第42話 あしたのあしたのあしたのその先

 真名子先生なら必ず、わかるように、心からそうなんだと思えるように説明してくれる。だから、聞いてみた。


「どうして野良猫にエサをあげちゃダメなんですか? エサを散らかしたりするのがよくないっていうのはわかるけど、ちゃんと片付ければ? 猫が増えすぎないように子どもが生まれない手術する保護団体もあるし。野良猫にエサはダメって決めつけるのは間違ってると思う。先生は、力のある者が、ない者を助けるのは当たり前だって言いました」

 絵里奈は真名子先生の目をまっすぐに見てたずねた。


 これまでも、正しいと思うこと、間違っていると思うことは、ハッキリと主張してきた。先生にも。クラスメイトにも。

 ちゃんとこたえてくれた人はいままでいなかった。

 はぐらかされたり、逆ギレされたり、ムシされたり。

 正しいことをしているのに、どうして? っていつも思ってた。

 自分の考えを押しつけているつもりはない。自分が間違ってるって分かったら、ちゃんと直す。だから、わがままとは違う。

 正しいことを、きちんと主張したいだけ。それがみんなの幸せにつながる、真名子先生の言う、最高の未来につながると信じられるから。

 真名子先生が認めてくれるから。

 このサバイバル教室では、堂々と言える。


 真名子先生は、静かにうなずいた。

「うん。おまえの言いたいことはよくわかる。野良猫を一匹でも助けたい、うえて苦しんでる猫を救いたいって思ってるんだよな。その理想と願いは間違ってない。だが」

 続く先生の言葉は、予想外だった。

「その理想を実現するための方法が間違ってる」

「え、どうして?」

 先生は黒板を指さした。あした、あした、あした……未来、と書かれた黒板。

「さっきは今が大事、と言った。今度は逆だ。真剣に未来と向き合え。今することが、自分の未来をどう変えていくのか、全力で想像してみるんだ」


 先生は、両手でなにかを抱えるようなしぐさをした。

「ここに1匹のやせこけた野良猫がいる。かわいそうと思ってエサをあげる」

 ごはんをあげる動作も。

「あげるほうは気まぐれでも、もらうほうにとっては天のめぐみだ。そりゃうれしいさ。だから、またもらいにやってくる。どうする? おまえのエサを必要としている猫をほっとくのか?」

「またエサをあげる」

 答えた絵里奈に、先生はすぐにまた問いかけた。

「次の日も?」

「次の日も」

 絵里奈の答に、先生はうなずいた。

「おまえを頼ってくるんだ。ムシできないよな。そうしてエサをやりつづけると、猫は元気になる。ほかの猫もやってくるぞ、どうする?」

「エサをあげる」

「そうだ。そうするとみんな元気になって子猫を産むぞ。野良猫がどんどん増える。そいつらは野良猫としては生きていけない、おまえのエサに頼らないと生きられない猫たちだ。猫たちは、おまえの手の届かないところでゴミ箱をあらし、車にひかれ、どこかの軒下で子どもを産んで、保健所にもちこまれる」

「そんな」


「それがおまえがすることの未来だ」

 先生は冷たく言いはなった。

 絵里奈は必死に考えた。

「そんなふうにならないように……」

「一匹だけにしとくか? ほかの猫ちゃんには内緒にしてね、ってえこひいきするか?」

 先生の言葉が深くつきささった。自分がしようとしていたことは……。


 先生の表情がやわらかくなった。

「さっきおまえが言ってたように、子猫が産まれすぎないように地域猫活動をしている人たちもいる。だけど費用集めや、地域の人に了解を得るための活動は、簡単じゃない。理想と願いをかなえるのは簡単じゃないんだよ。信念をつらぬく強さがいる。おまえは、今、猫がかわいそうということしか考えていなかったんだろう。猫のずっと未来まで考えたか?」

 絵里奈は歯をかみしめた。

「あたしにはやっぱり、まだ力が足りないっていうことですよね」


 先生の話はショックだった。だけど、先生の言う通りだった。目がうるんできた。悲しいのじゃなく、くやしかった。自分が。力のない自分が。

 だから、先生のつぎの言葉に、とどめをさされたような気がした。

「おまえは、サバイバル教室の先生になりたいんだよな。イジメられていた子、不登校の子を助けてあげたいんだな。だったら、通りすがりに野良猫にエサをやるようなことはするな。同情するな。気分に流されるな」


 前の日のお昼に、大牙にお弁当をわけてあげようとして、拒否されたことを思いだした。

「同情してません! 通りすがりじゃありません!」

 絵里奈のさけびに、真名子先生がこたえた。

「おまえもおれも、このクラスのみんなも、同じ人間だ! イジメられていた子も不登校の子も、かわいそうな子じゃない。おまえもいいかげん、かわいそうな子は卒業しろ! みんな全力で生きてるんだ。適当な気持ちで関わるな。中卒で手伝う? 冗談やめて、家帰ってクソして寝ろ!」

「いやです!」

 絵里奈も言い返した。


「学校に行っていない不登校のみんなのお世話なら、中卒でもできるってか?」

 今度こそ、言葉を返せなかった。

 自分自身、気づいていなかった、心の甘さを、見せつけられた。

 ショックだった。

 先生が黒板に『教員資格』と書いた。

「最低限、教員資格! 本当に本気で不登校の子どもたちと関わりたいなら、児童心理学と福祉と教育をしっかり学んで出直してこい!」

「本気です! あたし、本当に本気です!」

 絵里奈は真名子先生をじっと見返した。

「あたし、本当にサバイバル教室の先生になりたいんです!」

 先生の目に負けるもんか、って思った。目をそらしたら負けだと思った。

「今のあたしにはムリだってこと、みとめます。だけど、未来まで決めつけないで!」


 先生の表情がふっとやわらかくなった。

「うん。おれに反対されて止めるんだったら、そのくらいの気持ちしかなかったってことだからな」

「じゃあ……」

 先生は首をふった。

「どうしてもなりたいなら、その未来を叶えるために、今、何をすればいいのか、今、自分に何ができるのか、考えてみろ。頭からゆげが出るくらい考えるんだぞ! サバイバル教室が終わる日までの宿題だ!」


 先生はみんなに向き直った。

「みんなもそれぞれ考えてみて欲しい。将来やりたいことが決まってない者もだ。今ひとつに決める必要はない。これからどんどん変わっていっていい。だけど、考えつづけるんだ。いつもいつでもいつまでもだ」


 先生が指先を前に向けた。

「今日の先に明日があり、その先に未来がある。とりあえず、来週には、文化センターでの合宿があるからな!」

 合宿という言葉に、みんな、顔をかがやかせた。

 合宿が決まってから、すこしずつ準備をすすめてきた。夕食の献立や買い物当番を決めて、食器やパジャマや、持ってくるものをみんなで相談して考えながら、だんだんと気持ちが高まっていった。


 ところが。その合宿直前に大変なことがおきた。

 爆破予告状が届いたのだ。

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