▼第五十九話「炎の隼」メンネフェル大神殿編⑫
神殿長ジャルエルドは、魔法の認証が必要な三つの扉を超え、地下百メートルの深部にある宝物庫へと続く長い長い螺旋階段を下っていった。全体としては真っ暗な空間だったが、階段の足元付近両側に夜明珠が埋め込まれており、足を踏み外す恐れはなかった。そして暗黒の道程を超え、宝物庫の扉の前に到着すると、ジャルエルドは地上の管制室からの音声認証を受けた。管制室が入場の許可を出すと、宝物庫の扉は自動で左右に開き、湿った冷たい空気が流れ込んできた。そこには強い腐葉土のような臭いが混じっている。ジャルエルドはその中へと足を踏み入れた。
宝物庫は全体としてはやはり薄暗いが、天井に夜明珠が埋め込まれており、地下階段よりは視認性が高かった。
この部屋の中央にとぐろを巻いて眠る巨大なミミズを見て、小人化してジャルエルドの衣服に潜んでいたインプトは思わず叫び声をあげそうになった。事前に聞いていたとはいえ、そこから発せられる死の気配は、インプトの内臓に圧迫を加えた。腐葉土の臭いは、この巨大なミミズから発せられていたのだ。
部屋は二重構造になっており、巨大ミミズの鎮座する部屋の深奥に、本丸の収蔵室があった。収蔵室には秘宝<ラーの鏡>を含むあらゆる財物が蔵されており、この最後の間を第九位階の魔獣・シュルマトが守っているのだ。
シュルマトは全長二十メートルの巨大なミミズの姿を持ち、ありとあらゆるものを食べ、消化することのできる恐ろしい魔物だった。地中にあるどのような岩盤でも、まるでスプーンでプリンを掬うかのごとく易々と穴を開けてしまう。さらに、地震を自在に起こすことが出来る異能は、地中では無類の強さを発揮した。地中においては同位階敵なし、つまり史上唯一の第十位階ラーを除けば、実質最強の魔物である。かつてセトが地上におびき寄せて全軍でこれを討ち、地下の宝物庫に封じたが、地中では手も足も出なかっただろう。現在ではシュルマトは地底の奥深くで眠らされ、侵入者があった場合のみ起きて活動するよう魔法で束縛されている。
ジャルエルドはシュルマトを起こさぬように封印魔法を改めてかけると、巨大ミミズを迂回して進み、深奥の扉の中心にある宝珠に手を触れた。それはジャルエルドにかけられた識別魔法と感応し、光を放った。果たして、扉は開かれた。
収蔵室の中は光で溢れており、さまざまな秘宝が所狭しと棚に並べられていた。インプトは明るさに慣れるまで、目を手で覆う必要があった。ディラの狙いである巨大宝石<ラーの瞳>もこの中にあり、ディラは父の往年の姿を思い出して、口をぎゅっと引き絞った。死んだ父の無念を晴らすときが、ついに来たのだ。
そしてジャルエルドがラーの鏡を手に取ろうとしたその瞬間、どさり、とその場に倒れ伏した。睡眠薬を塗った針で、ディラが彼の首を刺したのである。
ディラは自身とインプトの小人化を解除すると、計り知れない価値の財物に呆然とするインプトに号令を降した。
「さあ、仕事に取り掛かろうじゃないか。栄光はすでに我らの手の中にある」
ウプウアウトとレンシュドラは、左右の兵舎からそれぞれ天空に出現した幻影を見て、計画の成就を知った。この幻影は全長五十メートルの炎の隼であり、実体はないものの、衆目を集めるのにはこれほどうってつけなものはなかった。なぜならば、炎の隼とは、ラーの姿そのものだからである。
メンネフェル美少女大賞が終わったとはいえ、ラーの鏡を用いた儀式がこれから始まるとあり、民衆の大多数はまだこの神殿付近にひしめき合っていた。そんな彼らが、一様に天を指差し、口々に奇跡の出現を叫び、興奮した。ラーがご帰還なされた! ラーの復活だ!
