第17話 カッコ悪くてもいい

 きっとそこに……いた!

「瑠子さん!」


 屋上の柵をつかんで立っていた瑠子が、ふりむいた。

「光太郎君! どうしてここが?」

「言ってたから! 学校に行けなきゃ図書館に行けばいいって。ぼくなんだ。ぼくも図書館に通ってた。ぼくが飛び降りようとしたのも、ここなんだ!」

 肩でぜいぜい息をしながら、叫んだ。


 瑠子はくずれるようにして、その場に座りこんだ。

 ぼくは、そっと近寄って、そして、そのとなりに座った。

 柵を背にして。

 足を投げ出して。

 ぼくと瑠子は並んで座っていた。


 プランターから伸びた緑の葉っぱは、いつのまにか壁一面をおおうほど大きく広く育っている。緑色のゴーヤーの実がなっているのが見えた。

 ぶんぶんとハチが飛んでいる。

 ふたりの影が、目の前に長く伸びている。

 どこかでセミが鳴いている。

 瑠子の中で、はげしい嵐みたいな何かがうずまいているのが伝わってくる。


「あたし、ずっとウソついてた」

 ぼくはだまって、瑠子の次の言葉を待った。

「サバイバル教室で困っている人を助けたいって言ったけど、困っている人は自業自得とも思ってるの。努力が足りなかったんだって。あたしもそう言われたから」

「何で? 誰に?」

 本当にびっくりした。いつだって誰よりも努力している瑠子に、そんなことを言うなんて。

 瑠子はうつむいたまま「親」とつぶやいた。

「あたしが泣いてるときも、落ちこんでるときも、お前の努力が足りないんだって。がんばってるのに。あたしだって、あたしなりに努力してきたのに」

 瑠子の横顔がふるえていた。


 いつも真面目な努力家で、みんなのリーダーだった瑠子が、小さな子どもみたいに、ふるえてる。こんな瑠子を初めて見た。

「瑠子さんががんばってるの、知ってるよ」

 そんなことしか言えない自分がなさけない。

「あとね、将来なりたいもの、病理医って言ったでしょ」

「うん」

「それもウソ。光太郎君に、親が医者なのって聞かれて、ドキッとした」

「あ、あれ、本当にゴメン」

「ううん、違うの。図星だったの。病理医になったらいいって言ったのはうちの親。患者に対応することなんてできないだろうから、病理医ならなれるだろうって。ひどくない? 病理医に対しても失礼よね。でもあたしは、本当はあたしは病理医も医者もなりたくないの。本当は」

 瑠子が言おうかどうしようかためらっているのを感じた。

「どんな話も聞くよ。聞かせて」

 瑠子がふうっとためいきをついた。

「あたし、この世から消えたいの。消えてなくなりたいの」


 瑠子の頬からひとすじ涙が流れた。

「ずっと思ってた。自分なんて、いらない子だって思ってた。いくらがんばっても、いくらいい子にしても、みとめてもらえなくて、お父さんとはもうずっと話してないし、お母さんとはケンカばかり。あたしなんていなければいいってずっと思ってたの」

「イジメサバイバル教室に来てからも?」

 瑠子と目が合った。

「みんなの役に立てる活動をして、あたしでも役に立てるってことを証明したいと思ったの」

「できたよ。証明したよ。掲示板で、あんなにたくさんの子たちを、はげましてきたじゃないか」

 瑠子がはげしく首をふる。

 大きく見開かれた瞳にみるみる涙がたまっていく。


「イジメ救助隊の活動が始まってから、どんどん苦しくなったの。だって、救助活動をしてる正義の青レンジャーは、世の中に必要ないって言われてる最低の人間なのよ。青レンジャーとして正しいことを言おうとするほど、自分がどんどんウソつきになって、いつかバレるって思いながら、毎日怖くて」

