であったとしてもだ!」


 マリーナは、うったえるようにさけんだ。


「父上!」


「マリーナ‼」


 オルカンは、マリーナの口をふさぐように人差指ひとさしゆびを押し当て、周りに人がいないか確かめるように視線しせんを送り、小声でたしなめるように言った。


「マリーナ、真実は重要ではない。それはお前の心の中に仕舞しまって墓場はかばまで持って行くのだ」


 マリーナは、オルカンにゆるしをうように、今にも泣き出さばかりにすがって、「真実を隠して生きるのは、死にながら生きろと仰っているのと同じこと、私は神の目を恐れます」


「マリーナ、この世で生きるのに神など信じるな。信じられるのは強い力とつながった血だけだ」


「だからこそ……」


「マリーナよく聞け、真実はお前しか知らぬ。例え、真の父親がシリアス様だったとしてもだ!」


「私は、母として、息子が父を殺すのにえられません」


 オルカンは、ふるえるマリーナの肩をしっかり抱いて、「よく聞け、マリーナ。レオの父親はダークス卿だ。他の何者でもない。それが事実だ!」


 オルカンは、決心を固めたようにそう言って、かべかった三又みつまたもりを掴んだ。


父子おやこ相争あいあらそうことになれば、それを見届けるのも母の務めです。父上、私も共に行きます」


 と、マリーナは、オルカンが銛を掴んだ手に自分の手を添えた。


 つづく




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