第41話 野良猫にエサをあげてはいけない

 その日、絵里奈はネットニュースで見つけた、教室でカイコを育てている学校の記事をプリントして持っていった。宿題の調べ物をしていて見つけたのだ。

 プリントをみんなに見せると、虫好きのオサミさんが、目をキラキラさせながら体を乗り出した。

 真名子先生があわてて

「クワの葉を毎日手に入れるのは簡単じゃないからな」

 オサミさんが暴走しないようにとクギをさした。


 ここまではあらかじめ想定内だ。絵里奈は、真名子先生に問いかけた。

「カイコじゃなくてもいいと思うの。たとえば猫とか? 二年前のサバイバル教室では、みんなでハムスターを飼ってたんでしょ? サバイバル教室の紹介記事で見たもの」

 先生が目を見開いた。

「よく知ってるな。うん。夏休みのあとは、おれがひきとって、最後まで面倒みたよ。絵里奈、おまえは」

 途中で、礼王くんがわりこんできた。

「マナコ! 文化センターの近くに猫いるよ!」


 礼王くんに向き直った先生は目尻を下げた。

「めちゃくちゃ、かわいいよな。駅のとなりのビルにもいるぞ。なにしろ、おれはかわいい猫写真を撮る会の会長だからな」

 こないだのジョギングのときも、真名子先生は猫を見かけて、携帯で写真を撮っていた。そのときのとろけそうな顔を思いだして、絵里奈はぷっとふきだした。

「明日、猫ちゃんのエサ、買ってくる!」

 すると真名子先生は真顔で首をふった。

「いや、エサはあげない。おれの猫じゃないからな」

 喜ぶと思ったのに、意外だった。

「別に誰の猫だって、ご飯あげてもいいと思うけど」


 真名子先生は、絵里奈に向き合った。

「あのな。ご飯をあげるってことは、その猫の一生に責任を持つってことだ。猫も、ハムちゃんも、そうだ」

「生き物をかうなら、一生に責任を持てってこと?」

 先生は大きくうなずいた。

「ああそうだ。一生世話できないなら、野良猫にもエサをあげちゃだめだ」

 礼王くんが手をあげた。

「おれ、一生世話する!」

「バカ、簡単に言うな」

 大牙くんがたしなめた。


 先生がうなずく。

「大牙の言うとおりだ。生きものを飼うのは簡単じゃないぞ。動物も人間も、生きるのは、簡単じゃない。だからこそ、生き物を育てることで、生きる力が高まるんだよ」

「じゃあ……植物ならどう? タネをまいて育てたら」

「そうだな! それはいいな。明日の授業では秋まきの植物を調べよう」

「植物図鑑持ってくる!」

「絵里奈。最近、すごく熱心だな」

 やっぱり、真名子先生はちゃんと見ていてくれた。絵里奈は大きくうなずいた。


「先生、あたし決めたの。あたし、サバイバル教室の先生になりたい!」

 真名子先生が大きく目を見開いた。

「マジでか。この教室の?」

「はい!」

 先生が、笑いながらこたえた。

「それじゃ、あと十年は続けなくちゃならないなあ。絵里奈が大学卒業するまで」

 絵里奈は口をとがらせた。

「中卒だったらあと3年だし」


 真名子先生がふっと真顔になった。

 先生のまっすぐな目でじっと見つめられると、心の奥底まで見られてしまうような気がする。

「おまえ、夏休み終わっても学校に戻らないつもりか?」

 やっぱり見抜かれている。

 絵里奈は、顔をそむけた。

「だってあたし。ここでみんなのお世話しなくちゃ」


 真名子先生が、イスから静かに立ち上がった。

 みんなのことをぐるりと見まわす。

「今日の午後は、将来を考える作戦にしよう」

 授業の内容が変更になるのはよくあることだったので、みんな、「はーい」と言いながら、それぞれの席に着いた。


 教壇に立った先生は、絵里奈を指さした。

「じゃあ、絵里奈。将来なりたいものは、サバイバル教室の先生。でいいんだな」

「はい!」

 先生は他の子たちにも順番に聞いていった。

 タケシくんは、しばらくまよってから、わからないと答えた。

 桃太くんも、笑さんも。

 礼王くんは大きな声で電車の運転手と答えた。

 オサミさんは、昆虫の研究者と即答した。

 大牙くんは、なれるかわからないけれどとことわってから、政治家とこたえた。


 先生は、みんなの答を、黒板に書いた。

 そしてまたみんなと向き合った。

「なりたいものがある子も、まだ分からない子もいる。おまえらはまだ小学生だ。なりたいものがわからなくていい」

 となりの席で、桃太くんが、ほっと息をついた。

「なんとなくあるけど、まだ言えないっていう子もいるだろう。それもいい」

 前の席のタケシくんがもぞもぞとすわりなおした。


 先生は、黒板に向かって、『今日』と書いた。

 その左に、『あした』と書いた。

 そのまた左にも、『あした』、また左に『あした』『あした』『あした』………黒板いっぱいにくりかえす。

 そしてチョークを持ったまま、ふりむいた。

「あしたのあしたのあしたの、そのまたずっーっとあしたのそのさきに」

 またチョークで一番左に、『未来』と書いた。

「おまえらの未来がある!」


 先生は、両手を大きく広げた。

「未来はとてつもなく遠く思えるだろう。だけど、未来は、あしたの延長線上だ。あしたのその先に未来がある。そして、そのあしたを作るのは、今日、今だ!」

 先生が、指を前に指しだした。

「中途半端に生きるな。適当に流すな。生半可な気持ちで関わるな! 今を、真剣に生きろ! 真剣な今日は、真剣なあしたにつながり、真剣なあしたは絶対に、最高の未来につながってる!」

 教室の緊張感が高まる。


 先生は、両手を前に出して、ぶらぶらさせた。それから体の力をくにゃっと抜いて見せた。

「24時間真剣でいろ、なんて言ってないぞ。力を抜くときは抜け!」

 ふわっと空気がなごんだ。

 先生が絵里奈に目を向けた。

「さっき、野良猫にエサをあげちゃいけないって話をしたよな」

 絵里奈はうなずいた。本心からは納得できていないことも、先生にはお見通しだったみたいだ。

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