第16話 瑠子がいる場所は
電話の向こうで、ハッとする気配がした。
大丈夫。瑠子とぼくは、この電話でつながっている。ぼくはゆっくり歩き始めた。
「ぼくが小学校の先生に嫌がらせされてたって話をしたけど、最初ターゲットだったのは、同じクラスの黒田優斗君っていう子だったんだ」
そこまで早口で言ってから、耳をすませた。瑠子が聞いてくれているのを確認してから話を続けた。
「優斗君はおとなしくて声が小さくて、話すのも行動もゆっくりで、でも担任の荒引先生に、早く早くって言われて給食のトレイを落っことしちゃったこともあった。そのときもぼくは、片付けを手伝ったし、教科書を忘れたときは貸してあげたり、いつも優斗君のこと助けてあげてたんだけど」
言いながら、見苦しい言い訳になっていることに気づいて、うわっと叫びそうになった。お腹に力を入れて、携帯を耳に押し当てたまま、歩く。
「五年生の最後の、六年生を送る会の縦笛練習のとき。みんなが何度も何度も間違えるから、荒引先生の顔がだんだん引きつっていった。次に間違えたら、間違えた人を一生許しませんって。そのときぼくは」
歩きながら、足がもつれそうになった。
「ピーって変な音を出しちゃったんだ。先生が誰が間違えたの! ってどなりながら、優斗君をにらみつけた」
口がカラカラにかわいていた。
あのときの荒引先生の鬼のような形相。
今思い出しても、ゾッとする。
怖かった。ただただ、怖かった。
「何も言えなかった。間違えたのはぼくだったのに。荒引先生は、優斗君が間違えたと思ったんだ。優斗君は小さな声で『違います』って言ったけど、先生には聞こえなかった。優斗君を、ひどい言葉でどなりつけて。それを聞きながら、ぼくは何もできなかった。何も言えなかった。怖くて優斗君の顔を見ることもできなかった。友達だったのに、ぼくは優斗君を裏切ったんだ」
言ってしまった。瑠子に。誰にも言わずに、一生隠しておくつもりだったのに。
「次の日から、優斗君は学校に来なくなった。謝ることもできないまま……ううん、謝ろうと思えばできた。優斗君の家に行けばよかったんだから。でもそれができないまま。そしてぼくが荒引先生のターゲットになった」
『光太郎君が?』
「うん。もともと、よく思われてなかったんだ。優斗君がいたときは、目立たなかったのかな」
そのとき初めて気づいた。
「そうか、優斗君がぼくのことを守ってくれてたんだ。ぼくは、優斗君に助けられてたんだ」
急に何かがこみあげてきた。
「あやまることもできないまま、先月、優斗君は引越しちゃったんだ。それを聞いてぼくは、もう、お腹が煮えくり返るくらい腹が立って、ムカついて、そうだよ、自分自身が許せなくて、飛び降りようと思ったんだ」
電話しながら、小走りで道を急ぐ。
「瑠子さんが電話してきてくれてよかった。本当によかった。ぼくが飛び降りようとしたときは、誰にも言えなかった。でもね、ぼくが屋上の柵に手をかけたとき、声をかけてきた人がいたんだよ。誰だと思う?」
『もしかして、真名子先生?』
「そう。そのとき初めて会ったんだけど、誰? って思ったよ。あのいつもの緑のジャージを着てて。ぼくのことなんか何にも知らないくせにいきなり、きみはイジメ救助隊員になれるって」
そのときの先生の顔が思い浮かんだ。真面目なのかふざけてるのか分からないような、でもやけに熱くて力強い、先生の言葉が、胸にすっと入ってきたんだった。
「先生は、ぼくに何も聞かなかった。聞かれたってぼくはきっと何も言えなかったと思う。だから瑠子さんも、話したくなかったら話さなくていいんだ。でも」
瑠子を止めるためなら、どんなにカッコ悪くてもいい。卑怯と思われてもいい。
「ぼくの話を聞いてくれて、うれしかった。ありがとう」
話しながら、ほとんど走っていた。
「瑠子さん。ぼくは……瑠子さん、に、生きてて、ほしい」
息が切れる。ちょっと走っただけなのに。
やっぱり体をきたえなくちゃ、人を助けることなんてできないんだ。明日からは筋トレをちゃんと真面目にやろう。先生みたいにムキムキになるのはムリでも、せめて、友達が必要としてくれたときに走って、かけつけられるように。
間に合うように。
『光太郎君。ごめん、ごめんなさい』
電話の向こうで瑠子は泣いていた。こらえきれなくなった気持ちがこぼれるように、瑠子は声をあげて泣いていた。
「なんで、瑠子さんが、あや、まる、んだ、よ」
『違うの。あたしなの。本当にズルくて卑怯なのは、あたしのほうなの。あたし、みんなにウソついてるの!』
図書館の建物が見えてきた。
「ぼく、も、ウソをついて、たよ」
息が苦しい。
青信号だ。今のうちに。
力をふりしぼって、走る。
もうしゃべるのもつらい。
「ぼくは、ウソつきの上に、弱虫の卑怯者だ。今日、詩季さんに言われて動揺したよ。こわかった、んだ、よ。卑怯者、っておも、われ、るの、が。ひどい、だろ?」
図書館の扉の前で、ぼくは大きく肩を上下させた。
「瑠子さん、待ってて」
携帯をポケットにしまって、図書館の建物の中に入る。受付の横を小走りに通り抜けて、奥の階段を上がる。
2段飛ばしで。走り続けて、もう息が続かない。
屋上のドアを開ける。
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