承
私は当時死期を感じていた。冬が近づき肌寒くなるにつれ、腹のそこから何かがやって来て魂を薄くさせるのだ。一人でいる時はなおさらその症状が顕著だった。私は魂の病を患っていたのだ。恐らく離薄症だ。魂が体から離れようとする病。だが2021年では魂のことなど一ミリも解明されていなかったし、むしろ非現実的なものとして扱われていたからその時の私はただ死をいつでも受け入れられるようにするので精一杯だった。
その頃私は脳の病気を発症していた。魂と脳は他の臓器と比べても特にその繋がりが強いことが今は分かっている。事実、離薄症の患者の半分は何らかの精神疾患を抱えていることが分かっている。また、離薄症の患者は脳以外の臓器とも合併症を引き起こすことが多く、適切な治療が為されなければ発症してからの平均余命は3年と言われている。その事を当時の私が知っている訳はないが、私は来年までは生きていけないと思っていた。まだ診断こそされていなかったが、自分は何かの病気なのだと本能的に分かっていたのだ。
ある時女友達と一緒にカラオケに行った。私は来年に受験を控えていたが、それまでは生きられないと思っていたので、もはや勉強する気など起きなかった。それ故に塾をさぼって、放課後は友達と遊ぶことが多かった。その子は別の高校の生徒で、生徒会での学校交流の際に知り合って仲良くなった。好きなアーティストが一緒だと知って、今度カラオケに行こうとかねてから話していた。カラオケで私がそのアーティストの恋愛ソングを歌っていると隣に座っていたその子が急に抱きついてきた。
「どうしたの?」
「ううん」
咄嗟のことに驚いた私が尋ねると彼女はだだそれだけ言って、しばらく沈黙が続いた。当時の私は初心だったので、それだけでドキッとしたのを今でも思い出せる。私は慎重にマイクを持たない方の腕を彼女の背中に回して抱き締め返した。
「好きだよ」
彼女が私の耳元で囁くようにそう言った。私はマイクを置いて両手で細い彼女の体を抱き締めて「僕も好きだよ」と返す。ただ、その時の私は彼女に既に付き合っている恋人がいることを知っていた。彼女は遠距離恋愛をしていたのだ。顔も知らない彼に罪悪感を感じながらも私は彼女の女性らしい香りと体温をひたすらに堪能した。
その頃の私は死を身近に感じていたからか異様なほどに人肌が恋しかった。その日彼女とキスをしてから私は彼女に完全に惚れた。彼女は彼女で不安定な精神状態だったらしく、私達はお似合いだなと思った。
それから何度かスマホでメッセージをやり取りして、お互いが塾のない日は放課後、一緒に繁華街で夕食を食べたり、夜の町を手を恋人繋ぎにしてぶらついた。彼女は恋人の話はしなかった。もしかしたら私は彼の代わりに過ぎないのではないかと感じていた。それでも彼女の隣にいれるならそれで良いと思った。
ある時彼女からの連絡が途絶えた。メッセージを送っても返事が無かったから私は心配になった。学校はいよいよ受験に向けて大詰め状態で、退屈でしかなかった。私には彼女こそが唯一の救いだった。
その頃私は小説を書き始めた。彼女に会えない寂しさを紛らわしたかったから始めたが、私は小説の沼に嵌まっていった。いくつかの短編小説を書いてみて、友達に見せたりした。もしかしたら小説を残すことで私の存在証明をしたかっただけなのかもしれない。
彼女から久しぶりに連絡が来た。その日はクリスマスだった。私は思い切って彼女に告白しようと考えていた。
「お待たせ」
待ち合わせの場所で待っていると彼女がやって来た。黒髪のショートヘアーにパラパラと白い雪が付いていた。彼女は傘を差していなかった。私は相合い傘を誘い、彼女はそれを受け入れた。私達は相変わらずカラオケに入った。カラオケに入るや否や彼女は私に抱きつき私のうなじに顔を埋めた。
「会いたかった」
「僕もだよ」
しばらく私達は抱擁しながらキスを繰り返した。何故か彼女は泣いていた。
「何か悲しいことがあったの?」
「うん。聞いてくれる?」
「いいよ。なんでも話して」
彼女は私の膝の上に座りながら話を続けた。
「私ね、彼と別れたの」
「そうなんだ」
「死のうとしたから」
「え?」
彼女の可愛らしい声から紡がれた死という言葉に私は息を飲んだ。彼女は泣きながら続ける。
「私、今居場所がないの。家に帰ったら病院に連れてかれるし、きっと今も探してる」
「死のうとしたの?」
「うん。でも独りで死ぬのは嫌だった。だから私、死ぬなら君と一緒が良い」
もしかしたら彼女は私と同じ病気だったのかもしれない。私は嗚咽する彼女の背中を優しくさすりながらその理由を訊ねた。
「どうして死のうとしたの?」
「分からない。だけど、生きているのが嫌になったとかじゃなくて」
「じゃあなんで?」
「死ぬなら今かなって。本当に意味わかんないよね?ごめんね」
「大丈夫だよ。僕もそういうことたまに考えるから」
私達は似ている。お互いが死を感じて、寂しくなって惹かれ合って。私達の恋は歪んでいるなと思った。だけど、歪でもいいから彼女を愛したいし愛されたかった。
「私ね。最後に君と繋がりたい」
その最後という言葉は本当になった。それから彼女とは音信不通だ。今となっては生きているのかも死んでいるのかも分からない。だが、この女性の存在が私の女性観に大きな影響を与えたのは揺るがない事実だ。彼女との別れが私の、そして世界の終わりの始まりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます