第8話 一人と独りの中間地点

 【放課後話したい。一度でいいから、お願い】


 火曜日の朝、そんなメッセージを送ってきたのは幸だった。


 正直な感想は、めんどくさいだ。


 (そういえば昨日も、もともと何か用があるって言ってたっけ)


 その件についてだろうか。まぁ、なんにせよ気が進まないのは確かだ。


 放課後も何も、学校に行くかどうかすら迷ってるのだ。これ以上心労を増やさないでもらいたい。


 「とりあえず、学校行くか……」


 気は進まないが、いつかは行かなければいけないのだ。

 なれば、それは早いうちがいいだろう。後になればなるほど、その一歩が重くなるのを俺は経験から知っていた。


 それは幸からの誘いも同じで、きっと幸はしつこく誘ってくるだろう。だったら一度気が済むまで付き合ってやるべきかとも思う。


 そう思い幸へ「わかった」と、一言返事を入れた。


 返事はすぐに帰ってきたのだった。



ーーーー


 「おい、きたぜ」

 「ほんとだ。どのツラ下げてきてんだか」


 登校した俺は、もちろん歓迎なんてされてなかった。


 聞こえてるぞ。陰口って、意外と聞こえるから気をつけてもらいたい。いや、あるいは聞こえるように言っているのか。


 席に座って突っ伏している俺に、いくつもの視線が突き刺さってるのがわかる。


 懐かしいなー、なんてどこか楽観的に俺はそう思った。


 今気づいたけど、あの時俺が裏切られた時にはすでに、俺が園田をいじめてたことになってたんだろう。


 そう思えるほどに、あの時の感覚に近いものを、今向けられてる視線から感じた。


 

 案の定、俺が誰かさんをいじめてた件は伝わっているらしい。

 ご丁寧に誰が、誰をってところまで伝わってるらしい。

 トイレの個室に入ってたら、たまたま話を聞けた。いつもありがとな。後ろの席の君。


 さて、ここで俺がどうするか。

 決まってる。スルー安定である。


 なぜって、噂は噂だからである。



 もし誰かが、この噂を元に実害を出してきたら、その時は徹底的に潰すまでだ。人間関係をぐちゃぐちゃにして、全部道連れにしてやる。

 仮に俺が園田をいじめてた過去が本当だとしても、それは俺をいじめていい理由にはならない。正義は向こうにない。


 今は噂として流れているだけの現状だ。いつかはやむ可能性だってあるし、そもそも犯人の特定なんてしようが無い。


 それにしようとも思わない。この程度ならやり過ごせるし、何より面倒だ。これで済むなら、甘んじて受けようじゃないか。


 それがベスト。一人と独りの中間地点。

 なんかクラスで浮いてるやつってところだろうか。


 心は大丈夫。これならまだ耐えられる。



 昼休みになって、俺は教室を出た。


 そこでおよそ一週間ぶり?だろうか。彼女の姿を見た。


 園田恵美である。


 目は合わずとも、互いに姿を認識したのが分かった。


 彼女は動揺を見せずに、友人たちと談笑を続けていた。

 そこに福村の姿はなかった。


 周りの女子が俺に気づく。そして警戒心を帯びた視線を向けてきた。しかし、園田が何か言ったのだろうか、すぐに目を逸らした。


 彼女は流れている噂を知っているのだろうか。

 あるいは、あの噂を流した張本人こそが、彼女なのだろうか。


 可能性はある。でも、確かめようもない。


 だから俺は何も言わずに、横を通り過ぎる。向こうも何かを言うことも、涙を流すこともなかった。


 それでいい。それが一番適切な距離だ。


 きっとこれから、どの生徒ともこの距離感で過ごすのだろう。


 本当の意味で、もっとも他人と関わらない人間って言うのは、今の俺なんじゃないかって、ふとそう思った。


 「一人」の人間は他人と積極的に関わらないだけで、別に必要な時はそうじゃない。話しかけられれば、最低限の返答はする。ただの一クラスメイトである。


 「独り」の人間は、他者からの干渉があって存在しうる。厳密に言えば、誰かとの関わりがなければ「独り」にはならない。


 では、「一人と独り」の中間地点、なんで呼ぶのはどうだろうか。

 

