▼第十二話「ナイルの黒真珠インプト」
アヌビスが振り返ると、そこにはホルスがいた。相変わらずの美しい顔に、怜悧そうな目元である。ただし、人をごみのように見る目をしていた。目つきに温かみがあれば、万人に好かれる美男子であろうに、とアヌビスは残念に思う。
「貴様もこの学校に入ろうというのか? ふふふ、もし貴様が入学出来たらの話だが、またあの時のように教育してやろう」とホルスは笑った。「ずいぶん楽しい学校生活になるな?」
ホルスの隣にいる、長身で顎の角ばった少年もつられて笑った。黒髪短髪で、いかつい顔をしている。年は十四くらいだろう。
お
「よう、ホルス。俺も一か月間修行したんだ。前みたいに簡単にやられたりはしねえぞ」
その凛とした態度にホルスはまたも怒りが湧き出てくる。
この男の何がそこまで自分の気持ちを逆撫でるのか、ホルス自身にもわからない。
「貴様、殿下に向かってなんという口の利き方だ!」と長身の角顎が怒鳴った。「殿下は十四歳の若さで第三位階に達した、天才中の天才なのだぞ。対等に口を利けると思うな!」
「うるせえなあ、そっちが礼をわきまえてねえんだから仕方ねえだろ」アヌビスは悪びれぬ。
「いったいどこの家門なのだ!?」と角顎も退かぬ。
「家門? 俺は孤児だよ」
からからとアヌビスは笑った。
「なっ!? 貴様、どうやってアーヤマカンに入り込んだのだ!!」ホルスは額に青筋を浮かべている。貴族だと思っていたからこそ、あの時は殺さないでおいたものを。
「まあツテがあってな」
「ふん。大方色仕掛けでもしたのだろう。体を売って入り込むとは、貴様のような下賤の者がやりそうなことだ」とホルスは決めつけた。
アヌビスは、優れた容姿を持っていたがために、昔からこのような中傷をよく受けた。そして、それがある種のコンプレックスでもあった。
「おい、てめえ!!」
「なんだ、また躾けてほしいのか?」
二人の間に緊迫した空気が流れる。
そのとき、女がひとり突然割って入ってきた。
「ホルス、そういうのやめなさいって。こんなに殺気まき散らして、どうするつもり?」
その少女は、黒曜石のように深く輝く黒髪を持った、十四歳ぐらいの少女だった。張りのある浅黒い肌は、まるで琥珀のようだった。卵型の輪郭が、高貴な宝石のように見え、アヌビスはしばしその少女に見惚れた。
「インプト、貴様ッ! 殿下に対してそのような物言いはいかがなものか!」とホルスの隣にいる顎の角ばった男が大声を出した。彼の主人に対する無礼は、誰あろうと見過ごせないのだ。
「あら、セベクね。あんたもずいぶん大きくなったわねえ。まったく。あんたたち小さい頃は可愛げがあったのに」とインプトと呼ばれた黒髪の少女は言う。
「ちっ。俺にも事情があるんだ」ホルスは殺気を納め、目を伏せる。インプトはそれが父オシリスが謀殺されたことだとすぐに諒解する。
「気持ちはわかるけどさ、他人にぶつけても仕方ないでしょ?」
ふん、とホルスは顔を背け、歩き出した。
「待て!」とアヌビスはホルスを呼び止めた。「俺はアヌビスだ!! この学院に入学して、絶対にお前より強くなってやる!!」
ホルスはもはや怒りもせず、大きく笑った。
「下民のジョークにしては上出来だ。あの程度の実力でどうやって合格するというのか」くっくっく、と笑いが止まらないようだ。
「馬鹿め、殿下が貴様の名前など覚えるわけがなかろう!」とセベクと呼ばれた長身の少年が居丈高に言った。
「お前には言ってねえ! すっこんでろ!」
なに、とセベクは怒りを露わにする。セベクとて高位貴族である。貴族でもない下民にこのような物言いを許す教育は受けていない。
「殿下、あの下民を捨て置いてよろしいのですか?」大男はホルスにほほを寄せて、小声で尋ねる。
「よい。試験前に騒ぎを起こすのも馬鹿らしい。どうせ合格など出来ぬのだ、捨ておけ」
「はっ」
「おい、そこの銀髪。やれるものならやってみろ。ここは色仕掛けではどうにもならん場所だぞ」ホルスは笑いながら去っていった。
クソッとアヌビスはむくれた。しかし、ホルスの言うことにも一理あった。騒ぎを起こすのはどう考えても得策ではない。
「よお、ありがとな。助けてくれて」とアヌビスはインプトに礼を言った。
「ああ、いいのよ別に。あいつも昔はあんなんじゃなかったんだけどね」インプトは髪をかき上げ、伏し目がちに言った。アヌビスはその浅黒い耳に視線を奪われる。太陽もかくやという眩さがあった。
「あんた、いい人だな。俺、アヌビス。名前は?」
「インプトよ。もしお互いに入学したら、そのときはよろしくね」インプトはアヌビスに微笑んだ。
「ああ! ここにもあんたみたいないい人も居るんだって知れて、ほっとしたよ」
アヌビスは本心で言った。貴族は全員ホルスのような奴ばかりだと思っていたが、例外も存在すると知れただけで安心感があった。
「もうすぐ試験ね。ベストを尽くしましょっ!」
「ああ!」二人は固い握手を交わした。
学院の内部に足を踏み入れると、広大な中庭が広がっていた。その中庭の中央には、石造りの演武台があり、その周囲には観客席が設けられている。
演武台の周りに、様々な訓練用の施設が配置されている。見張り台を兼ねた立派な鐘楼があり、その他、運動場、講堂、医療堂、食堂、図書館、教師と生徒の住む宿舎など、すべて敷地内に存在する、とラーが自慢げに言った。
試験は、二千人以上の受験生を一斉にテストするために、運動場で行われるとのことだった。
「それよりさあ、俺本当に受かるのかな?」とアヌビスは歩きながらラーに言った。「あれだけみんなに落ちると思われてたらさすがに不安になってきたよ。大体、一か月しか修行してないんだぜ?」
「馬鹿だな。入学試験は素質を見る試験だから、現時点での強さは関係ないと何度も説明しただろう」
「だってさ、この国のエリートがこんなに集まってくるんだぞ」
ラーは移動するのを辞め、アヌビスもその場に止まった。
試験開始間際で、受験生を呼ばわる声も聞こえてきていたが、それでも伝えねばならぬことがある。
「やれやれ。お前はどうしてそう思うのだ? これだけは覚えておけ」とラーは瞳を覗き込んだ。「お前だけはお前のことを信じろ」
「そ、そんなこと言ったって、どうやって――」
「いいか、忘れるな。お前はセトの幻術にも俺が来るまでの間、耐えていた。チャクラを形成するときだって、初めてなのに気の流れが見えていたばかりか、コントロールまでした。アーヤマカンでも、一番霊気の濃い場所を見つけた。武功も、すぐに飲み込んだ。お前はお前が達成したことを、受け入れ、認め、褒めろ」
俺が達成したことを、俺が認める、褒める?
アヌビスは両手をまじまじと見た。
そうか、とアヌビスは気付く。
(俺は今まで自分を否定し過ぎていて、それが癖になって、自分が実際にやったことまで、大したことがないとか、運がいいとか、そうやって否定していたんだ――)
「ありがとな、ラー。俺、自分が一番自分のこと否定してたみたいだ」
「うむ。試験ごときで臆するな。死にはせん」
「俺、力を出し尽くすよ、精一杯やる」
ラーは顔をほころばせた。
「さあ、行ってこい!」
(つづく)
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