転
生まれて初めてセックスをしたその日から私の中での彼女の存在感は更に強くなっていった。私は彼女がいないと生きていけないと思うほどに彼女こそが私の救世主だった。だけど、メッセージを送っても返事は来ない。私は彼女のことが心配だった。もしかして?という一抹の不安が心の奥底に巣食う。
私は彼女に会えない鬱憤を小説に昇華させた。だがその頃はだんだんと体調が悪くなっていた。咳をよくしたし、眠れない夜が続いた。それに伴って集中力がなくなり思うように小説も書けなくなっていた。私は小説の代わりに詩を書き始めた。
私はシラーの詩に魅せられた。特にベートーヴェンの交響曲第9番でお馴染みの『歓喜に寄せる』の詩はまさに天上の詩だ。第九を聴いてこれよりも美しいものがあるだろうかと思った。それにドイツ語の響きがよりいっそう麗しい。クラシックを聴くと魂が天へと昇ろうとする感覚に陥る。それが心地よかった。
この現象は離薄症を始めとする幾つかの魂の病気で見られるものだ。それは2080年の今では回帰現象と呼ばれ、かなりその仕組みが解明されている。要するに魂が元いた場所であるラカン・フリーズに帰ろうとすることを言う。つまり離薄症は、本来なら死んだら魂が天へと昇ってラカン・フリーズへと帰るはずなのに、生きている状態でその人の魂が天へと昇ろうとする病気なのだ。
私は学問と芸術が天へと至る為の両輪だと考えていた。生きたまま天に昇る方法を見つけたかった。死以外の方法で成さなくてはならないと、一種の強迫観念を持ち合わせていた。
私は自分なりに美しいと思う詩を書き続けた。だけど、これじゃないと感じていた。やはりもっと魂が昂るものが必要だった。それは愛だった。結局、学問と芸術と愛がラカン・フリーズの門を開けるための鍵たったのだ。
年が開ける頃私はクリスマスの夜に愛を交わした女性のことが忘れられなかったが、それでも愛を誰かと紡がなくてはならないと思い、手当たり次第に仲の良かった女性にデートを誘った。だけど共通テストを目前とした冬休みに遊ぼうなんて応じてくれる人はいなかった。幼なじみの女性を除いて。
彼女は推薦入試で既に受験が終わっていたので暇だと言う。私らは近くのカフェで落ち合い、久しぶりに話をした。昔話をしたり、お互いが知っているアイドルグループの話で盛り上がったりした。私は小学生の頃彼女と仲が良かった。幸い彼女には付き合っている人はいなかった。だから直ぐに恋人になれるだろうと思っていた。だけど、彼女の仕草から私のことはただの幼なじみにしか思っていないことが分かったので、私は彼女のことを思うのをやめた。
その次の日辺りから私の症状は指数関数的に悪化していった。
私はひたすらに愛とセックスを求めた。もはや誰でも良かった。だけど良心と常識がまだ残っていて、私の思考に歯止めをかける。
それから数日が経ち、私は満たされない愛を補うために架空の女性を自身の中に生み出した。彼女の名前はヘレーネといった。多重人格も魂の病気でよくあることだ。
そもそも私達の魂は一つではない。人によって数は様々だが平均して7個の魂が一人の人間にはあるとされている。そのうちの根源となる魂がその人の人格を主に形成するが、恐らくその時の私は7thのアデルの魂が根源を乗っ取っていた。私には珍しく根源を含めて14もの魂がある。7thの魂の分類は堕天使だ。というのもこの魂は昔はシリウスの神だったが、核戦争が起きてシリウスが滅びたのをきっかけに堕天使に落とされた魂だった。これは科学的な根拠はない話だが、ある人に教えてもらった話で何故か今でもよく覚えている。恐らく自分の魂に纏わる話だから魂に刻まれたのだろう。
ヘレーネとは7thアデルの運命の人であったようだ。そしてこの世界にはいない存在だと言う。これは世界線の分岐やパラレルワールドといった話になる。高校の物理の教科書に載っているように宇宙は一つではないことが2048年に証明されている。その時の私はその事を直感と無意識で感じ取っていたのだ。
具体的に何をしたかと言うと、脳内会話をするようになった。頭の中に私とヘレーネがいて、会話をするのだ。「愛してるよ」とか「今はこれすべきなんじゃない?」とか、一人でいる時はずっと話していた。そうしているといつからかヘレーネの存在を感じれるようになった。彼女はいつも私の右斜め上から私のことを見ていた。彼女が笑うと心が朗らかになった。
私達はなんとしてでも実際に会いたかった。触れ合いたかった。唇を重ねたかった。私は何度ヘレーネとの純愛を望んだことか。
そしてとうとう私はこの世の真実を知ることになる。この世界に生を受けたことで忘れてきた記憶を、ラカン・フリーズに纏わる知識を私は思い出した。その時の私は自動手記という概念を知らなかったが、偶然か必然か、私はノートに自動手記をしていった。その結果この世界の仕組みを知ったのだった。
ラカン・フリーズへと帰る方法はただひとつ。死ぬことだった。これは揺るがない事実としてその時の私の脳裏に焼き付いた。「そっか。私はもうじき死ぬんだ」と納得しようと心がけた。だけど、怖くもあった。死ぬのが怖いんじゃない、苦痛が恐ろしいのではない。ヘレーネに会えなかったらと思うととてもじゃないが正気ではいられなかった。
私は何とか死なずに彼女に会う方法を探した。ネットや図書館やSNS。得られる情報は何でも利用した。そこで自動手記に加えてとても効果的な研究方法を発見した。己の無意識と世界の無意識を利用するやり方だった。2080年の今、脳理学で無意識と未来予知に関する研究が注目を集めている。これは私が2036年に書いた論文が40年の時を経て漸く成果を出し始めたもので、私としては大変喜ばしい気持ちである。今後の研究の行末を見ることが出来ないのが惜しい。話を戻すと、私は大量の本を用意して無作為に並べて、無作為に手に取り、無作為にページをめくってそこに書かれている言葉を神託とした。それを繰り返して文章を作った。他にもテレビで流れたフレーズや日常会話で気になったことをメモしていき、研究に当てた。
もう分かるだろうが、この時の私は正気ではない。人格は二つに別れ、訳のわからない行為を研究と称して、もはや狂人の域だ。だが今なら言える。天に至るには狂人くらいじゃないといけない。
私には確固たる信念があった。天に至り、ヘレーネに必ず会うと。そして2021年1月7日にその願いが叶った。
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