▼第三十五話「炎と四歳のウプウアウト」




 そして五人は、テーベの東部砂漠を進んだ。そこは砂の絶海である。見渡す限りの、太陽にきらめく白いの砂の波々。茫々たる砂の地平線が広がっている。アヌビスが方角の指揮を執り、自然と、この秘庫破りの一群の長に収まった。


 沈む砂を歩くことは、武功を学んだ彼らにとっても、厳しい旅だった。ウプウアウトは、ほかの四人に砂の歩き方を教えた。内功を微弱に維持し続けながら砂を蹴るようにして歩くというものだった。ただし、練度が低いと余計に体力を消耗することになる。だが、アヌビスも含めて、全員がうまくやってのけた。十二傑の名は伊達じゃない。アヌビスは夢の修練場でコントロールを覚えたことが、早速活きた。ウプウアウトはアヌビスがついて来れないのでは、と心配していたから、内心驚いていた。


 照り付ける太陽から肌を守るために、ショールを広げて日除けしながら、一同は進んだ。


 途中、メジェドなどは何度も休憩を要請した。やる気はあるのだが、身体がついていかなかった。とはいえ、砂を歩くコツはすぐに飲み込んでいたし、集中力やコントロールなども、普通の十二歳にくらべれば、はるかに優れている。ただし、周りが化け物揃いで、いまいちそういう実感が持てぬのだった。インプトは一刻も早く秘庫に行きたいがために、メジェドを急かした。アヌビスはインプトをなだめ、メジェドを励ましてやった。


 夜は焚火をして、持ってきたパンやイチジクを食べた。それから焚火を中心に、それぞれが敷物を敷いて寝た。みんなくたくたに疲れていたから、話もそこそこに、気絶するように眠りに落ちた。


 アヌビスは夢の中で、また剣を振り、五山燎火剣功と九天龍吟歩を学び、イメージのウプウアウトやホルスと対練し、さらに剣気を灯し続ける訓練をするなど、激しい修練をした。アヌビスは強くなることが楽しかったから、休まず修練することが、苦ではなかった。


 陽が昇ると、激しい光を顔に浴びて、五人は目を覚ました。遮るもののない、すさまじいまでの朝陽である。

 目的地は、もうほど近い。


「ほんまにみんなありがとうな」とレンシュドラが礼を言った。ここまで、遠路も遠路である。

「友達だろ、当然だ」とアヌビスが言った。レンシュドラは目の前にいる四人が、ひどく頼もしく思えた。


 そして五人は、ついに、砂の海を踏破し、目的地に着いた。


 とはいえ、その目的地は、辺りには目印になるようなものは何ひとつ見当たらない。広大な砂漠を歩いてきたが、ここにも何の変哲もない砂しかない。見渡すばかりの砂漠の真ん中である。本当にここで合っているのかと、ウプウアウトが訝しんだが、夢の通り試してみよう、とアヌビスはなだめた。


 アヌビスは目を閉じて神炎錬魄訣の心火を灯すと、ラーから教わった口訣を唱えた。

 ここら一帯に張られている防護の陣を無効化するには、ラーの特級心法である神炎錬魄訣を習得した者が口訣を唱える必要があったが、そのどちらの条件をも満たしたアヌビスを陣が認識し、大地が鳴動し始めた。地震か!? と、ウプウアウトが周囲を警戒した。

 すると、振動と共に、アヌビスの目の前に、砂の丘がせり上がってきた。高さは、成人男子より一回り大きい程度だった。砂の丘にも関わらず、正面に、扉が一枚ついている。古い木の扉だが、重厚なつくりである。


「アヌビスの夢、おうてたやん……」とレンシュドラが呆気に取られながら言った。半ば物見遊山のつもりだったのだが、ここからは遊びではなくなる、と生唾を飲み込んだ。

 一方インプトは、「ここに、宝があるのね」と早速、戦利品でどの借金から片付けるか、狸の皮算用をし始めた。


 アヌビスはこの大掛かりな仕掛けに、もちろん驚いていたが、それ以上に感動に震えていた。

 武功を身に付けて、冒険をすること以外に、この世に望みはなかった! とアヌビスは叫びたいほどの心地である。


「で、でも、本当に行くの!? 中に、罠や魔獣が待ち受けているんだよね……?」とメジェドが言った。アヌビスの語った障害が、いまさら現実味を帯びてきた。ラーほどの実力者の秘庫であれば、なかにどれだけの苦難が待ち受けているか、考えるだに恐ろしい。

