▼第三十四話「秘庫破りの一群」




 アヌビスは、封印の扉の前に立つと、手を門にかざした。そして、ラーに教わった通りの口訣を唱えた。

 扉は光を放ち、低い地鳴りがしばらく続いた。そして、ついに鍵が開いた。


 アヌビスは両の手でそれを押し開いた。重い扉が、ゆっくりと開いていき、中の冷気が漏れ出してくる。


 そして、一歩を踏み入れた。



 遡ること三日前の晩に、アヌビスはラーから秘庫の存在を聞いた。

 それは砂漠の真ん中にあり、しかも普通の人間にはそれとわからないように幻術がかけられて隠されている。

 秘庫の中には罠が仕掛けられていて、魔獣さえも潜んでいる。それらは、中の財宝を守っているのだ、とラーが言ったとき、アヌビスはすでに冒険の予感に胸を高鳴らせていた。


「絶対行く!! 絶対!!」アヌビスの目が光る。

「罠はともかく、魔獣はお前ひとりでは絶対に敵わんぞ」

「仲間を誘っていけばいいんだろ!!」

「それでも厳しいぞ。第三位階が束になったところで……いや、あの女がいれば話は別か」

「あの女って?」

「毒を使う女がいたろう、たしか名前は——」

「インプトか」


 毒と聞いて連想されるほどには、アヌビスはインプトを印象鮮やかに記憶している。


「ある毒さえ調合できれば、対処は出来るはずだ。危険には変わりないがな」

「危険なら、連れて行くわけにはいかないよなあ……。そうだ、その毒の調合だけお願いしよう」

「だが、そもそも秘庫の情報をどうやって得たと説明する気だ?」



 翌日、アヌビスは寮の全員に夢で啓示を得たという話をした。一番安直な手だが、アヌビスにはこれしか思いつかなかった。

 大人であれば通用しないだろうが、そこはみな、夢と希望を胸いっぱいに詰めた少年たちである。嘘か本当かなどどうでもよく、実際に足を運んで確かめたいという欲求が強かった。

 メジェドでさえ興味を示したのだから、「冒険」という響きが、いかに少年の心をわっしと掴むかがわかる。


「でも、僕なんかが付いていって、足手まといにならないかなあ」とメジェドが言った。


 行きたい気持ちは山々だが、自分の存在が邪魔にならないか、極度に心配している。


「ボクはメジェドに来てもらえるんは、ありがたいで。でも、ボクの上納金のために、みんなを危険に巻き込んでええんかなあ」

「俺こそ、こんな危険な場所にみんなを誘っちゃって、気後れしてるよ」とアヌビスが言った。


 そこで、ウプウアウトが拳を顔の前で固めて言った。


「俺は自分を試したいんだ、お前のためじゃない」


 十四歳とは思えぬ渋みのある目だったが、やや芝居っ気がある。この男、この年齢特有の病を得ている。


「足手まといになるとしたら俺だろ、まだ武功習って一か月だし」とアヌビスが言った。「お前だってエリートなんだろ? 頼りにしてるぜ、第十二宮さま!」

「そ、そんな! 僕よりアヌビスくんのほうが動けてたもん」とメジェドが言った。ウプウアウトとの決闘を見て、圧倒されたのは確かだった。

「俺とお前と、得意なことはそれぞれ違うけど、だからこそ、補い合えるんだろ? 俺には弓なんて使えないもん。飛び道具が必要な時は、お前が俺を助けてくれよ」とアヌビスが言った。


 それでメジェドは、安心して付いていくことを決めた。内心、やる気が燃えに燃えて、抑えるのに苦労した。絶対に役に立ってやろう、と前向きに考えられたのは、メジェドには初めての経験で、この感覚の不思議さにしばし浸った。



