▼第六十話「絶華百雷」メンネフェル大神殿編⑬
ウプウアウトは神殿の長大な巨石階段を駆け上がり、神殿の二層目に突入した。周囲には倒れた兵士たちが寝息を立てていて、行く手を阻む者はいない。そして二層目の内部に入ると、必死の形相で汗を振りまきながら左右を見回した。そして父セト特有の波動を感じるや否や、そちらの方向へ矢のように飛び出した。
そこにひとりの男がゆらりと姿を現し、セトの間へと続く回廊の前に、立ちはだかった。銀の仮面をつけた男、銀面剣龍である。剣を抜いてもいないのに、肺が握り潰されたのかと錯覚するほど息苦しい殺気を放っている。これほどの強者であれば、眠り薬など効くはずもない、とウプウアウトは決死の覚悟を固めた。
「貴様、このタイミングで現れるとは、この事件の首謀者か?」
「問答無用、押し通るッッ!!」
ウプウアウトは剣を抜き、赤き雷を銀面剣龍に向けて撃ち放った。それはウプウアウトの全力であり、第三位階といえども、最上位の赤き雷の威力は、中位階の兵といえども無事ではいられない。——はずだったが、銀面剣龍は光を放ち、銀の鱗の籠手で、その雷を素手で払い除けた。雷は背後の岩壁にぶち当たり、爆音と共に巨石を穿った。砂煙がもうもうと立ち込めるなか、銀面剣龍ウォルギルヴルはゆっくりと歩いて姿を再度現した。魔装を解放したウォルギルヴルは、籠手のほかに、脛当て、胸当て、額当てが現れ出で、全身が銀の装甲でよろわれていた。
「いきなり攻撃してくるとは威勢がいいじゃないか。子供とはいえ、容赦はせんぞ」
「百雷剣功・<
ウプウアウトは返事の代わりに、全力で剣を振った。幾条もの稲妻が剣先から溢れ、閃光とともに
「ふん、子供騙しの技に過ぎんな」
ウォルギルヴルは大きくを息を吸い込むと、一気に内功を乗せた大声を発した。「阿ッッ!!!!」それは無形の大砲のように炸裂し、神殿内の花や布飾りをちぎらんばかりに揺らした。そしてウプウアウトの渾身の雷の群れが、ただの一喝でかき消えてしまった。
「か、格が違い過ぎる……!!」ウプウアウトは剣を握る力さえ残されていない。
「子ネズミ、ここで死ぬがいい」
ウォルギルヴルは剣を抜き放った。
「冥途の土産だ、よく見ておけ。剣とはこう使うものだ」
銀面剣龍は剣を軽く振ったかと思うと、姿が二人、三人、四人と増えていった。そして、すぐに姿が見えなくなった。ウプウアウトは左右を見回し、どこから気配が近付いてくるか、気を張り詰めた。
「おい、どこを見ている?」
ウプウアウトの喉元には刃が突き立てられていた。銀面剣龍はいつのまにか背後を取り、ウプウアウトの生殺与奪の権を握っていたのだった。
刃先が首の薄皮を破り、そこから血が一条流れ出て剣を滴った。ウプウアウトの心臓は張り裂けそうなほど激しく鼓動し、命の終わりを早足で駆け抜けようとした。
そのとき神殿の奥から、人間の声でない、とてつもなく不吉な、獣の咆哮にも似た恐ろしい怒声が響き渡った。
「ウォルギルヴル、その者を殺すなッッ!!!!」
その声は、巨石で建てられた大建築・メンネフェル大神殿が揺れ、軋むほどの声量であり、ウプウアウトは思わず失神しかけた。
「はっ、我が
その声の主は、誰あろう、セトその人であった。習いである敬語すら使う余裕もなく、怒りか興奮か、我を忘れて獣性を出して叫んでいたのだった。
ディラとインプトは、宝物をすべて
宝物庫の扉は、出るときにも入るときにも音声認証が必要だったが、もはや正規の手段では出られない。管制室もすべて眠りに落ちているからだ。
ディラは目を閉じて集中すると、気感で周囲の様子を改めて探った。そして水の気配を感じると、東側の壁の前に行き、百宝奇嚢から陶器の壺と刷毛を取り出した。壺に入っている薬液に刷毛を浸すと、大人一人が通れる程度の範囲にその液を塗りたくった。それから道具をしまい、呼吸を整えながら壁に向かって構えた。
「少し眩しいぞ。目を押さえておけ。——透侵幻功・<
