▼第二十話「花獣」
到着した先に広がる花畑は、息をのむほどの美しさだった。花は大小様々で、色も赤や黄、青、紫、桃色など、とりどりだ。それらが複雑な色模様を作り出し、辺りには
幻想郷とはいえ、これはあまりにも美しい、とアヌビスは心の底から感動した。
その花畑には、勘の鋭い何人かが既に到着していた。ホルスもそのうちの一人である。
ホルスはアヌビスが来たのを知ると、ぷいと顔を背けた。存外、子供っぽいのだな、とアヌビスはおかしく思う。この辺は内面的年長者の余裕である。
遠くでホルスが見つけたのは、薄い紫の花を持つ品種で、その茎はしなやかだが強く、生命力に満ちている手に取るようにわかる。さすがに英才教育を受けてきただけあり、すでに八本の花を摘んでいた。
レンシュドラも近くにいた。手にはオレンジ色の花を六本摘んでおり、その花弁は、炎のように鮮やかに見えた。
「みんなやってるな。俺もやるか!」
アヌビスは一声気合いを入れるや否やしゃがみ込み、脚元の一輪の青い花に鋏を入れた。鋏の刃は抵抗もなくその茎を裁断し、深い海の底のような色をした美しい花が、アヌビスの手に収まった。
アヌビスは思わずその花を顔に引き寄せ、香りを胸いっぱいに吸い込んだ。春の陽光のような香りが、心を満たす。
「最高の場所だなあ」とアヌビスは試験中にも関わらず、のんきに楽しんでいる。
「おい、二十四人合格したら締め切られるんだぞ」とラーが小言を言う。
「ああ、そうか」とアヌビスはとくに悪びれもしない。
そのまま、すっ、すっ、と連続して五本の花に鋏を入れた。
驚いたのはホルスである。高等なチャクラ操作が求められるこの花の裁断を、この呪われた肌を持つ男が、いとも簡単にやってのけるではないか。
思わず鋏を握る手にも力が入る。
どうにか怒りをコントロールしようとしていた矢先、
「花束って言うからには百本くらい必要かなあ」
「まあそんなもんだろう」
という言葉がホルスの耳に飛び込んできた。
むろん、ラーの声は聞こえていないため、アヌビスが独り言を言っているようにしか聞こえないが、それにしてもどえらいことを放言したものだ。
「百本……だと……?」さすがに顔も青ざめる。ホルスといえども、百本は相当な難事業である。それをさも当然かのように言うではないか。
アヌビスは驚愕するホルスに気付かぬまま、めぼしい美しい花を次々に切り落としていく。
ホルスは頭に血が上った。
これは不正が行われているに違いない、と。
彼に、王家の自分よりも優れたものがいるなど、想像できるわけがなかった。事実、これまで同世代では敵なしだったのだから。
「貴様!! その鋏を見せろ!! 不正しているに違いない!!」
「いきなりなんなんだよ。不正なんてしてねえよ、鋏くらい交換してやるから、落ち着けよ」
「よこせ!」
ホルスはアヌビスの手から鋏をひったくると、すぐさま足元の黄色い小さな花の茎を切ろうとした。しかし、内功を込めていないから、切れない。
おかしい、そんなはずはない。やつはなんらかの優遇を受けているに決まっているのに。どこだ、証拠は!?
ホルスがおたおたしている間にも、アヌビスは鼻歌を歌いながら紫色の花を二本切った。
その余裕が、またホルスの脳を焼く。
「なぜだ!! 貴様はどうやって不正をしている!!」
「だからしてねえって!!」
その二人が押し問答しているところに、とてつもなく重い足音が聞こえてきた。走ってくる。アヌビスはその音の方を見た。
「おい、言い争ってる場合じゃないぞ!」
四つ足の、皮膚の分厚そうな巨大な獣が走ってきていたのだ。頭部にはまるで盾のような、扇状に広がる大きな額飾りがあり、両のこめかみから一本ずつ、鼻先に一本の三本の角が生えている。彼らは知り得るべくもないが、それはかつて地球に存在していた、恐竜であった。そのフリルの頂点には、どういう植生なのか、光る花が咲いている。なんでそこに花が??