 インプトには、アヌビスが直接話をした。

 女子寮から出てくるところに、アヌビスが近寄って話しかけた。


「なあ、明日までに、毒と薬を四人分調合してくれないか? 材料や手間賃はもちろん払うよ」

「何に使うわけ?」とインプトは尋ねた。当然の疑問である。

「えーっと、それは……狩り! そう、狩りに使うんだ」

「ふーん?」


 インプトは眉をひそめ、明らかにアヌビスを怪しんだ。


「最近のナンパは手口が巧妙になったのね」

「な! ば、馬鹿! 誰がナンパだ!」アヌビスは不名誉な言いがかりに対して、憤慨した。

「どうだか」


 インプトは冷めた目をしてアヌビスをからかったから、たまらずアヌビスは顔が真っ赤になり、慌てて口走った。


「ラーの秘庫に行くんだ、そこにいる火吹き蜥蜴を弱らせる毒がどうしても必要なんだよ!」

「なにそれ、なんであんたが秘庫の場所を知ってるわけ?」

「夢でお告げを聞いたんだよ」夢の修練場で聞いたのだから、間違ってはいない。

「ねえ、あんた頭大丈夫?」インプトは困ったような顔をした。

「うるせえなあ、毒は作ってくれるのか作ってくれないのか、はっきりしろよ」


 インプトはアヌビスの反応を見てくすっと笑った。


「そこには何があるの?」

「大量の金銀財宝だよ——」


 アヌビスがそう言った瞬間、インプトの目がきらめいた。


「私も行く! 絶対行く!! 断固として!!!! 行くから!!!!」

「え? だ、ダメだ、本当に危険なんだ」とアヌビスは手を振って断った。

「財宝を山分けするんでしょ!? 一口噛ませなさい!!」

「罠もあるし、魔獣だって——」

「あんたたち四人が平気で、なんで私はダメなわけ? 女だから?」


 アヌビスは渋々頷いた。インプトは華奢とは言わないまでも、引き締まった細身の少女である。骨の一本や二本折れたって構いやしない野郎どもとは、訳が違う。ナイルの黒真珠とも言うべき珠のような肌に傷でもついたらと思うと、アヌビスはおっかなくて仕方がない。


「馬鹿言わないで! これでもマスダルの第七宮なのよ? あんたより強いんだから問題ないでしょ」


 インプトが野放図に言ってのけた言葉が、アヌビスの胸にぐさりと突き刺さる。あんたより強い……。アヌビスは心の中で泣いた。男のプライドが崩れ去る瞬間であった。


「へん、すぐに追い抜いてやるよ」とアヌビスは憎まれ口を叩いた。

「私も行くから。いいわね? もし連れてかないなら毒も薬も用意しないから!!」

「わかったよ! しょうがねえなあ」


 しょうがないとは言いつつも、口元が緩んでしまうのは素直なアヌビスらしい。



 それから五人は、テーベの街へと出かけた。アヌビスとインプトはとくに周囲の目を引いた。老いも若いもこの二人をつい自然と目で追ってしまう。におうような華やぎが辺りを満たした。背の低いアヌビスが、インプトを見上げながら会話をするさまなどは、まるで名匠の手になる名画の趣さえあった。街の住人たちは、美形が揃った若き一行を見て、命が永らえるような気にさえなった。


 そして彼らは、裏通りの怪しい店に立ち寄った。ここで毒草を買ったり、丹薬を買ったりして、必要なものを揃えようということだ。そそっかしいレンシュドラが、触ってはいけない毒草に触ってしまって大騒ぎをした。メジェドはそもそもこのような場所に脚を踏み入れたことがなく、お坊ちゃん育ちらしく、びくびくと震えていた。仮にもマスダルの十二傑が、なにを恐れることがあるのだろうか、とアヌビスは笑った。そして必要なものを買いそろえた。金はアヌビスが用立てた。あの怪物アルマ・ブトゥーリも、有意義なことに使ってもらえて光栄だ、と言うに違いない。


 インプトは、その日の夜に毒と薬の調合を始めた。レシピは、アヌビスから聞いた通りに行う。インプトは、アヌビスの開けっ広げさに内心驚いていた。薬剤の調合法は、それぞれの家門の秘伝とされ、外部に漏出することを断固として禁じられているからだ。それをアヌビスはぬけぬけと、いくつもの調合方法をインプトに惜しげもなく言ってのけた。どうやってそのレシピを知り得たのかはしらないが、そのアヌビスの精神に異常性を感じるインプトなのだった。この調合方法という思わぬ収穫に、インプトは、どちらかと言えば、手に負いかねるといった印象を持った。手間賃としては、明らかに過分な報酬なのだから。


 だが、インプトはそれを罪悪感を持ちながらも唯々として受け取った。


(あのクソ親父が借金をあっちこっちに作ったせいで、うちは破産同然。身売り同然の結婚さえも、いつさせられるか、わからないんだから。いまは、銀ひとかけらでも欲しい)


(つづく)

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