▼第二十七話「剣気覚醒」




 アヌビスは、まだ練習したことすらない技を、いまこの土壇場で試そうとしている。

 それが出来るのかは、じぶんにもわからない。


 ただ、感覚だけは、わかる。


 アヌビスには、不思議と、見ただけでどうすればよいのかがわかる、すぐれた動物的勘が備わっていた。


(ホルスの天鷹迅雷拳を思い出せ……!)


 蝋燭の火に意念を注入した、あの感覚を。

 花獣試験で、鋏に内功を注入した、あの感覚を。


 呼吸を、整える。


「かかってこないのか?」とウプウアウトが顎を突き出して挑発した。

「うるせえな、いま行くところだっての!!」


 アヌビスは一気に動き出した。左右に動きながら、ウプウアウトの視線を揺らす。そして、流れるような動作で襲い掛かった。ウプウアウトの左から、低い構えで剣を振り抜く——


 ウプウアウトにはその動きがすべて見えていた。彼の動体視力は、同位階敵なしである。

 アヌビスの襲撃を、剣で軽くいなそうとしたそのとき。


 アヌビスの剣が、不意に燃え上がった。


 剣気、である。


 ウプウアウトは油断していたために、剣気を発した攻撃に対して、その防御があまりにも軽過ぎた。ウプウアウトの剣が弾き飛ばされ、衝撃が手やひじや肩にまで伝わる。それによって態勢が崩れた。絶体絶命である。


「おおっとおー!!!! アヌビス、なんと剣気を発動したァーッ!!!!」ハトホルが立ち上がって絶叫する。「なんということでしょう、彼は第一試験を受けに来た時、まだ第一位階だったはずです!!」

「ば、馬鹿な……」とセベクは目を見開き、呆然としている。第三位階三成、十二傑第三宮の彼の才能を以てしても、剣気を発現させられたのはつい最近のことである。


 剣気は第三位階に達しなければ発せられないとされている。境地の差は超えられない壁だ。

 が、それを易々と超えてのけた。しかも、今朝がたまで第一位階だったはずで、実戦で出したことはなかったはずである。


——土壇場で、壁を超えた。


 ホルスはアヌビスを見て、また歯ぎしりをするのだった。あやつめ、なんと出鱈目な。


 当の本人は、喜びと驚きで胸がいっぱいだった。


(出来ちゃったんだが!?)


 自分でもうまくいくとは思っていなかった。ただ感覚に身を任せた。すると、不思議にウプウアウトの武器が飛んでいた。

 剣に、炎が宿ったのを見て、アヌビスはまた新たな成長を実感した。

 俺は、強くなってる。ホルスや、セトに、近付いている——


 ウプウアウトの武器を吹き飛ばしたアヌビスは、間断なく、次の一撃を入れようとする。


「ちいっ」


 ウプウアウトは今にも振り抜かんとするアヌビスの腕を掴んだ。そして、それをくいと引っ張ると、アヌビスの態勢を崩した。ほとんど名人芸のような早業である。決死の状況での豊富な戦闘経験が垣間見えるようだった。


 そして即座に武器を拾うと、アヌビスと向き合った。


「やるじゃないか」とウプウアウトが言った。黒髪が風に揺れる。

「お前もな」アヌビスは剣を構え、にやりと笑った。


 もはやウプウアウトはアヌビスを格下だと侮ることをやめた。

 自身から歩法を踏み、アヌビスに陽動を仕掛けた。その極度に俊敏な動きは、入学した段階ですでに生徒レベルを超えかけている。


「なんて動きだ!!!!」セベクが思わず立ち上がって叫んだ。ホルス様以外に後れを取ることがあるとは、思ってもみなかった——


 しかし、アヌビスの動体視力こそ、ウプウアウトに引けを取らぬ、一級品中の一級品だった。


 アヌビスは正確にウプウアウトの動きを捉えていた。

 また動きだけでなく、意図までも(これはフェイク、これもフェイク、狙いはここか)と寸分違わず読み切っていた。


 毎夜の如く第十位階のラーと対練しているアヌビスは、その辺の感覚が、桁違いに鋭い。


 ウプウアウトの虚実織り交ぜた剣戟を、アヌビスは剣気をまとった剣で的確に防いだ。


(これでまだ第二位階なりたてだと? 冗談きついぜ)ウプウアウトはアヌビスの意外なほどの健闘に内心驚いていた。ウプウアウトは十四歳で、アヌビスよりも二歳年長である。あるいは、自分が十二歳の頃よりも強いのではないか。