 自分から他人に関わりに行くことはもちろんなく、そして他人からは腫れ物を扱うように避けられる。


 「一人と独り」に、火花散る瞬間は起こり得ない。


 それが起きた時、それこそ「一人」が「独り」になる瞬間だろう。


 そしてそれは、大概が「悪意」によって起こるものだ。

 だから、今この状況がターニングポイント。


 俺の今後は、この状況への対応で決まる。


 ああ、憂鬱だ。


ーーーー



 「あ、お兄ちゃん!こっちこっち!」

 「……騒ぐなよ」


 私の声に、バツの悪そうな顔を浮かべて、お兄ちゃんはそう言った。つい声が大きくなってしまった。


 放課後、お兄ちゃんは私の誘いに乗ってくれた。正直来てくれなかったらどうしようかと思ったが、本当に良かった。


 この先何度も誘われたり、家まで訪ねられても困るから、後顧の憂いは先に断つ、的な考えなんだろうけど、それはまあ仕方ない。


 場所は学校近くのファミレス。私は待ち合わせ場所にてお兄ちゃんを待っていた。


 合流後、店内にはいり二人席へと案内される。


 長居するつもりはないので、軽くつまめるものを頼む。


 「で、話って何だ?」


 早速お兄ちゃんが話を振ってきた。私としては、もうちょっとお喋りしてからがよかったんだけど、そうもいかないようだ。


 私は居住まいを正して、告げた。



 「私ね、お兄ちゃんとまた一緒に暮らしたい」



ーーーー



 「悪いけど、嫌だ」


 しばらくの沈黙の後、お兄ちゃんはそう言った。


 「どうして?」


 分かってるけど、聞いた。聞かないわけには、いかない。


 「いや、わかるだろ?」


 そう、返された。


 そう、私は分かってる。他ならぬ私の罪だ。分からないわけがない。


 だけどそう言うってことは、やっぱりお兄ちゃんはいじめなんかしてなかったんだ。


 確かな予感は、確信に変わった。


 だったら、なおさら私は引けない。引くわけにはいかない。


 「ごめん。確かに分かってる。分かってるよ。だから!だからこそ、お願いしてるの!!」


 薄っぺらい義務感。薄汚い自己満足。


 そんなの知ってる。自覚してる。


 でもここで手を伸ばさなきゃ、二度とその手は掴めないと思うから、私は手を伸ばす。


 「あの時のこと、本当に後悔してる。本当にごめんなさい」


 私はそう言って頭を下げた。


 泣かない。泣きたかったけど、グッと堪える。

 あの人みたいに、泣く権利なんて私にはない。


 お兄ちゃんにとってはさぞ迷惑だろう。

 でも、一度だけ、このわがままだけは、聞いて欲しい。


 「母さんは何て?」

 「それは……」


 私にとって、一番痛いところをつかれてしまう。


 「反対されたんだな」

 

 私の反応で、察したようだ。

 

 そう、この話をお母さんにした時、反対されたのだ。


 「そ、それは!私が説得してみせるから!!だから!!」

 「無理だよ。少なくとも、説得が必要なうちはな」


 そう言ってお兄ちゃんは、手に持っていた飲み物を飲み干した。


 その手には、いつもより力が入ってる気がして。


 「だから、悪いな」


 こうして、お兄ちゃんを実家に連れ戻す計画は、頓挫した。


 実家に連れ戻す計画は。


 「説得がいらない相手ならいいんだよね?」

 「……え?」


 私の言葉に、ポカンとするお兄ちゃん。


 そして数刻おいて、ハッとしたように顔を上げる。


 これは屁理屈で揚げ足取りだ。


 私はこれ見よがしに、持ってきていたボストンバッグを見せつける。


 ここまでは予想通り。だけどここで引くわけにはいかない。


 「実はさ、これ部活のカバンじゃないんだよね」

 

