第4話『マンホールの向こうに未来が待っていた』

 38歳のポジラーこと追手内ついてない景男かげおは、職業紹介所で仕事を探し、求人票を10枚ほどプリントアウトして女性相談員にみせると、履歴書りれきしょ見比みくらべながらしぶい顔で言葉をにごされた。


「追手内さん、まことに申しわけないですが、不景気ですし、ご希望の正社員はむずかしいように思います。現実的には、派遣社員やパート、アルバイターの方向、職業訓練で何かしらの資格の取得をお考えになられた方が良いように思います」


「やっぱり、高卒では、難しいですか?」景男は不安そうに視線しせんをそらしながら尋ねた。


「いや、そんなことはないのですが……」


 相談員はため息をつきながら「今の景気では、高卒でも難しい状況です。ただ、職業訓練や派遣など、他の選択肢も考えて見ればいかがでしょうか」


 景男は肩を落とし、「そうですか。でも、なんとか自立したいです……」と力なく言った。




 幼少期ようしょうきから勉強が苦手だった景男は、公立校で成績は振るわなかった。高校をなんとか卒業し、担任の紹介で就職したが、そこがブラック企業だったため半年で辞めてしまった。


 母の勧めで大学受験を考え、予備校に通ったが、どの試験も不合格となり、彼は勉強が苦手で自己評価が低く、失望感しつぼうかん現実げんじつ逃避行動とうひこうどう自己嫌悪じこけんおおちいった。その後、SNSで知り合った友人とパソコン経由でニコニコ動画の配信者を見るうちに、落ちこぼれは自分だけではないと知り、細々とゲーム実況生配信などをつづけているうちに、気がつけば38歳引きこもりニートとなっていた。





 そんな、無敵の人になりつつある景男だが、最近、恋をした。相手は、学生生活の間、成人してから出会ったどんな女性よりかわいい。それも、そのはずアイドルだ。


『Tropical(トロピカル) Breeze(ブレーズ)』というアイドルグループの涼宮未来というアイドルだ。始めは人気がなかった『Tropical Breeze』がメンバーが共に支え、励まし、成長し、誠実にファンと向き合うことで人気に火がついた。


 景男は、ニートだからお金は、上場企業の部長を務める厳格げんかくな父の目を盗んで、母から月に5万円の小遣こづかいをもらって生活している。始めは人の目を気にしながら、『Tropical Breeze』のイベントに参戦していたが、3000円の特典会で未来に会うたびに、満面の笑顔で勇気づけられた。


 未来は景男の手を両手で包み込むと「景男さん、いつもありがとう。また来てね♡」と言われる度に、自己じこ肯定感こうていかん爆上ばくあがりし、気がつくと、地元に未来がライブに来ると必ず足を運ぶようになった。


 今では、部屋中が未来の写真と『Tropical Breeze』グッズであふれている子供部屋オジサンだ。


 未来の姿を見るたびに、自分の無力さと彼女への純粋じゅんすいな思いが交差こうさし、胸が痛くなった。しかし、その笑顔を見るたび、少しだけ勇気がいてきた。


 最近では、小遣いだけでは足りず、未来と同じ年齢の妹から借金をして参戦している始末しまつだ。借金が積もり積もって、とうとう、並んだ部屋の入り口で、ばったり顔を合わせると妹は、バタンとドアを閉めてかくれてしまう。表で出会っても他人のフリ、無視されるようになった。


 そこで、景男は生きがいの未来のライブに行くために、「妹にはもう頼れない。就職して自分で金を稼ぐしかない!」と一念いちねん発起ほっきして職業紹介所に通い始めたが、現実を突きつけられ肩を落として帰宅していた。それでも、未来の笑顔だけが心の支えだった。とりあえずBluetoothイヤフォンで『Tropical Breeze』のバズり曲『かわいい私のヒミツ』を聞きながら、未来の笑顔を思い出しだらしなくニヤケていた。その瞬間しゅんかん、足元がくずれ、やみに吸い込まれるようにマンホールに落ちていった。


 このマンホールは日本最古のマンホール京都清水寺と同じ江戸時代に作られたものだ。子供の頃は、あのマンホールは芥川龍之介の『河童かっぱ』の世界に通じていて、そこに、祖母の叔父。近所でも評判の帝国大学に通う秀才で、歩きながらでも本を読むような本の虫が、いわくつきのマンホールに落ちて帰らぬ人となった。と言えば語弊ごへいがあるが、作業員が、マンホールと水路をくまなく探しても死体が見つからなかったことから、戦時中でもあるし、河童の仕業にして処理されたいわれだ。生前、祖母は口を酸っぱくしてマンホールには気をつけろと話していたが、認知症にんちしょうの祖母の作り話だと思っていた。


 だが、景男の暮らす町はいい具合の田舎なので工事の関係者が休憩きゅそくはなれたすきに、警備員けいびいんがどうにもこうにも腹の具合が悪くてもよおした。我慢しきれず持ち場を離れたわずか5分の間に、景男は歩きスマホでニタニタと未来のゲリラ動画配信に気を取られ、そのままバリケードを器用にかわしてマンホールにドボン。


 景男は落ちた拍子に、未来の写真が待ち受けになっているスマホを放り投げ、「ちょっと待ったー!」と落っこちた。






 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る