▼第十三話「入学試験、見えぬ心火、うずくまる子供」




「それでは、試験を開始するッッ!!」とハウランが吠えて試験が始まった。


 その試験では、二千人以上に水晶玉が渡された。受験生たちはそれを持って運動場に整列して座る。

 チャクラを注ぎ込み、変色させることが出来れば合格だと試験官が説明した。それで先着百名が合格となる。


 テーベでは十二歳から成人であり、十二歳から十五歳までのテーベ国民に受験資格があった。

 ただし、霊薬の供給量に限りがあるため、三年に一度しか新入生の募集をしない。生まれた年によっては一生に一度しか試験を受けられないため、相当な難関である。


 アヌビスは十二歳なので、三年後にも受けられるとはいえ、一刻も早く強くなる必要があり、そのプランはまったく考えていない。

 一発勝負だ、とアヌビスは意気込む。


 アヌビスは緊張で心臓が高鳴るのを感じながら、水晶玉を両手でしっかりと握りしめた。周りの受験生たちも一斉にそれを掴む。異様な熱気である。彼らの人生が、この一瞬にかかっているのだから、無理もない。

 目を瞑り、呼吸に集中する。周りの必死な気配が伝わってくるが、それすらも意識の外に消えた。


 アヌビスは口訣を念じ、心火と向かい合った。

 しかし、それは心火ではなく、十歳の己の姿だった。


(なぜ、こんなときに心火がイメージ出来ないんだ…!!)


 十歳の自分が泣いている。アヌビスは幼い自分の泣き顔を見て苛立った。いまこんなことを思い出している場合じゃないのに――


 そのとき、ざわめきが起こった。まさか、速過ぎる――


「ホルス、一位通過ッッ!!」とハウランが敷地内全域に聞こえるほどの大きな声で叫んだ。


 どよどよとあちこちで感嘆の声が上がる。「さすが天才だ」「やはり血は争えぬか」「歴代最短記録だ!!」など、さまざまな声が聞こえてくる。

 ホルスは父オシリスの記録を破り、新たな記録を打ち立てた。さすがに得意げな顔をしている。


 これで父様の復讐に、また一歩近づいた、とホルスは思わず拳を固めた。

 そして、安堵する気持ちもむくむくと頭をもたげてくる。

 もし一位通過でなければ、母様にどんな折檻を受けていたか、と思うと身震いするのだった。


(アヌビスとやら。俺は貴様とは背負っているものが違いすぎるのだ。お前のような小物がセトを倒すだと? 笑わせやがる)



 アヌビスはほぞを噛む思いだった。自分は心火すら見えぬというのに、ホルスはもう通過しただと? 

 焦りばかりが募る。


(クソッ!! 心火、出てこい!! 昔の俺なんてお呼びじゃねえんだよ!!)