「ふん、ここまで来て今更しり込みか?」とウプウアウトが言った。

「わかってるけど、心の準備が……」

「男なら腹を括れ」とウプウアウトがメジェドの額を軽く小突いた。


 そうこう言っているあいだに、アヌビスは扉に手を当て、さっさと口訣を唱えていた。

 ふたたび大地の震えがあり、扉の鍵は開いた。


「行くぞ」とアヌビスは振り返って言った。


 メジェドは一瞬躊躇したが、友達を守る、と誓った自分の決意を思い出し、一歩を踏み出した。



 アヌビスたちが扉を押し開けて中に入ると、地下へと下る階段が見えた。秘庫は、広大な地下空間に隠されていたのだ。

 通路の幅は大人が三人並べる程度で、そう広いわけではないが、個人の秘庫としては十分すぎる威容である。


 暗がりの中、五人が恐る恐る階段を下っていったそのとき、急に、洞窟の各所に火が灯り出した。

 炎を操るラーの秘庫だけに、あちこちに炎を置く台が設置されていて、それらがいっせいに燃え上がったのだ。


 そして、叫び声がした。


「うっ、うわああああああッッ!! 火、火、火だアアッ!!!!」


 大量のかがり火を見て、発狂し、錯乱したのは、ウプウアウトだった。彼は、頭を押さえ、その場に座り込んだ。そして両手で頭を抑えながら、首を振って怯えている。


 その叫び声を聞いて驚いたのが、インプトであった。思わず、きゃっと叫んでアヌビスに抱き着いた。アヌビスの心臓は、張り裂けんばかりに鼓動を速めた。


「みんな落ち着け、火が灯っただけだ!」アヌビスは、インプトを引き剥がしながら怒鳴った。


 その間もウプウアウトはひとり恐れおののき、周りが見えなくなり、何も聞こえなくなる恐慌状態に陥った。

 ぶつぶつと何事かを言いながら、その場で丸まって恐怖をやり過ごそうとしている。


「どうしたんだ、ウプウアウトのやつ……」とアヌビスはその有り様を見て、対処に迷った。「ラー、これもお前の罠なのか?」

「いいや、これは違う。こんな趣味が俺の趣味のはずがないだろう。おそらく、本人のトラウマが原因だな」


 ウプウアウトはうずくまりながら、ひどく怯えた顔をしている。つい数分前に「男なら腹をくくれ」と決め顔で言っていた姿が、嘘のようだった。


「ウプウアウト、何してるの? 大丈夫よ、ただのかがり火じゃない」とインプトが言った。

「火事だ、火事だ……! 人が、たくさん、死んじゃうっ……。みんな死んじゃうよおっ」ウプウアウトはべそをかき始めた。

「ウプウアウト、ちょっと! 落ち着きなさい」

「僕、怖いよお。火が怖いよお」ウプウアウトは子供のように泣きじゃくった。


 インプトはさすがに言葉を失った。ひどい幼児退行を起こしている。無言でアヌビスを見やり、首を横に振って、ウプウアウトの異常を伝えた。


「まずいな。足手まといを連れていったらお前らの命まで危うい。かといってウプウアウトとその監視者とで二人を割けば、残る三人で魔獣に挑まねばならん」と小型のラーが耳元でささやいた。「一旦引き返せ」


 ここまで来て引き返すことが、アヌビスにはどうしても口惜しい。だったら、俺一人でも行く、とアヌビスはラーに小声で言った。この馬鹿弟子が、とラーは怒鳴ったが、アヌビスは気にも留めない。


「みんな聞いてくれ。ウプウアウトがこうなった以上、みんなは地上で待っていてくれないか。俺一人で、行く」

「ちょお待てやアヌビス。これはボクのための冒険なんやろ。お前だけに命賭けさせる不細工な真似、するわけないっちゅうねん!! ボクも行く!!」


 レンシュドラが一歩踏み出して、胸を叩きながら叫んだ。


「僕も君を守るために来たんだ、絶対に付いていくよ」とメジェドが珍しくはっきりと言った。


 アヌビスはメジェドの目を見て、決意が本物であるという確信を得た。


「インプト、子守を頼めるか。中は入り組んだ迷宮になっているし、地上で待ってて欲しい」

「しょうがないわね、まったく! 冒険は譲ってあげるから、ちゃんと分け前寄こしなさいよ」とインプトが言った。


 そのとき、ウプウアウトが不意に立ち上がった。四人は驚いてウプウアウトを見た。


「ごめんみんな、驚かせちゃったね。もう大丈夫だから、一緒に行こう」とウプウアウトが言った。少しく舌っ足らずな喋り方である。

「なんや、口調が変わってもうてるやんけ。まるで五歳児みたいやん」

「え? ぼく四歳だけど?」


(つづく)

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