▼第四話「新造チャクラ」
爆発音を聞きつけたアヌビスは、急いで洞窟から飛び出し、山頂から燃える街を見下ろした。いまも、町のあちこちから爆発が起き、粉塵が待っている。寝静まっていた人々が、慌てて家から飛び出して様子を窺ったり、通りを走っていったりした。炎の柱があちこちに立ち、街を赤く染め上げた。
この夜の記憶は、鮮明に覚えている。メンネフェルがテーベに友好的なジャウティを夜襲した日だ。
アヌビスの育ったアルフダッド孤児院も、この日に焼け落ちた。そこは街のはずれにあったから、幸いにも孤児たちは全員逃げ延びられたものの、事件のあと「厄病神め、お前のせいだ」と一層嫌われてしまったことを思い出し、アヌビスは呆れを含んだため息をついた。
「おいラー! 敵襲だ! どうすりゃいい!?」
「奴らの狙いは街だろう。ここには来ないさ」ラーは涼しい顔で言った。
「街の奴らはどうするんだよ!」
「あのなあ」と手のひらサイズのラーは、アヌビスの額を指で弾いた。思念体のはずだが、衝撃がある。「お前は誰かを助けるにも弱過ぎるだろう? せっかく転生させたのに、犬死にさせるわけないだろ」
「だったら!」アヌビスは拳を振り上げて叫んだ。「いますぐ俺を強くしろ!」
ラーは宙に浮き、腕組みしてアヌビスを見下ろした。
「お前が集中すれば速く終わる。気合い入れろよ?」
「ああ、望むところだ!」
「まず座禅を組め。そのあと俺が山から吸い取った気を流し込む。お前はその気に集中して意識を合わせろ」
「わかった」
アヌビスは洞窟の祭壇の前で座禅を組み、深く息を吸って、吐いた。筋肉が緩んでいくようにイメージし、心を平静にした。
その背後から、ラーが口訣を唱えつつ、背中に手をかざす。すると、ラーの身体が青白く発光し、ラーの赤い前髪が天に向かって逆立った。そして、アヌビスに気を注ぎ込んだ。アヌビスにも、背中から温かさが流れ込んでくるのがわかった。アヌビスの身体も、青白く輝いた。
アヌビスはその温かさに意識を向けた。それは身体の血管を巡っていくようだった。
そしてそれらが腹部に到達したとき、明らかに気が行き場を失っていた。気の導管のようなものが、詰まっているのだとアヌビスにはわかった。
「なあ、何か詰まってるよな」
「ほう、わかるのか? ならその詰まりに意識を集中していろ」
白い結石のようなものに、アヌビスは意識を向けた。そして、そこにラーから流れてくるエネルギーを注ぎ込んだ。そのやり方は、誰にも教わらずに、それと知っていた。アヌビスには不思議とどのように気を使えばいいのか、わかっていた。それは天性のものである。
やはりこいつは、俺の血を最も濃く受け継いでやがる、とラーはにやりと笑った。
体内の中で循環出来ず、淀み、腐っていき、ついには硬化した気を、アヌビスは暖かいエネルギーで、やわらかくほぐしていくのだった。そして、それは小さくなり、やがて溶けていった。
そのようにして、アヌビスは腹部にある結石を次々に処理していった。
「いいぞ、順調だ」とラーが言った。「お前にも道がわかるのだな」
その言葉にも気付かぬほど、アヌビスは作業に没頭していた。
なんだこれ、めちゃくちゃ面白い! 今度はこうしてみよう、おお、うまくいった! すげえ! 俺って天才かも!
