▼第十七話「全身刺青少年」




 ラーの警告より前に、アヌビスは背後からにわかに匂い立った殺気を感ぜられた。


(なにか、来る!)


 そして身をよじり、背中に目が付いているかのように襲撃者の奇襲を躱した。

 襲撃者はなぜだ、と驚くが、すぐにそれが怒りに変わった。生意気なやつめ、と剣を振るうも、アヌビスは狭い岩柱のうえで襲撃者の攻撃をかわしていった。


 アヌビスの見目麗しさ、気品もあわさって、それは一種の舞のようにも見えた。

 武は、突き詰めれば美に至るのだ、と観客がどよめいた。


 背後からの奇襲をいとも簡単に処理していくアヌビスに、謀略に加担する少年たちは狼狽を隠せなかった。


 一方でアヌビスは、突然の襲撃に驚きはしたものの、彼らエリートたちの攻撃をたやすく見切れることにも驚いていた。


(普段ラーの剣を受けているからか、止まって見える――)


 それもそのはず。いくら貴族の子たちといえど、かつて武勇並び立つ者なしと恐れられていた、史上唯一の第十位階・剣神ラーの全盛期の剣威には、及ぶべくもない。

 それはまさしく児戯に等しかった。


「なぜ、こんなことを!」アヌビスは剣で敵の襲撃を受けた。鈍い金属の音が響き渡る。

「貴様に恨みはないが、是非にという御方がいてな」鍔迫り合いをしながら、十五歳の少年が言った。


 そこに、複数人が同時に襲い掛かった。アヌビスは高く跳躍し、すんでのところで避けた。


「何をしておるのだ!!」ハウランは怒気を発し、大気が震えた。自分の賭けが不正によって外れるかもしれぬ、と気が気ではない。試験会場脇でいまにも暴れ出しそうなハウランを、教師たちが抑えつけた。

「落ち着け! 恒例行事ではないか、毎年の」と毒功の達人であり、万毒双蛇の二つ名を持つネヘブカウが言った。白い髭をたくわえており、腕は老いて細くなっている。彼の言う通り、入学の前に少しでも競争相手を蹴落とそうという手合いは、それほど珍しくはなかった。

「そうよ。それに、これくらいの困難も乗り越えられない子は、どのみち卒業まで生き残れないでしょ」とセルケトが言った。

「クッソォォォッッ!! なんで俺が賭けた奴だけ毎年々々こうも妨害されるんだよ!!」ハウランは頭を抱えた。



 徒党を組んだ少年たちは、切れ間なく次々とアヌビスに斬りかかる。

 そんな怒涛の連携攻撃を、アヌビスはすべて見切った。


「何をしているアヌビス、反撃もせんか」とラーが叱った。

「だって、落としたらこの人たち失格しちゃうんだろ?」

「馬鹿だな、お前の命を狙っている者に情けなどかけるな」

「わかった!」


 先に手を出してきたのは向こうなのだ、と思うと、アヌビスのなかで遠慮はなくなった。


「おめえら、よくもやってくれたな! 三才剣法さんざいけんぽう<月華天斬>げっかてんざんッッ!!」


 アヌビスは剣を稲光のような速さで走らせ、年長の少年を袈裟斬りにした。刃先は潰されてはいれども、鉄塊である。少年は苦悶の表情を浮かべつつ、胸を押さえて谷に落下していった。