体高三メートルはあろうかというそいつが、重い足音を伴い、猛り狂って突撃してくる。「ちっ」とホルスは舌打ちし、横に飛びのいた。アヌビスも逆方向に散開する。獣は花畑を踏み荒らしながら、二人の間の空を切る。
しかし、獣はそこで踵を返した。狙いは明らかに人間である。
そのとき、天から声が聞こえてきた。もちろんニンエガラの声だ。
「言い忘れていたが、この世界には花を守る花獣がいる。その花獣たる三角龍には光る花が咲いている。私はこの花が好きだなあ、うん。大好きだ。ということでよろしく」
ただ花を摘むだけの牧歌的な試験かと思っていたアヌビスは思わず天に向かって叫んだ。「こんなでっかい獣、どうやって倒せばいいんだよ!!」
しかし返答はない。
「おい、ホルス! 協力しよう!」とアヌビスは叫んだ。
「馬鹿言え、余はひとりで十分だ!」
三角龍は口からよだれの泡を吹きながら、ホルスの方に猛突進する。ホルスはそれをかわしながら、花獣の背後を取った。
ホルスが剣を構えるやいなや、髪の毛が逆立ち、身体にばちばちと雷がまとわりついた。剣から青白い閃光が迸り、まるで嵐を引き寄せるかのように雷鳴が轟き渡る。
「
三角龍の後ろ脚に、鋭い太刀さばきで雷を帯びた剣戟を浴びせた。剣先から無数の稲妻が飛び散り、空間を裂くかのように三角龍に襲った。花獣は仰天したかのような表情で奇妙極まりない鳴き声を出し、どう、と横に倒れた。雷はなおも三角龍の身体を焼いている。分厚い皮膚が、黒く焼き焦げていった。
ホルスは剣を納め、しかし、冷たい眼差しを崩さぬまま、倒れた三角龍を見下ろす。
「この程度の獣、一撃で十分だ」
アヌビスは冷汗を垂らした。本当に同年代なのか、こいつは。
「うむ、私がオシリスのために作った武功だが、よく修練しているな」とラーはさすがに目を丸くしながらホルスの出来に賛辞を贈った。
「あいつ、強過ぎねえか?」
「あの若さで第三位階というのも驚くべきことだが、身に付けた武功を考えれば、実力は並の第四位階を凌ぐだろうな」とラーが首肯する。
ホルスは花獣の額のフリルに咲いた光る花に鋏を入れた。その花は、不思議と焼け残っていて、無傷であった。
ホルスはその花を摘むと、「御照覧願います!」と花束を高く掲げた。学長ニンエガラに審査してもらうための言葉である。
ニンエガラは現実世界から幻視し、その花束を
「ふん、花獣の花を一番早く持ってきよったか。さすがに良血は違うな。よかろう、合格とする」
「ありがとうございます」とホルスは頭を下げた。それから、アヌビスの方をちらと見やる。「貴様、いい気になるなよ。余の力にひれ伏せ」
いい気になんてなってねえよ、と言い返したそのとき、ホルスの身体が光りに包まれて消え、現実世界へ帰還していった。
アヌビスは握っていた拳を開くと、汗で濡れていた。ホルスとの力差を痛感していたのだ。
「なあ、俺も早く
「世迷いごとを。まだお前には早いわ」とラーはにべもない。
「差が埋まる気がしないんだよなあ」アヌビスはため息をついた。
ラーはその言葉を聞いて
「いま焦っているのはホルスの方だぞ。お前に脅威を感じ、精一杯
「ほんとかよ」
そのとき、またあの大地が歪むようなあの大きな足音が聞こえてきた。
「さあ、おしゃべりはここまでだ。次の花獣がくるぞ」
「おお。ってあれは……」
斜め前方で、花獣が少年の尻を追いかけているのが見えた。
その少年には見覚えがある。忘れたくても忘れようがない、あの刺青は。
「レンシュドラ!!」
(つづく)
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