一方、神殿内でメジェドはその大衆の声を聞きつけると、一人で頭を抱え込んだ。アヌビスがセトに呼び出されてしまい、分断されたままで計画が始まってしまったのだ。しかし、アヌビスひとりのためにほかの仲間を危険に晒すわけにもいかず、メジェドは葛藤した。しかし、悩んでいる猶予はなかった。アヌビスくん、あとで絶対助けに行くから、とメジェドは呟きながら、口訣を唱え始めた。
すると、彼らが納入した魔法陣の描かれた油壺が、神殿のあちこちで光り出した。管制室はその瞬間、パニックに陥った。監視魔法が機能しなくなったのだ。メジェドの魔法陣は、監視魔法を妨害するジャミング陣であり、これがメンネフェル大神殿の目と耳を奪った。急いで原因を探し出せ、と室長が怒鳴るも、警備兵たちは覇気なく返事するのみで、室長はさらに怒りを増した。しかし、室長がどやしつけるなか、警備兵たちはその場で倒れて眠り込んでしまった。これはおかしい、と室長が気付いたときには、彼も睡魔に襲われていた。ウプウアウトが食事のメニューを事前に調べ上げ、レンシュドラとともに兵士の食事に睡眠薬を混ぜていたのが、ここにきて作用したのだった。メジェドはドレスを脱ぎ捨て、髪の毛を縛ると、混乱に乗じて神殿から抜け出した。
アヌビスは、セトの言葉を聞き、固まって動けずにいた。
「じょ、女装? な、なんのことかしら?」汗が全身から噴き出している。
「ふふふ、存外、芝居が下手なようですね。誤魔化しても構いませんが、余の心証を悪くするだけだと忠告して差し上げましょう」
「どうしてそう思われるのですか?」
「あなたから男の臭いがするからですよ」
アヌビスはその言葉を聞き、言い逃れることを諦めた。初遭遇時、あれだけ広い戦場から鼻だけで自分を見つけ出したセトだ。臭いについては誤魔化しが効かないだろう。アヌビスは何も答えずに顔を青ざめさせた。
「余でなければ見抜けないほどの完成度でした。あなたが男とは、とても信じられません」
「俺は、殺されるのか?」とアヌビスが言った。
「あなたが何者かによります。それと、女装くらいでは殺しませんが、あなたの言葉遣いは死罪に値しますよ」
「どうせ殺されるのに、敬う振りなんぞ出来るもんか」
「やれやれ、あなたはどうしても殺されたいのですね」とセトは笑った。しかし、目だけは笑っておらず、アヌビスを冷徹な目で見据えている。「その気の強さも、イシュタルにそっくりですよ」
そのとき、天に火の巨大隼が現れ、民衆が興奮して騒ぎ出した。そして同時に、神殿内の兵士が睡眠薬の効果が現れはじめ、続々と倒れていった。
「あなたが女装して潜入したことと、この騒ぎには関連があるようですね」
セトは玉座に座りながら、指を動かした。すると、アヌビスの周囲から闇が現れ、アヌビスの四肢を拘束し、宙に浮かべた。アヌビスは抵抗する気力も失っていた。仮に抵抗しようとしても微動だに出来なかったのは言うまでもないが。過去に一度、セトの闇に対する恐怖を、死の苦痛とともに脳髄奥深くまで叩きこまれた経験が、アヌビスの無力感を助長した。
「あなたには聞きたいことが山ほどあります。素直に吐けば、楽に殺して差し上げますからね」
「そうでなかったら?」
「絶え間ない恐怖と苦痛が永遠に繰り返されることになるでしょう。私としても恐怖で気が狂う前に情報を教えて頂ければありがたいのですが」
メジェドは神殿の外に出て、興奮する民衆の真っ只中でウプウアウト・レンシュドラと合流した。
「うまくいったようやな。……アヌビスがおらへんな?」
「アヌビスくんは、セトに呼び出されて……」
メジェドの話を最後まで聞き終わる前に、ウプウアウトは走り出した。群衆をかき分け、神殿内へと駆けていったのである。
アヌビスを助けられるのは、実子の俺しかいない、とウプウアウトは確信していた。しかし、セトと対面すると考えるだけで、全身に恐怖の鳥肌が立っていた。それでも身体が勝手に動いていた。これこそが、ラーの血を引く者どもの共通点なのだろう。
「ウプウアウト!! なにしてんねん!! 戻れ!!」
「お前らは予定通り合流場所へ向かえ!! 俺はアヌビスを連れ戻す!!」
「無茶や!!」
(つづく)
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