アヌビスは、何も教わらずとも闊達に気を捌ける自分に、酔いしれた。誰でも、自分の才能を発見するとき、才能に没頭するとき、幸福になる。アヌビスもその例外ではなかった。
そして、短時間ですべての結石を処理し終わったのち、アヌビスは三つのチャクラに行きついた。
くすんで濁っている灰色のチャクラ、半透明のチャクラ、そして鎖の巻き付いた黒いチャクラである。
アヌビスは無意識に、鎖の巻き付いた黒いチャクラに目を惹きつけられた。
その瞬間、アヌビスはとてつもない吐き気に襲われ、口元を抑えた。
脳が黒く染まる。時が止まる。世界が伸び縮みする。自分の縮尺が変わっていく。どんどんどんどん巨大になっていく。そして、どんどんどんどん縮んでいく。自分の輪郭がわからなくなる。世界と不分明になる。世界はどこ? 俺はどこ? そして穴に落ちる。深い深い穴の底。どれだけでも落ち続ける。奈落に向かって、底もない場所を、落下していく。現実世界は、遠い白い点になった。井戸の底から切り取られた空を見上げるように、意識の果てで、はるか遠くに離れた現実を見ようとする。駄目だ。なんにも見えねえ。
「馬鹿、それはまだ早い!」とラーが怒鳴った。「チャクラの気が暴走して、精神が汚染されるぞ!」
アヌビスは吐瀉物を膝にまき散らし、床に倒れ込んだ。鎖の付いた黒いチャクラから、夥しい量の黒い気があふれ、アヌビスの心臓を蝕もうとしている。
クソッと言いながら、ラーは目を閉じて腕を動かし、舞のような動きをした。アヌビスの腹のなかで暴れまわっていたエネルギーが、抑えつけられまいとして、のたうち回っていた。ラーの額から汗が流れ落ちる。
「気を確かに持て! アヌビス!」
「ぐああああああああッッ!」
アヌビスは頭を抱えて地面をのたうち回っている。
ちっ、とラーは舌打ちをして、ぶつぶつと呪文を唱え始めた。
「こんなところでくたばるんじゃねえぞ! 強くなって家族の秘密を知るんだろうが!」
か……ぞく……?
深い深い闇のなかで、悠久の時を越えてかすかに聞こえてきた言葉に、アヌビスは反応した。
知りたい。自分の父や母が、どんな人なのか。それは知的好奇心でもあり、愛慕でもある。
しかし同時に、恐れも抱いていることを、アヌビスはここに至って知ることになった。
本当は知りたいし、会ってみたいし、話してみたいよ、そりゃ。でも、怖いよね。だって俺は捨てられたんだもん。必要ないって通牒されたのと同じだもん。家族って怖いよね。家族って恐ろしいよね。家族って俺を必要としないよね。どうして俺は捨てられたんだろう? 俺の何がだめだったんだろう? 俺の何が忌々しかったんだろう――
そのとき。アヌビスは、目の前に、恐れ、震えているもう一人の自分が目の前にいるのを知った。いままで、その深い闇の穴の中にいて、見えていなかった。ひとりきりだと、思い込んでいた。でも、そばにいたんだな。
アヌビスは、どうすればいいか、直感で理解した。
目の前の自分を、抱きしめた。
「そうだよな。すっげー怖いよな。でもさ、俺がいるよ。大丈夫だよ、父や母に必要とされなくたって、俺がお前を必要としているから。だから、大丈夫だ。そして、やっぱり俺は、必要とされなくても、会ってみたい。否定されても、拒絶されても、恋い慕う気持ちは、消せないんだ。だから、せめて、顔だけでも見てみたい。お前も俺だからわかるだろ? 一緒に強くなって、父と母に会いに行こう」
もう一人のアヌビスは、唖然としていたが、やがて、にこり、と笑った。
そして、二人のアヌビスが、光を放った。
アヌビスの無限の落下は止まった。そして、一瞬のあいだに、その闇を上昇し、点になっていた現実世界にむかって急上昇する。どんどん世界が広がっていく。大きくなっていく。
そして。アヌビスは現実に戻ってきた。
ラーはアヌビスのハートのチャクラが光り出し、黒い鎖のチャクラから放たれる気を押し返すのを認めた。「アヌビス、やるじゃねえか!!」
「なんとか、な」アヌビスは吐いたあとの気持ち悪い酸味に辟易しながら答えた。
しかし、まだ腹部のチャクラの暴走は続いている。アヌビスはどうにかして身体を起こし、再び座禅を組んだ。
そのとき、腹部の気の導管が、こんがらがっていて不通の状態が数々あることを、アヌビスは発見した。
「ラー! この腹部の導管、作り替えるから手伝ってくれ!」
「意識は大丈夫なのか!?」
「長くは持たない! 早く!」
アヌビスはイメージの中で、三つのチャクラから思い思いに伸びていた導管を、枝の剪定をするように必要なぶんだけ残して切り取った。
それは集中力を要する作業だったが、黒いチャクラからの念で朦朧としながらも、アヌビスはやり遂げた。
そして、ラーが運気の流れに必要な部分に導管を貼り付けた。
「これで最後だ!」とラーが叫んだ。
