▼第十一話「対練、修練、修行」




 その日から、日中はチャクラの修練、夢の中でもチャクラの修練と武功の修練の日々が始まった。


 心火を宿した翌朝、アヌビスはホルスの姿を探したが、どこにもいなかった。

 おそらく、修業期間を終えて出ていったのだろう、とラーが言った。

 これ以上の揉め事はなさそうだ、とアヌビスはほっとしたが、安堵した自分にまた苛立つのだった。


 アーヤマカン修行場は大陸でも有数の気が集まるだけあり、ラーの指導の下、アヌビスは濃厚かつ純粋な気をチャクラに取り入れ続けた。それは乾いた藁に火をくべるような勢いで、瞬く間にアヌビスのなかに吸収されていった。まだ造りたてのチャクラは、汲めども尽きぬ霊気を貪欲に欲していた。ラーはその膨大な量の消化速度に目を見張った。


 そして、同時に武功の修練にも励んだ。アヌビスは、もう二度と嘲られぬよう、必死だった。

 ホルスの顔を思い浮かべて剣を振り、ホルスの強烈な一撃を反芻しながら地面を蹴った。



 一週間が過ぎたころ、夢の中でラーはアヌビスの動きを見て最低限の動きを身に付けたことを確認すると、実戦経験を積ませることにした。


「そろそろ実戦に入るぞ」

「えっ。本当ですか!? でもどうやって?」

「ここは夢のなかだ。お前が見てきた相手を出すことなど、たやすい」


 ラーは指を鳴らすと、ジャウティのアルガルビ山で遭遇した、第三位階の兵士・ザイードが演武台の上に現れた。

 大柄で、顔中に髭をたくわえていて、いかにも歴戦の兵士といったていである。

 夢の中とはいえ、不敵な笑みを浮かべたザイードは、威圧感がある。


「まずはこの男との実戦だ。ただし、ザコとばかり戦っていても目は肥えぬ。この男と戦ったのち、この俺が直々に相手しよう」

「師父、ホルスのやつも出せますか?」アヌビスは興奮して返事をした。

「もちろんのこと。ただし、いまはあやつを出しても練習にならぬ。同じ第三位階でも、ザイードとホルスでは格が違うからな」

「ちぇっ」

「いまは、と言っておろう。案ずるな。お前の成長速度ならば、その時はそう遠くない」

「わかった!」


 アヌビスは剣を構え、ザイードと対峙した。


 ザイードとの対練は、アヌビスに緊張をもたらした。

 さすがに第三位階の歴戦の兵士である。

 以前のアヌビスは、攻撃を見切るのに苦労し、また攻撃を防ぐだけでも内傷を負う始末だった。


 しかし、アヌビスも成長しているう。

 曲がりなりにも武功を身に付け、心法を身に付け、内功も増えた。


 アヌビスはまず、勝ちにはやるのをよしとせず、相手の動きを見ることに集中した。


 ザイードは脚を使い、アヌビスを翻弄しようとするも、アヌビスはその動きをじっと捕捉している。


(見える! 前よりも、ずっと!)


 アヌビス自身が三才剣法や七星歩法を学んだことにより、武の造詣ぞうけいが深くなり、相手の動きがわかるようになっていたのだ。


 ザイードも第三位階とはいえ、所詮は雑兵のひとりである。使っている武功はアヌビスと同じ程度の三流武功であった。

 その点、ホルスは武功の質が極めて高く、ラーが「格が違う」と言っていた意味がアヌビスにもわかった。


 そして、敵の筋肉の動きや目線から、どこに剣戟けんげきを加えてくるのかを予測し、かわし続けた。


(やはり、あやつは目がいい)とラーは感心している。


「かわしてるだけでは勝てんぞ!」とラーがどやしつけた。「攻撃後の隙を狙って反撃してみろ!」

「応ッ!!」


 アヌビスは剣を振り下ろした直後の背中に向かって、三才剣法の天剣を放った。

 しかし、攻撃が通用しない。やはり、境地の差が二つもあると、手傷すらろくに負わせられないのか、とアヌビスは苦笑する。


「どうやって勝てばいいんだよ!?」

「馬鹿弟子が。応用をせよ、応用を。なんのための蠟燭ろうそく訓練だったと思う?」


 アヌビスは気付きを得た。そうか、ホルスが拳に電撃を纏わせたように、俺も剣に炎を宿らせれば——


神炎錬魄訣しんえんれんぱくけつ!!」


 アヌビスの剣が燃え上がったかと思うと、その炎が刀身に留まった。


「これが武功の使い方か!!」


(なんという才能か)とラーは内心舌を巻いていた。



 アヌビスは日夜修練に打ち込んだ。それは誰に強制されたわけでもなく、ただひたすらに自分が強くなることが楽しかったからだ。


 ザイードは一週間で倒せるようになった。

 第一位階のアヌビスが第三位階のザイードを打ち負かすなど、境地の差を考えれば通常ありえないことだったが、アヌビスはやってのけた。

 それは日々積み増されていく内功や、アヌビスの武に対する理解の進捗、そして何よりラーとの対練によってさらに鍛えられた眼力によってのものであった。


 ザイードと並行して、アヌビスは成人姿のラーとの対練も毎日行った。ラーの見せる動きは、アヌビスにとっては何よりの教材となった。一滴たりとも漏らすまいと、アヌビスはそのすべてを吸収しようとしていた。