 ウプウアウトは剣に力を込めた。剣が光を放ち、剣気をまとった。


「お前を舐めていた。だが、ここからは俺も剣気と武功を使わせてもらうぞ」

「怖いねえ」アヌビスのこめかみを汗がしたたり落ちる。


 アヌビスはもはや考えることを捨て、感覚に身を任せた。

 深い集中の海のなかへと沈み込んでいき、底もない場所へと降りていく。


 三才剣法が、もはや三才剣法であることを辞めた。


 剣路、縦横無尽に乱れ飛び、変幻自在、流雲のごときに型はなし。


 アヌビスは無意識の赴くままに自由闊達に剣を走らせ、歩を進めた。


 ウプウアウトはその激しくも自在な剣術を、防ぐので手いっぱいだった。

 三才剣法が、このような武功だったと、生徒の誰もが知らなかった。


 ハトホルも、信じられないものを見た、という顔で固まっている。

 子供の剣法、と卑下した自分が、恥ずかしいような気にさえなった。

 あれは、どこに出しても恥ずかしくない剣法ではないか、と。


「ま、まぐれです。まぐれですよあんなもんは。庶民の使う三才剣法なんて所詮大したことないんだ!!」とセベクは顔を真っ赤にして叫んだ。

「いーや、大したもんや。相手は自分よりも境地が上なんやで? それをあないな剣法で、あいつ、ほんまえげつないわ」とレンシュドラがそれを遮って言った。


 ラーもアヌビスの突如の躍進に驚きを隠せない。三才剣法でこの境地に至るのは、まだまだ先だと思っていたら。まったくこの馬鹿弟子は。いったい何度俺の目測を超えてくるのか。


 防戦一方だったウプウアウトは、いったん飛び退って態勢を整えた。


 両者ともに荒い息遣いである。

 疲労で互いに肩が下がり、見つめ合っている。


「アヌビス。三才剣法をそこまで使いこなすとは、やるな」

「ちぇっ。独門武功も使わずに実力を伏せてるのによく言うよ」

「ちょっと事情があってな。ここは人目が多過ぎる」


 ウプウアウトは花獣試験のときですら、武功を使わずに単純な力だけで花獣を倒していた。その力を秘している。


「だが、敬意を払って、見せられる範囲のなかで最高の技を使ってやろう」

「面白れぇ。やってみなよ」


 ウプウアウトはすべての力を剣に込めた。剣が唸りを上げ、光り輝く。


「楽しかったよ」

「なにカッコつけてやがる!!」


 アヌビスは玄妙なる足さばきでウプウアウトの側面を突いた。

 しかし、ウプウアウトはそれを難なく払う。実力は拮抗していると言っていい。

 そして返す刀がアヌビスを襲う。


「三才剣法・<月華天斬雷>ッッ!!!!」


 皮肉にも、ウプウアウトのそれも三才剣法であって三才剣法ではなかった。

 ウプウアウトのチャクラから放たれた雷のエネルギーが剣を覆い、剣が振り下ろされると共に、一筋の細い稲妻が、空を裂いてアヌビスを襲った。アヌビスは雷に打たれ、全身が燃え上がるような、脳が引き裂かれるような、激しい衝撃を受けた。

 アヌビスはしばらく立ち尽くすと、どさりと倒れた。気絶する寸前、アヌビスはこの武功がセトやホルスのものに酷似していることを不思議に思った——


「勝負ありッ!!!!」とレンシュドラが宣言すると、観客は沸いた。


 レンシュドラはアヌビスをおぶい、すぐに女医セルケトの元に運んだ。道すがら、アヌビスに話しかけるが、完全に意識はない。無事でいてくれ、とレンシュドラは必死に駆けた。


「三才剣法の応酬となった、素晴らしい一戦でしたね! 私も修練しようかな!」とハトホルが興奮冷めやらぬまま言った。

「アヌビスが負けることは当然ですが、ウプウアウトというやつも大したことありませんね。あんなへなちょこに楽勝できないわけですから」とセベクはしたり顔で言う。「やはり学院のリーダーはホルス様をおいて他にいないでしょうな」


 観客たちはアヌビスのために憤った。今朝まで第一位階だったアヌビスの、意外な奮戦を見て、勇気を得たからだ。

 霊薬を得られなかった者、十二傑に選ばれなかった者どもが、おしなべて(明日は自分が成長しよう、明日は自分が挑戦しよう)と鼻息荒く興奮していた。


 だからセベクに対するブーイングも甚だしいものだった。そんなこと言うならお前がアヌビスの挑戦を受けろ、と口々にセベクを責めた。

 セベクはアヌビスの剣路を見て、寒々しい心地がしていたため、「相手するまでもない」と言ってこれを退けた。


 ホルスは複雑な気分だった。第二宮の実力者が、己と同じ雷の力の使い手であることに、である。父オシリスや、叔父であり宿敵でもあるセトもまた、雷の使い手であった。

 雷は使い手によって色が違う。オシリス、セト、ホルスの雷の色は、赤色だった。赤色は雷のなかでも最上位の雷である。それを使役するのであれば、それに相応する力があるということだ。

 そして、ウプウアウトの雷もまた、赤色であった。


(やつは、何者なのだ)とホルスは訝しんだ。


(つづく)

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