ついにアヌビスの気脈が完全な形になった。すべてのエネルギーが滞りなくアヌビスの腹部を駆け巡った。暴走する気の奔流は腹部の中でぐるぐると渦巻き、三つのチャクラのうち、くすんで濁っていたチャクラに飛び込んでいった。
そして、アヌビスの腹部が強烈な光を放った。
「くっ……!」
その光は、洞窟を照らし、洞窟の外にまで漏れた。
「あれはなんだ?」と兵士が光る山を見上げて言った。炎のあがる建物が周りにいくつもあったが、それでもその光は目立った。
「なにか光っているようですが」と傍らの兵士が答えた。
「あの山に何があるのか、その辺の市民から聞き出せ」
はっ、と兵士が返事をした。
アヌビスは洞窟で地面に横たわり、はあ、はあ、と苦しそうな顔で息をしていた。
「おい、感じるか、お前のチャクラを」とラーが言った。宙に浮き、自慢げな顔をしている。
アヌビスは肩で息をしつつも、腹部に意識を集中した。
すると、灰色だったチャクラは、いまや乳白色に輝いていて、見違えるようだった。
「これが、俺のチャクラ……」
「まだ一個目を使えるようにしただけだけどな。残りは、もっと強いエネルギーが得られるときに、だ」
「俺が、修練出来るだなんて……!」
アヌビスはラーに見られぬように、流れる涙を手で拭った。その涙には万感の思いが詰まっていた。
「それよか、お客さんたちが近付いているみたいだぜ」
「え?」アヌビスは半身を起こした。
「さっきの光が原因だろう。おい、逃げるぞ」
「逃げる? だって、街の人は?」
「たったいまチャクラが使えるようになったばかりの第一位階のザコが行ってなんになる! 悔しければ強くなれ!」ラーは怒鳴った。
アヌビスは俯いた。返す言葉もない。自分の無力さは誰よりもよく知っていた。
「それに、テーベ側から強い気が近付いている。そいつに任せれば大丈夫だ」
「ああ、そうか」
アヌビスは、ジャウティを守った将軍の存在を思い出した。
「ちっ、思ったより早いな。行くぞ」
「わかった!」
二人は明かりも持たずに洞窟を抜けた。この岩山には木が生えておらず、視線を遮るものはない。たいまつやラーの光は格好の目印となってしまうのだった。
「ここからどこに行くんだ?」とアヌビスは聞いた。
「テーベの王立戦神学院だ。あそこに行けばお前を強くするための霊薬や内丹が手に入る」
「は? それってあの”マスダル”?」
「そうだ」
「え? は? だって、あそこは貴族専用だろ?」そこは雲上の場所で、孤児の自分にはとてもじゃないが入れないような場所だとアヌビスは聞いていた。
「それは違うぞ、門派は問わない。能力があれば孤児でも入れるように作ったんだ。まあ修行資源の豊富な貴族たちに有利な仕組みではあるがな」
「能力があれば? でもお前自身が言ったように、俺はチャクラを作ったばっかじゃないか」
「しっ」とラーはアヌビスを制した。そしてアヌビスに身を屈め、岩の陰に入るように指示した。
しばらくすると、兵士二人が民間人の女一人を連れて山頂に現れた。
大柄な男がたいまつを持ち、小柄な男が、手を縄で縛られた女を連れている。
「おい女、ここが山頂の洞窟で合ってるんだろうな」と小柄ながら目つきの残忍な兵士が、手を縄で縛られた女に向かって言った。
「間違いありません」と憔悴しきった女は言った。まだ二十代の若い女で、顔や髪は煤だらけで黒かった。
アヌビスのいる岩陰は、洞窟からほとんど離れていない。彼らの話し声が聞こえてくる。
「しかし中には誰もいないし、隠れる場所もない。もし人の仕業なら、このあたりにまだいるはずだ」と大柄な兵士が言った。
アヌビスは身体を震わせた。その心臓が鼓動を速める。息が荒くなってしまいそうになり、それを抑えて呼吸するのが大変だった。アヌビスは、見つかる恐怖も感じていたが、それ以上に怒りを感じていた。あいつら、ジャウティの人間に対して、なんて扱いをしやがるんだ。
「隊長、人なんてどこにもいませんよ。それより、ここでちょっと楽しんでいきましょうよ」と小柄な男が言った。縄をねじり上げ、女の両手を上に引っ張り上げる。
「や、やめて……!」と女が抵抗した。
「調査が先だろう。この場所で何が起きたかを確認しなければ」
「確認も何も、こんな狭い洞窟ですよ?」
「うむ、それもそうか」と大柄な男は顎に手を当てた。「どれ、ジャウティの女の味はいかがかな」
女は最初、物凄い声で叫んでいたが、口に何かを詰め込まれたのか、声にならなくなった。
その瞬間、アヌビスは、自分の弱さも、相手が二人であることも、すべてを忘れて、立ち上がった。
「おい馬鹿、よせ!」とラーは叫んだ。
アヌビスは構わずに、大声で呼ばわった。
「おい、メンネフェルのごろつきども。その女の人を解き放て!!」
(つづく)
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