透侵幻功の奥義は、気を貫通させる絶技であり、ディラの強烈な掌打が壁を打つと、閃光が炸裂した。そして岩壁の奥にまでその衝撃が貫通し、岩の崩れる大きな物音とともに一筋の通路が現出した。岩壁は四メートルもの分厚さがあり、そのうえ陣法で保護されていたため、非常に堅固であったが、ディラの薬剤と奥義の前に脆くも崩れ去った。
「さあ、急げ!! シュルマトはこの衝撃でじきに目を覚ます!!」
「はい!!」
その岩壁の先には広大な地底空間が広がっており、地下水源へとつながっている。ディラは松明を灯し、水の気配を頼りに、先へと進んだ。水場が近いだけあって空気も一層湿り気を増し、ほとんど凍えそうなほどの温度しかない。インプトは内功を高めて体温を上げつつ、先を行くディラの後を追った。そしてほんの数分ほど歩いたところで、地底湖へとたどり着いた。
その地底湖は、息を呑むほど静かだった。定期的にざぶんざぶんという水の音が聞こえるほか、ほとんどなんの音もしなかった。湖岸の水面は鏡のように澄み渡っていて、松明の灯る範囲の岩壁を映し出していた。湖面を覆う空気はひんやりと冷たく、肌を刺すような寒気である。湖の奥は暗闇に包まれ、どこまで続いているのか見当もつかない。天井は松明の光が届かないほど高く、満天の闇は、巨大な口を開けた怪物のようで、インプトは我が身を守るように両手で身体をさすった。
「手順は覚えているな?」
「もちろんよ」
二人は見つめ合って頷いたのち、極寒の地底湖に飛び込んだ。
ウォルギルヴルはウプウアウトを抱え、セトの間に恭しく足を踏み入れた。セトは玉座から冷徹そのものの眼で二人を見据えた。ウプウアウトは怒りで激しく燃え盛る眼でもってセトの視線を受け止めた。十年ぶりに見る父の姿は、人の姿をしているにもかかわらず、なにか人でないもののようにしか思われぬ。黒い眼球、白い瞳孔、顔に斜め十字の傷痕。眉毛も髪も表情もなく、血の温もりひとつ感じさせぬ目でウプウアウトをじっと見つめている。
「銀面剣龍、その者を下ろしなさい。この者は、余の息子です」
「な、なんと……!! それでは、この子が!!」
「俺はお前の息子なんかじゃねえ!!!!」
ウォルギルヴルが力を緩めた隙を突き、ウプウアウトは身をよじらせてその腕から逃れた。しかし、第九位階のセトから逃れる目算はゼロに等しかった。そのとき、ウプウアウトは宙で闇に縛り付けられているアヌビスに気が付いた。アヌビスは闇に意識を侵食され、ウプウアウトが来たことにも気が付かない。
「アヌビス!!!! おい、セト!! アヌビスを離しやがれッッ!!」
「それが父親に向かって言う言葉ですか?」
セトは指を捻ると、闇がうねり、アヌビスの身体の深くに突き刺さった。アヌビスは血を身体中から流しながら苦悶に顔を歪め、叫んだ。
「ああああああああああッッ!!!!」
「アヌビィィスッ!!!! やめろ、やめてくれ!!!!」
「この者とお前と、どんな関係にあったのかはこれからゆっくりと聞き出すとしましょう。その前に、この拷問を止めたければ、父の前で跪き、乞うてみなさい」
「くっ……」
ウプウアウトは白目を剥きながら叫ぶアヌビスを見た。しかし、それだけはどうしても出来ぬのだった。
「お前のしでかしたことを俺は知ってるんだぞ!!!! お前が母様を殺したんだ!!!!」
「事情があったのですよ。余とて、我が妹にして妻であるネフティスを殺したくはありませんでした」
「畜生ッ!! それが殺しの理由になるものかッ!!」
「まだ青いですね。命を賭けた戦いに、子供の論理は通用しません。今この状況のように」
闇がねじり上げられ、アヌビスの心臓の前に槍が現れた。
「さあ、命乞いをしてみなさい。お前がメンネフェルの王子になるというのなら、この者の命を助けましょう」
(つづく)
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