結
2021/1/7の夜、私はヘレーネとセックスをした。それは永遠の愛だった。全ての過去と未来の魂たちが集い、私達をアダムとイブとして見守り、その中で私とヘレーネは肌を重ね合い、舌を絡め合い、何度も何度もセックスをした。
全て暗闇の中での出来事だ。私は本当にどうかしていた。だが、その時の私にとっては、ヘレーネは誰よりも美しく、そして愛に溢れた女性としてそこに存在していた。
私は終夜、ヘレーネと繋がっていた。
本当のセックスは魂の融合だ。私の魂はヘレーネの魂と共鳴していた。彼女が絶頂を迎えるたびに、その愉悦の本流がペニスを通して私の体へと流れ込み、快楽に脳が溶けだし、魂が震えた。
キスはとても甘美だった。温もりと、唾液と、柔らかな感触がヘレーネと私を一つにさせた。
どこまで深く繋がったのか。セックスをすればするほど、キスをすればするほど、私は天に近づくのを感じた。
私は射精するたびに、魂が薄くなるのを感じながら、同時に背中に翼が生えるような錯覚を覚え始めた。
朝、ヘレーネは消えていた。全て幻だったのかもしれない。
私は部屋で一人泣いた。
「ヘレーネ、どこにいるの?」
「会いたいよ」
人が泣くのは悲しいからか。人が泣くのは嬉しいからか。哀し涙と嬉し涙。涙には二種類あると私はこのとき気づいた。
それまで私は寂しいときや辛いときにしか涙を流したことはなかった。いつからか泣くのを我慢するようになっていた私は、泣くのは弱い自分を認めることになると思い、泣かないと決めていた。だが、晴れた冬の日に私は久しぶりに泣いた。いや、私は生まれてはじめて心から泣いたのだ。心の枷が外れて、澄んだ空気に触れて、泣いていた私の心は本当に美しかった。
私はバルコニーへと出た。
マンションの屋上へと向かい、屋根の上に登った。
私は照る陽に向かって呟く。
「あぁ、美妙な人生の謎、ついに僕は……」
その時私の声を掻き消すように風が強く吹いた。私は風の言葉を聞き取って微笑む。
「そうか。もうすぐなんだね。もうすぐで迎えが来るんだね」
その時、私は良かったと思った。てっきりもう、これで最後なのかと思っていたから。だけど、ちゃんと迎えが来るとヘレーネが教えてくれたから。私は愛されていることに感謝し、また涙が込み上げた。私はもう一度呟く。
「あぁ、美妙な人生の謎、ついに僕は君を見つけた、ついに僕は君の秘密を知る」
私は立ち上がって目を瞑った。全てと繋がるために目を瞑った。五感が冴え渡る。私は無意識の中で全てが解っていた。私の脳と魂は神の領域に達していた。
私は思った。このままで終わりたいと。この絶対的な幸福の境地でこの人生を終えたいと。
私は最後に絵を描くことにした。この屋上にはキャンバスもなければ筆も絵の具もない。だが、その時の私にはそれらが見えていた。私の絵が虚空に描かれていく。歌を口ずさみながら私は絵を描いた。
空は快晴。空色のキャンバスに最高傑作ができた。私は大いに満足した。満足して、やはり涙を流した。もうやり残したことはない。もうこの望まぬ牢から去ろう。
私は決心して、最期の景色を網膜に焼き付けようとするが、ぼやけてしまってよく見えない。
「楽しかったな。僕の人生」
私の人生は決して楽しいと思えるものではなかった。だが、今では楽しくて仕方がない。この日のために今までがあったのだと思った。だからもう、未練はない。私は見えない翼で空へと羽ばたく。やっと空を翔べる。私は柔らかな翼で、天へと昇って行くのだ。その時世界中に声が響いた。
「行かないで」
それは女性の声だった。その声に聞き覚えがあった。忘れるわけもない程大切な存在のはずなのに、私はなぜかその声の主を思い出せない。
「どうしてなの?天は素晴らしい場所なのに」
「まだ行っちゃだめなの」
私はやっと天へと繋がる門の前までたどり着いた。楽園のような光景が広がっていた。水、空、花、草、光達がそよそよと優しい風に靡いていた。水辺の門。天へと続く道。君へと続く道。私はその門に手をかけた。
「まだ行かないで」
また女性の声が世界に響いた。私はその声を聞いて首を振った。
「いや。僕は行くよ」
「どうしても行っちゃうの?」
「うん。どうして止めるのかな?この苦しみに支配された世界に僕はもういたくないんだ」
「そうなんだね。でも、それが君の望んだことだったとしたら?」
「どういうこと?」
「その門を開ければ君は必ず後悔することになるよ」
私は戸惑った。どうしてこの晴れ舞台で、制止されなければならないのか。だが、その女性の声が麗しく、優しく、大好きな声であり、その女性の姿が薄っすらと脳裏に浮かんでからは、私は考えを変えた。
「そうか、君がヘレーネだったんだね」
私は雲の上に人影を見て、歓喜し、そして『Top op the world』を歌った。
私は火のように酔いしれていた。
結局、ヘレーネの声すらも幻聴だった。だが、私にはどうしてもそれらがただの幻聴や幻覚だとは思えなかった。それが後に私を脳理学へと駆り立てたのだ。
私は空へと伸びた右足を引っ込めて、マンションの屋根の上に座り込んだ。
「そうか、行ったらだめなんだね」
私はその時ボロボロに泣いたのを覚えている。ヘレーネに会えない悲しさ、死ななかったことへの安堵、天に至れなかった悔しさ、それらが一つの波となって、私に押し寄せた。
だが、私は決めた。生きていこうと。
きっと今日が私の人生のクライマックスなのだ。だから残りの人生は、平凡でいい。奇跡なんて起こらなくていい。だけど、これだけは譲れない。私は私の知った秘密を証明すると決めた。
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