▼第二十六話「決闘」




 運気調息を終えたアヌビスは、宿舎に向かった。この全寮制のマスダルでは、生徒たちに部屋があてがわれる。遠方から来る生徒も多いから、ここを拠点にせよということだ。寮費はかからないし、食費もかからない。才能を広く集めるという趣旨があるから、このように金がかからない仕組みになっている。素寒貧のアヌビスには、ありがたい学院だ。


 その宿舎は、白い日干し煉瓦でつくられていて、この時代のほとんどの建築がそうだったように、一階建ての平屋である。ただし、非常に重厚なつくりをしている。壁面は精緻に組み合わされており、いちぶの隙もないほどだった。その表面には石灰が塗られており、陽光を反射して眩しいほどに白く輝いている。そして、玄関の扉を取り囲むように、レリーフが彫られていた。さらに宿舎の周囲には石の柱廊まで建てられている。ちなみに、マスダル内部には砂が巻き上がらないよう、白い石畳が敷き詰められている。それも相まって、白の宮殿とでも呼びたくなるような、威厳があった。一部屋に四人を詰め込むつくりで、それが十五部屋もあった。さらに食堂までついている。仮の住まいというには、いささか豪華である。

 もちろん男子と女子は別棟である。男子寮と女子寮のふたつの建物がマスダルの敷地内に建てられている。


 アヌビスが自分の部屋に入ると、すでに三人の同室の寮生がそこにいた。

 ウプウアウト、メジェド、そしてレンシュドラの三人である。ちなみに寮の振り分けはすべてニンエガラが独断で行っている。


 レンシュドラと同室であることを知って、アヌビスは少しほっとした。


「レンシュドラ、お前もこの部屋か!」

「せやで、よろしゅうな」


 二人は拳を突き合わせて喜んだ。


 そしてアヌビスは、ウプウアウトとメジェドに向かって、頭を下げた。


「俺はアヌビス。強くなるためにここに来た。よろしく」


 メジェドは顔を赤らめ、桜色の髪を指でいじりながら、目をぱちぱちとさせた。人とどう接していいのかがわからない。

 ウプウアウトは、険のある顔つきだった。


「僕はメジェド。よ、よろしく……」

「ああ、よろしくな」


 アヌビスは手を差し出した。メジェドはその手を握った。メジェドは恥ずかしくて、下を向いた。

 アヌビスは、自身にもそういうところがあったから、気持ちが理解できた。


「あのさ、試験の映像見たよ。あんな風に矢を操れるなんて、お前凄いな」とアヌビスは言った。メジェドの恥じ入る感情を少しでも和らげたいと思った。

「えっ!! そんな、全然大したことないんだよ、本当に」メジェドは目線を斜め下に向けながら、顔を真っ赤にして手を振った。

「十二傑に入ったっちゅうのに、えらい謙虚やなあ」とレンシュドラが笑った。

「なんでかたまたま選ばれちゃっただけだよ! ……次の試験は落第するに決まってるし」とメジェドが言った。落第するに決まってる、と言ったときにはもう顔色は真っ赤から真っ青に変わっていた。顔に出やすい少年だった。


 アヌビスは、自分の過去の姿を客観的に見せてくれるメジェドという少年を、他人とは思えないのだった。


「俺の目からすれば、本当にすごかったんだって。それに、十二傑だってたまたまなれるものじゃない。メジェドの実力じゃないか」

「そ、そんなことないのに……」


 メジェドはまた顔が紅潮して、半泣きのようになっている。


「ふん、くだらん。仲良しこよしで褒め合うのがマスダルか? そいつは才能はともかく、精神的に戦士として向いてないのは明白だろ」と言ったのはウプウアウトだった。「そいつには見込みがない。気概のないやつを見ると、俺は虫唾が走るんだ」

「おいお前、言い過ぎだろ!!」アヌビスは憤激した。

「めそめそするな、気持ち悪い。泣いて済むような環境にずっといたんだろう。お前から甘えしか感じないんだよ。本当にむかつくやつだ」ついに涙を流し出したメジェドに、ウプウアウトは言った。