 そして一か月の時が過ぎた。


 アヌビスはアーヤマカンで修業できる期間を満了し、谷を出た。

 その顔は、一か月前に比べて、精悍さがやや増している。


 門衛から預けていたラクダを受け取ると、王立戦神学院マスダルに向かった。


 地平線と、無数の砂丘が広がっている。茫漠とした景色であり、ラーが方向を指し示さねば、迷っていただろう。

 乾いた砂漠の上に足跡をつけ、ラクダは進んでいく。日光は非常に強く、アヌビスの肌を焼いた。そして、砂漠の果てに陽炎のゆらめきを見た。


 翌朝、アヌビスはついにそれらしきものを見た。


「あ、あれがそうじゃないか!?」とアヌビスはマスダルの巨大な威容を指して叫んだ。

「うむ、変わりないな」とラーが言った。


 テーベの東にあるマスダルは広大な敷地を有しており、なかでも敷地の中央にそびえ立つ巨大なオベリスクは、人々の眼を釘付けにした。それは天をく石柱である。

 学院の敷地は高い石造りの城壁で囲まれており、外部からの侵入を拒む堅固な要塞のようにも見えた。


 学院の入口、通称スフィンクス大門は重厚な青銅の扉で出来ており、今日は入学試験のために開放されている。

 その扉には二頭のスフィンクスが向かい合うように彫られており、それを目にしたアヌビスは居心地の悪さを感じた。このような格調高い場所になど、てんで馴染みがなかったからだ。


 門番に試験を受けたいと伝えると、彼らはさすがに困惑していた。元々庶民にも広く門戸が開かれている場所だけあって、アーヤマカンほど冷たい対応ではなかったが、それでも乞食同然の格好をしている少年の応対はしたことがなかった。

 門番たちが戸惑うのも無理はない。マスダルに実力で入れるというのは建前であり、実質は違うからだ。修練資源を惜しみなく、湯水の如く与えられた良家の子女ばかりが「実力」を獲得し、庶民を圧倒するためだ。そんな国内のエリートたちの間ですら競争があり、選抜を受ける。ここはとてつもなく狭き門なのだ。


 アヌビスは受付で番号の付いた札を受け取り、それを胸につけた。

 そのとき、顔馴染みを発見した。それはハウラン将軍であった。


「ハウラン将軍~!!」

「おお、アヌビスか! 見違えたぞ!」


 ハウランは相変わらずの大男で、体中から気迫があふれ出ている。筋骨隆々、精悍な顔つきである。豪奢な金髪が獅子の姿を思わせていた。


「将軍、なぜここに!?」

「なぜってお前、俺は戦争のないときはここの教師も務めてるからな。っていうか……ええっ!? お前、どうしたその身体!?」


 ハウランは声を上ずらし、目を丸くしている。目の前の少年から感じる内功の量は、三年分にも達していた。以前はほとんどゼロだったというのに。


「お前、何したんだ? いくらアーヤマカンといえど、一か月でこんなに内功が増えるということはないだろう」

「将軍のおかげでいい修練になりました」とアヌビスは礼の姿勢を取った。

「魔功だってこのような速さで内功が積みあがることはないというのに」

「面倒だから奇縁がありましたと言っておけ。間違ってないし」とラーが耳打ちした。アヌビスはそのようにハウランに伝えた。

「奇縁か、まあそうだろう。いくら才能があるとはいえ、常人の何十倍もの速さだからな」ハウランは顎に手を当ててまじまじとアヌビスを見た。「しかし、それでも競争相手は凄まじいのばかりだぞ。なんせ、ガキの癖に十年も二十年も内功を持ってる化け物たちもいるからな」

「やるだけやってみますよ」とアヌビスは言った。そこには、かつては感じられなかった自信があった。

「そうか。頑張ってみなさい。だが、落ちても落ち込むことはないからな。ここは本当に各地のエリートが集まる狭き門なのだからな」

「はい!」


 立ち去るハウランに、アヌビスは深々と頭を下げた。

 胸の内は高揚感でいっぱいだった。以前の人生では、煙たがられるばかりだったのに、自分のことを真っ直ぐ見てくれる人がいるということが、ありがたくてたまらぬのだった。


 そんなアヌビスに近付く人影がある。二人の少年だ。


「ここで何をしている、下賤の者」


(つづく)

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