「お前たちも落ちるぞ!」とアヌビスが吠えた。

「問答無用ッ!」


 襲撃者たちはひるまず、一斉に襲い掛かった。


 ちっとアヌビスは舌打ちし、次の岩場に飛んで難を逃れようとした。

 しかし、状況が状況だけに、力のコントロールが不十分だった。第二位階の力に慣れぬアヌビスは、高く飛び過ぎてしまう。


「くっ!!」


 アヌビスは身を屈め、中空で身体を回転させ、なんとかその勢いを減殺させんとした。


 あと少し、あと少し——


 そのとき、その岩場に先にいた少年が目に入った。


「た、助けてくれ!!」アヌビスは思わず叫んだ。


 時間が、ひどくゆっくりになる。

 足場のない谷底に、じぶんがゆっくり落ちていくのを、アヌビスは全細胞で感じていた。


 スローモーションで落下の荷重を腹に感じていたそのとき——


「どんくさいのう」


 その少年が手を差し伸べた。


 アヌビスは、その手を掴んだ。


 ぐん、と落下エネルギーがその細い腕に伝わる。その腕は刺青だらけだった。いや、腕だけじゃない、とアヌビスは目を見張った。至るところに紋様が刻まれている。

 刺青少年はもう片方の手でもアヌビスの腕を掴んだ。膝がぶるぶる震え、そして地に屈した。

 しかし、その手は離さなかった。


 少年はアヌビスを岩場に引っ張り上げようとした。アヌビスは不思議なものを見るようにその刺青少年の顔を見ていた。

 その少年は濃い褐色の肌をしていて、まだ幼さの残る顔をしている。自分と同年齢くらいだろう、とアヌビスは思った。年齢のわりに自立した精神を感じさせる目を持っており、颯爽としている。黒色の短髪で、耳にピアスを開けていた。


「おい! 這い上がる気ないんか!?」

「あ、ああ! すまん!」


 アヌビスは我を取り戻し、岩場を這い上がった。しかし、そこにはいまにも岩場に着倒する襲撃者たちの姿があった。そのうえ、球まで飛んでくる。


「あいつら、ほんましょうもないわ。試験の真っ最中やのに、何考えてんねん」刺青少年は球を斬り捨てながら言った。

「ありがとうな!」アヌビスは照れながら言った。

「かめへんわ! それよか、来るで!」


 間髪入れず、ホルスに買収された年長の少年たちがアヌビスの元に飛び掛かった。

 しかし、その攻撃はすべて空を切った。アヌビスはそれらをすべて見切り、たやすく避けた。


「貴様、裏切るのか!」と刺青少年がアヌビスを助けたのを見た襲撃者が怒鳴った。

「ドアホ、裏切るも何も、お前らが勝手に結託しているだけやっちゅうねん」

「こいつらの狙いは俺だ! お前は先に行け!」とアヌビスは叫んだ。

「当たり前やろ!!」と刺青少年は間髪入れずに叫んだ。「誰がお前と心中するかえ!!」


 アヌビスはもっと押し問答をするつもりだったので、肩透かしを食ったように肩を落とした。


「ほな、先行くで! 堪忍な!」


 全身紋様少年は、アヌビスがこれまで見たことのないほどの爽やかな笑顔で去っていった。身のこなしは軽やかで、野性の獣を思わせる動きであった。

 アヌビスは思わず視線で追ってしまった。


「よそ見している余裕があるのか!?」と買収された少年が斬りかかりながら言った。

「ああ、お前ら程度ならな」とアヌビスは余裕を見せた。


 年長の少年たちは、この女みたいな面をした生意気な少年の言葉に触発され、構えを大きくした。「この野郎ッッ!!」


「いまだ!! この機を逃すな!!」とラーが声を張った。

「応ッ!! 三才剣法さんざいけんぽう<地烈横掃>ちれつおうそうッ!!」


 アヌビスは剣を横に払った。それは非常に洗練された動きで、剣術というよりも、舞踊のようであった。剣は襲撃者たちの虚を突き、みぞおちを次々と打った。


 がああっと叫びながら、三人が谷底へと落ちていく。三人は闇に消えた。


 残った三人は、顔を見合わせた。

 剣が、まるで見えなかった。ここまで使えるとは――


 アヌビスの眼は、あまりの剣速に呆然としている彼らの隙を見逃さなかった。

 円から円への飛び移りざまに、三才剣法の突き<崩山穿河>ほうざんせんがを放った。また一人が吹き飛ばされ、谷底に落下していく。


「よし!!」とハウランは拳を握って興奮した。「誰が死神だって? ジジイ!! 見ろよ、幸運の女神がついに俺の魅力にたなびきやがったぜ!!」

「あなやめずらし」と長い白髭の教師は目を丸くした。


 もはや襲撃者たちは戦意を喪っている。瞬く間に二人になってしまったのだから、無理もない。


(なにを怖気づいている、愚か者どもが! さっさと始末せよ!)


 ホルスは伝音入密でんおんにゅうみつで喝を入れるが、何の効果もない。


 ひいいっと踵を返して逃げようとするが、もはや遅い。

 アヌビスは七星歩法で距離を詰め、そのまま二人を崖底に斬り落とした。


 まさに、圧倒である。


 これで試験会場に残ったのは、アヌビスただ一人となった。


 試験を興味津々に観戦していた大勢の人間が、一人の例外もなく興奮で吠えた。

 うおおおおお、と地鳴りのような歓声が、アヌビスの腹の底から響いてくる。


(つづく)

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