結末2
僕には彼女がいる。賢くて、可愛くて美人な彼女。
背に届く髪は濡羽色で、艶々としている。青みがかった瞳と白い肌と相まって、すみれ色がとてもよく似合う彼女。
よく頬杖をつき、伏せ目がちになって黙考しているところも一枚の絵画みたいで、彼女がいる空間だけ輝いている。
惚気話ではない。彼女は男子だけでなく女子のファンもいるほど人気で、叶わない恋だと諦めていた。今付き合えているのは彼女が僕を選んでくれたからなのだ。
彼女の彼氏は僕が初めてだったらしい。何したらいいか分からなくて恋人らしいことができないけどいいかと彼女に聞かれたが、僕は全く気にしていない。僕だって恋人は初めてなのだ。
何もできなくても彼女がいるだけで僕は良い。今まで賢くて、家がお金持ちで、話も聞き上手で人気者だから、常にある人だかりの壁を越えられず悔しかった僕だけど、こうして今二人だけで話せている。それだけで十分だ。
彼女は先生や友達に委員長やSNSにあげる写真のモデルなど、頼まれたり誘われたりして忙しいはずなのに、そう全く見えないほどに、毎日放課後は一緒に居てくれる。
そしてある日、彼女は僕に打ち明けた。
「私、何でも願い事は全て叶うの」
だから家はお金持ちだし、自分は美人で頭脳明晰になれたのだと。
僕は純粋に羨ましく思った。
だが、続く彼女の言葉に、僕の考えは浅かったのだと気付かされた。
「賢くて、何でもできるから、小学生の時からいじめが絶えなかった。転校してくれって願ったら翌日に、主犯格の子が転校していじめは止んだけど、行動に出さなくても皆んなが羨んでいたり、妬んだりしているのには気づいている。グループ内でもよく仲間外れの標的にされたし」
横顔の彼女の瞳は、何の感情も映さない。
「そっか……辛かったね、僕は——」
僕はそんなふうに思ってないし、これから君のこと守ってみせる。そう言おうと思った。
だが、彼女の言葉に遮られたのだ。
「何でも叶うって言っても、一つだけこれまで叶わなかったことがあるの。それはね……」
体ごとこちらを向いた彼女は、哀しげに笑った。
「それはね、死ぬことだよ。もう疲れたからって、何度願っても叶わなかった」
僕はぎょっとした。彼女が死にたいだなんて、かけらも気付けなかった。
彼女は言う。
自殺は勇気が出なくて出来なかったし、誰に頼んでも、神様でさえも聞き入れてくれなかったと。
「だけど、今なら叶いそうな気がする。…………君がいるから」
彼女は僕の手を取り、輝く瞳で僕を覗き込む。
「ねぇ……。私を殺してくれる?」
僕に拒否する権利は無かった。緩慢に頷いた。
筆箱の中からカッターナイフを出し、出せるだけ刃を繰り出した。
そして、飛び立つ鳥のように腕を広げた彼女の、その白い首にカッターナイフの刃を滑らせた。
ありったけの力を込めただけあって、瞬時に熱い液体が噴き出した。
ためらいや、自分のした行為への恐怖は一切無かった。不思議と、心が凪いでいた。
彼女がぐらりと傾く。
初めての命を奪う感覚と、咽せ返るほどの鉄臭さに耐えきれず、僕は倒れ込んだ。
どれほどそうしていただろうか。周囲が騒がしいように感じて身を起こした。
点灯する赤ランプ、ぐるりと取り巻く野次馬、制服を着てブルーシートを持つ数人。
制服を着た年配の一人が、僕の腕をきつく掴んだ。
「カッターナイフを離しなさい。君には署まで同行してもらう必要がある。立つんだ」
倒れても離さなかったらしいカッターナイフをもぎ取られる。腕を引っ張って立たされ、ようやく血溜まりに倒れた人物が目に入った。
僕の自慢の彼女。彼女の願いは何人たりとも断ることができない。
そして僕は、彼女の思うまま動く操り人形だ。
夕暮れ時の狭い路地に、乾ききった笑い声が反響した。
空調が壊れ、蒸し暑い取調室ではなく冷房の効いた会議室で少年の取り調べを始めたのは、少年になるべくストレスを与えないための配慮故だった。
机を挟んで二人は向かい合った。
まだ将来のある未成年だ。恐らく一過性の感情をコントロール出来ず犯行に至ったのだろう。反省をして、感情をコントロール出来るようになれば、今後このようなことは起こさないはずだ。
一応動機や被害者との関係を聞こうと思い、警官は口を開いた。
「君とあの少女は、知り合いだったのかな?」
少年は私と会ってからまだ一度も顔を上げていない。ずっと俯いているので、表情が分からない。
「……僕はあの子の彼氏です」
ぼそぼそと、下に向けて発せられた声は遠くまで届かない。
「あの女の子は彼女かぁ。可愛いしさぞかし自慢の彼女だったのだろうね」
褒めたつもりだったが、彼は無言だった。触れてはいけなかったかと誤魔化すように質問する。
「付き合っていた……。喧嘩になって犯行に及んだのかな?」
「理由が、必要なんですか」
こちらには返事があったが硬い声だ。やはり俯いたままである。
「一応理由は把握しなければならなくてね。今答えたくないなら———」
椅子が倒れた。警官の背中が冷えた床に叩きつけられる。瞬時に息が詰まって呼吸が出来なくなった。
「僕が彼女を殺した理由ですか?教えますよ」
それは———。
やっと見えたその顔は嗤っていた。狂気に満ちた目で警官の首を締め上げる。
警官の付けていたネクタイを外し、警官の首に食い込むほどきつく巻いて緩まないよう片結びにする。
遠ざかる意識の中、少年の立ち去る足音と狂気に満ちた笑い声が、警官が最後に聞いた音となった。
———僕は彼女の、願うままに。
少女は歌い、僕らは踊る 蒼鷹 和希 @otakakazuki
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