 しかし、泣いている自分がこびりついて消えない。

 どれだけ打ち払っても、次々と泣いている自分が浮かび上がってくる。


 アヌビスが悪戦苦闘しているうちに、ウプウアウトという少年が二位通過した。

 浅黒い肌に、黒髪を後ろで三つ編みにしており、意志の強そうな目をしていた。野趣にあふれた少年である。

 これもオシリスの記録と遜色ない抜群の記録だった。


「大穴を当てたぞ!!」とやじ馬の一部が狂喜している。

「下級家門なんてノーマークだったよ、こんなの買えっこない」と賭博に興じる者が口々に言う。

「あいつも天才だ!」「何者なんだ?」と観客のどよめきは尽きない。


 それから長身角顎のセベクが通過した。これも極めて速い記録である。

 本人は三位通過に不服そうではあった。ホルスに次ぐものは自分だという自負があったからだ。

 だがしかし、実力の一端を見せることはできた、とセベクは堂々と講堂に向かっていく。


 さすが名門の子だよな、ウプウアウトってのはどうせマグレだ、フロックだ、など、やじ馬からはぽっと出のウプウアウトを疑う声も大きい。


「ホルスとセベクの連が鉄板だと思ってたのに……! ワイドが正解だったとは……!」頭を抱えてのたうち回るギャンブラーが叫んだ。

「いくら負けたんだ?」

「全財産……」とギャンブラーは涙を流しながら言った。

「馬鹿だなあ、安いオッズにぶちこむなんて、負けるべくして負けたようなものだぜ」

「うるせえ!!」とギャンブラーは泣きながら暴れた。しかし、すぐに警備に連行されていずこかに消えた。


 四番目に抜けたのは、インプトだった。彼女は颯爽と講堂に向かって歩いていく。合格者はそこで第二試験の概要を説明される手はずになっていた。


「四着は女だ! しかもめちゃくちゃ上玉だぜ!」とやじ馬が叫んだ。

「しかしなあ、不憫だなあ」と隣の親父が言った。「昔は一流の家門で王族と付き合いもあったのに、あの子の父親がギャンブルで財産をすべてすっちまったんだ」

「なんだ、お前とおんなじか、やだねえ」

「てめえもだろうが!!」二人はもみ合いの喧嘩を始めるも、直後に外に放り出された。


 インプトは上位通過が出来て、胸をなでおろしていた。

 彼女は、やじ馬が言ったように、没落した家門の出である。


「あの子は地方の墓守と結婚するって噂が流れていたよな?」

「ひどい話だ。借金を穴埋めするために娘を売るなんてな」

「でも、あんな美人だったら、どれだけの玉の輿でも狙えるだろうよ」


 それらの話はインプトの耳にも入ってくる。噂は、事実であった。


(私は、自由を勝ち取る。絶対に、父上の思うようにはさせない)


 彼女が王立戦神学院マスダルへの入学を志すのは、インプトが戦士として有能であり、政略結婚の駒に留まるものではないということを証明するためであった。


 そして、インプトは歩きながらアヌビスを探した。ホルスに絡まれていたところを助けた縁で、どうしているのか気になったのだ。それは無論、アヌビスが見目麗しく、インプトの心に春風のような清涼感を与えたからというのも関係していた。

 褐色の肌に銀髪、おまけに美の女神の写し姿のような造形の顔を探すのに、そう苦労は要らなかった。アヌビスは難しい顔をして額に汗を浮かべていた。


(苦戦しているみたいね)


 声を掛けようか、とも思うが、試験中なのでそれもためらわれた。アドバイスをしたと取られたら、合格がふいになりかねない。

 しかし、それでも声を掛けずにはいられなかった。お節介な性質だと自分でもわかっているが、これが私なのだ、となかば諦めている。


「アヌビス、先に行くからね!」


 インプトの声が、アヌビスの脳を刺激する。はっと顔を上げ、インプトを見やった。

 インプトの目が、落ち着け、と言っているようにアヌビスには思えた。アヌビスは目で礼を言った。


「いいタイミングで声を掛けてくれたな」とラーが言った。「試験中だから返事はしなくていい。もし心火が見えなくて焦ってるのなら、落ち着け。これはよくあることだ。とくに修練をして間もない内はな」


 アヌビスは顔をぶるぶると横に振る。冗談じゃない、今すぐどうにかしないとヤバいんだって!


「わかってる。試験中だから、余計に焦るよな? でも、その時の自分を否定していたら、絶対に心火は見えない。お前はその時のお前を、癒し、受け入れる必要がある」


 真っ青な顔をしながら、アヌビスは頷いた。

 続々と合格者が出ていくなか、どれだけ頑張っても、どれだけ十歳の自分を引きはがそうとしても、心火は見えなかった。この方法はダメなんだ、とアヌビスは理解した。


「いいか。お前が抱えていた苦しみが心に出てくるのは、悪いことじゃない。否定しなくていい」


――いまはこの助言を信じるしかない。


 アヌビスは頷き、再び目を瞑った。


(つづく)

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