「おい!! 表に出ろ!!」アヌビスはついにウプウアウトの胸倉をつかんだ。

「吠え面かくなよ?」



 もはや太陽は傾き、夕刻に差し掛かっていた。アヌビスとウプウアウトは、演武台の上にいる。ここは申請さえすれば、いつでも開放されていた。

 お調子者のレンシュドラが、寮内に決闘のあることを触れ回ったため、十二傑第二宮のウプウアウトを見んがために生徒たちもかなり集まっている。


 そのなかに、ホルスの姿もある。


(アヌビスめが叩きのめされる姿を見学させてもらおうか)


 と、内心喜色を浮かべている。


「どちらかが参ったと言うまでだ」とアヌビスは言った。

「それでいい」とウプウアウトが首肯する。


 レンシュドラが勝負を預かる主審の役割を果たすことになったため、前口上を述べ出した。


「レディースエーンジェントルメーン!! お待たせしました、ついにやってまいりました、世紀の一戦です!! 第二宮ウプウアウト対、霊薬を授かった二十四人が一人アヌビィースッッ!!!! 勝負のきっかけは些細なことですが、この一戦は見逃せません!!」とレンシュドラが芝居っ気たっぷりに叫ぶ。「さあ、オッズは——おっとこれはいけません!! アヌビスに賭ける者がおりません!! 賭けは不成立!!!! さすがに第二宮の威光は凄まじい!!!!」

「ええ、そうですね。やはりアヌビスは三才剣法・七星歩法といった子供の武功しか持っておりませんからね。第二位階と第三位階では境地の差もありますから、当然でしょう」と魔性の女ハトホルが解説を受け持っている。目立ちたがりの彼女は、すすんでこれを引き受けた。内功によって声がよく通るため、どれだけ周囲が騒がしくとも、解説に支障はない。

「アヌビスという輩は、どうもいけませんね」と、ホルスの側近で大男のセベクがもう一人の解説者として言った。これはどうもハトホルの隣に座りたいがための行動らしく、ときどきハトホルを見ては鼻の下を伸ばしている。「礼儀もありませんし、体つきも貧相でしょう。あれは実はホルス殿下に一度ぼこぼこにぶちのめされているんですよ。弱い犬ほどよく吠えるとはよく言ったもので、アヌビスはそれです」


 言いたい放題言われ、アヌビスは眉間にしわを寄せて怒りをこらえている。


「お前らうるせえんだよ!! 見世物じゃねえんだぞ!!」

「すまんアヌビス、チケット売ってあんねん!! これは見世物や!!」とレンシュドラが言った。こんな身内に敵がいたとは、とアヌビスはため息をつく。

「ほら皆さん、あの粗暴な言動をお聞きになりましたか? やれやれ、マスダルの品位も地に落ちたものです」セベクは意外に口撃の才能がある。


 レンシュドラが演武台の中央に立ち、号令を降した。


「勝負、開始ィ~ッッ!!!!」


 戦いの火ぶたは切って落とされた。


 アヌビスは七星歩法を駆使し、まずは動き回ってウプウアウトの隙を探ろうとした。それは見事な動きで、流水のごとく変幻自在である。


「たかが七星歩法と侮ってはおりましたが、ああも見事に動けるのは素晴らしいですね」とハトホルが解説した。

「いえいえ、大したものではありません。あの程度の動き、十二傑の生徒なら誰でもできます」とセベクが言った。ハトホルがアヌビスに好感を持つことは、なんとしてでも許さぬという気迫がある。


 アヌビスが敏捷に動き回るなか、ウプウアウトは悠然と構え、アヌビスの動きを見透かすようにして立ちはだかっている。


「先攻はくれてやる」とウプウアウトが余裕の表情で言った。

「なめるなよ!!」


 アヌビスは七星歩法・天機歩を用いて一気に距離を詰めると、三才剣法・月華天斬で斬りかかった。

 しかしウプウアウトはそれを剣で受けると、左の拳でアヌビスの腹を思い切り強打した。


「があッ!!」


 アヌビスは吹き飛ばされ、演武台の上を二転三転と転げていく。


「ああーっと!! 攻撃は難なくいなされてしまいました!! セベクさん、いまのはいかがでしたか?」とハトホルが叫んだ。

「剣招が愚直に過ぎますね。獣相手には通用しても、十二傑には通用せんでしょう」


 アヌビスは身を起こして、構えを取った。


(全力の一撃が、通用しなかった)


 腹の痛みをこらえながら、アヌビスは頭の中でいまの攻撃のなにが駄目だったかを必死に検討した。


「クソ、あれをやるしかないか」


(つづく)

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