 私はテニス部員で、普段からこういったスポーツバッグとかを使ってるから、きっと疑問に思わなかったんだろう。


 「おい、お前まさか」

 

 お兄ちゃんも気づいたようだ。


 「あのね、この話お母さんとして、大喧嘩しちゃってね。私しばらく帰りたくないの」


 続く言葉が分かっているのだろう。お兄ちゃんはどこか諦めた様子で項垂れた。


 「だから、泊めて?」


 自己満足だとしてもかまわない。それでも私は諦めない。


 お兄ちゃんを、独りにはしない。




ーーーー



 父さんが死んだのは、俺が小学3年生の頃だった。


 事故死だった。大好きな家族が、あっさりと何の前触れもなく死んだ。


 父さんは俺が当時習っていたサッカーの試合を見に来る途中に、事故にあった。

 母さんは幸の面倒を見てたため、事故に遭うことはなかった。


 しばらく塞ぎ込んだのを覚えている。周りもそんな俺に同情してくれて、優しくしてくれたのを覚えている。


 塞ぎ込んだのは俺だけじゃない。幸も、母さんもそれは同様だった。


 思えば、その時からだったかもしれない。母さんの態度が変わったのは。


 幸は気づけなかっただろう。俺にだけ母さんは冷たかった。幸に気づかれないようにしていたから。


 きっと父さんが死んだやるせなさを、どこかにぶつける理由が欲しかったんだと思う。

 そして俺が理由になった。俺がサッカーをしていたから、って。


 やりきれない気持ちは、全て俺にぶつけることで解消されていった。


 別に俺は、幸を恨んでいるわけではなかった。

 周りが、何よりも実の母が俺を信じなかったんだ。

 

 母の言うことが真実だと思っても、仕方がなかったと思う。


 だけど、理屈と感情は別だ。


 俺は幸に信じてもらいたかった。あの時に、あの瞬間に、あの場面で。


 幸は今、俺のことを信じてくれてるのだろう。

 でもそれは、後から起きた結果からそう判断しているだけだ。


 罪悪感、義務感。そしてなにより、無条件の信頼ではないと言う事実が、どうしても俺を縛りつける。


 母さんは父さんが死んでから働き始めた。結果家で二人で暮らす時間は多かった。


 支え合って生きてきたと思ってた。何だって一緒にやってきたのだ。


 それを裏切られたあの絶望を、俺はどうしても振り払うことができない。


 「お兄ちゃん……」


 布団の中で、いつしか握られていた手を、俺はそっと解いた。


 俺と幸は一緒の布団で寝ていた。1組しかないのだ、仕方ない。


 なぜ、幸の提案を飲み込んで、家に泊めることを許したのか。自分でも答えははっきりしていなかった。


 心のどこかで変化を望んでいるのだろうか。


 それとも、母さんに拒絶されたことを、心のどこかでショックに感じているのだろうか。


 幸にどんな感情を向けるべきなのかわからない。


 反省して、後悔して、幸はここにきたという。


 では、俺は許すべきなのだろうか。


 俺がここで一言、「許すよ」と言えば、それでいいのだろうか。


 その後の俺は、幸と向き合えるようになるのだろうか。


 自分が悪いことをしているかのような感覚。もちろん、幸にそんな意図がないのは分かっている。


 でも、無条件な信頼を向けるには、俺には勇気が足りていない。向き合う覚悟も、ぶつかる意思も。


 「わかんねぇよ」


 俺の呟きは、誰かに届くことはあるのだろうか。


 かっこ悪いから、できれば届かないで欲しい。

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