第2話 里緒奈さんと三人の友達


 帰宅して夕ご飯も食べて宿題も済んだ僕は、里緒菜さんから渡されたコミックを読み始めた。

 一組の若い男女カップル(女性の方が少しだけ年上のようだ)が、ふつうの性生活から徐々に逸脱していく。

 女性が攻め役で男の子が受けの立場。

 18禁じゃないと言うけど、かなりエッチなシーンが多い。

 あまり漫画読まない僕は、青小年向け漫画でここまで表現していいというのは意外だった。


 その物語は、僕のそれまでの価値観が大きく揺るがされる物語だった。

 男は男らしくなんて、過ぎ去った昭和時代のノスタルジックな価値観かもしれないけど、子供の頃から僕は父親にそんな風にしつけられていた。


 女の子には優しく、そしてどんなときも守ってやるのが男だとずっと思ってきたのだ。

 そんな思想を持つには、僕の外見はやや不似合いかもしれないとは思ってたけど、それでも160センチに少し足りない低身長をカバーするために靴底の厚めの靴を履いたり、髪の毛も短めにしたりと、それなりに努力していたのだった。



 里緒菜さんは、やっぱり僕のことをよくわかっていないのだろう。

 まだ初対面から一週間しかたってないからそれは仕方ないことだけど。


 外見通りの優柔不断な、このコミックの男の子みたいに、女性に縛られて責められることを喜ぶ男だと思われたのだ。きっと。


 僕はそうじゃない。

 女の子をリードして、かわいがって気持ちよくするのが僕の務めだし、願いなのだ。


 そのコミックを読んでの僕の感想、それはこんなんじゃ男はダメだってことだった。

 そして、僕は里緒菜さんにそう言ってやると決心したのだった。



 次のバイトのシフトは、三日後の土曜日だった。

 水曜日は午後六時から二時間だったけど、今日は午後二時からだから六時間。


 里緒菜さんと一緒に仕事ができるのが嬉しくて、バーガーショップ-タチバナと看板のかかった扉を開く時つい口笛拭いてしまった。


 客の高校生がチラ見してくる。一つ咳込んで僕は店の奥に入った。

 奥の控室で店の制服(ワイシャツに黒いスラックス)に着替えていると、里緒菜さんが扉から顔をのぞかせてくすくす笑った。


「随分機嫌がいいね。もしかしてあの漫画気に入ったかな?」

 僕は急いで黒いスラックスのチャックをあげて返事をする。


「いや、そういうわけじゃないですけど……」

 着替えてるのに入らないでくださいよという言葉は呑み込んだ。


 里緒菜さんにとって、僕は異性と見られていないのかもしれない。

 弟みたいな感じとか。

 実際のところ、身長も160センチ満たない僕より高そうだ。


 並ぶと目線が僕より少し上に来るし。靴のかかとの分があるからはっきりしないけど。

 でも、弟みたいならそれでいいような気がしたのだ、今は。


 大学生の彼女にとって、高1の僕は確かにまだ子供に見えるだろう。

 なんせ去年まで中坊だったんだし。


 でも、僕が大人になれば、四歳の年の差なんて交際とか結婚とかの障害になることもないはずだ。

 20と16の差は大きくても、24と20の差はかなり縮まる。

 これから先、僕が立派な大人の男になればいいだけだ。



「はいこれ、二番テーブルに」

 店長がカウンターに置いたトレイを持って、僕は店内を動き回る。

 単純な労働は勉強で疲れた頭にはいい気分転換だった。


「君、新しいバイトの子? かわいいね。でも、中学生じゃないよね」

 里緒菜さんと同じくらいの年齢の女子三人グループが二番テーブルだった。


 僕は返事はせずに、軽く会釈だけしてテーブルを離れる。


 離れ際、その女性が僕のお尻を撫でてきた。

 あっと声が漏れる。


「キャッ声もかわいいね」

 すぐにグループのほかの二人がくすくす笑い出した。


「ちょっと。うちのかわいい新人君にセクハラしないでくれますか!」

 里緒菜さんの声だ。

 怒った声とは裏腹に顔は笑顔だった。知り合いみたいだ。



「こっちが田中沙織、こっちが向井理沙、そしてこちらが遠藤佳代、みんなあたしの同期なんだ。同じ文学クラブで小説書いてるの」

 他の客が居なくなったころ合いを見て、里緒菜さんが三人を紹介してくれた。


 田中さんはロングヘアで色白、眉毛が濃ゆめ。向井さんは文学クラブというのが、間違いじゃないのと思うくらいのガタイの良さ。多分高校の時は運動部だったのだろう。座った状態でも、かなり背が高いのがわかった。

 僕より10センチは高そうだ。


 そして遠藤さんはショートカットでハーフパンツのボーイッシュな感じだった。

 こちらは背丈は同じくらいかな。


 なんだか僕は身長にコンプレックスがあるんだろう、初対面の女性に対して、まずその身長に目が行ってしまう。

 そして自分より背の高い女性には、それだけで負けたって気になってしまうのだ。

 こんなこと気にしても仕方ないのに。


「ところで、こないだのマンガ読んでどうだった?」

 里緒菜さんが、僕をテーブルの席につかせて聞いてきた。

 三人の友人たちも、興味深げな顔を向けている。


「あたしたちも聞きたいな。あのマンガの感想」

 田中さんがそう言うところを見ると、三人の友人も事情が分かってるようだ。


「ええと、感想ですけど、僕はあんなふうな男女関係っていやです。やっぱり男は女の子をリードしなきゃだめですよ。男は男らしく、女の子はかわいいのが一番です」

 ずっと胸につかえていた事を言えてすっきりした。


「いいねえいいねえ。やっぱ男の子はそうでなくちゃ」

 向井さんが嬉しそうに言った。

 ちょっと意外だった。


 あんなマンガ読ませるくらいだから、そして、里緒菜さんと言えばあんな小説書きたいと言ってたし、てっきりこの人たちは女性上位の、マンガみたいな関係が好きなのだと思っていたのだ。


 里緒菜さんを見ると、やはり満足そうに微笑んでくれた。


「ミチル君なら多分そう答えるだろうと思ってたんだ。あんな男はダメだってね。じゃあさ、自分ならあんな風にならないって自信があるわけだよね」

 里緒菜さんの言葉は少し挑発的だった。


「どういう意味ですか?」


「つまり、マンガみたいに責められても自分を見失わない自信があるんだよね」

 なんだか話が変な方向に向かってるように思われた。

 でも、そう言われるとこう答えるしかないじゃないか。


「もちろん、僕はやわな男じゃないですから。見た目と違って」

 僕の答えは四人の女子大生にとって最高の答えだったのかもしれない。

 四人ともすごく嬉しそうにしていた。


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