 聞きながら思った。ぼくも同じだった。

「……とうとうバレちゃった。掲示板の向こうの誰かに。ズルい卑怯者だって言われちゃった」

「瑠子さんのことを言ったんじゃないよ。詩季さんも言ってたし」

 瑠子が顔をゆがめた。

「許されないよ」

「誰が? 誰が誰を許さないの?」

「みんなが……あたしを」

「みんなって誰さ」

「掲示板を見てくれてる人。こんなあたしが、イジメ救助隊員だなんて。人助けだなんて。恥ずかしくて、いたたまれなくて、飛び降りるしかないって思ったの」

「瑠子さんも、ぼくのことを、友達を裏切ったぼくを、許さない?」

「許すも許さないも、あたしが決めることじゃない。……分からない。自分で自分が許せないのかも」


 瑠子の気持ちが痛いほど分かる。友達を見捨てた自分が、人助けをしている、その矛盾が、どんどん広がっていって、自分がふたつに引きさかれるような気持ちになったからだ。

 自分の問題なんだ。

 真名子先生なら何て言うだろう?

 瑠子に。ぼくに。

 カッコよく強く、とりつくろった表の皮がはがれて、ウソつきで臆病で弱い自分を許せないでいる自分に。

 大きなため息がもれた。


「ぼくは、ヒーローになりたかったんだ。弱い者を助ける強いヒーローになるのが、夢だった。でも今のぼくは、ヒーローの真逆で、カッコ悪いよね」

 なんだか、笑えてきた。するととなりで、瑠子が、ずずっと、鼻水をすすった。

「ううん。光太郎君はカッコいいよ。サバイバル教室に初めてきた日、ホットケーキを焼いたでしょ。あのとき、美遊ちゃんが卵落としちゃったよね」

「ああ、そうだったね」

「あのとき、あたし美遊ちゃんを責めてしまうところだった。失敗しちゃいけないって、ずっと思ってたから、でも光太郎君は責めなかった」

「ぼくは、人を責められるような人間じゃないから」

「違う。光太郎君は」


 お互い顔を見合わせた。瑠子の目が赤くはれている。いつもの冷静で頼りがいのある青レンジャーじゃない瑠子が、ずっとずっと近く感じた。

「ぼくも、真名子先生みたいにカッコよくなれたらって思ってる」

 瑠子がふっと笑った。

「ええ? 真名子先生、微妙にカッコ悪くない?」

「そんなことないよ。真名子先生はカッコいいよ」

「だってあの緑ジャージ!」

 緑ジャージは詩季だけでなく、瑠子にも不評だったのだ。ぼくは先生の名誉のために弁解しておいた。

「あれは、いつなんどきでも人助けできるように、倒れているおばあさんとかをかついで病院に連れて行くために動きやすい格好なんだよ」

「そうかな」

 小さくふたりで笑った。

 そして真名子先生ならきっとこう言う。

「カッコ悪くてもいいんだよ。生きていれば。究極の目的は生きることなんだ」

 瑠子は小さくうなずいて、カバンを開いてハンドタオルを取り出して、涙をぬぐった。そしてまたハンドタオルをきちんと四つ折りにして、カバンにしまった。

 それを見ながら、瑠子さんは、やっぱり瑠子さんだって、思った。


 頭のかたすみに、小さな光が見えた。

「ねえ、瑠子さん。イジメ救助隊員として困っている人を助けることができて、さらに瑠子さんが自分を許せる方法……ひとつ考えたんだけど、みんなにも相談してみなくちゃならないから、だから、月曜に、サバイバル教室で話そうと思うんだけどいいかな」

 瑠子がうなずく。

「あたしも、みんなに話したい」

 瑠子は約束をやぶらない。


 ぼくと瑠子は、同時に立ち上がった。

 一瞬目がくらっとした。

 さっきまでと同じく、図書館の屋上にいるのに、全然違う場所に立っているみたいに思えた。

 振り向くと、西の空にオレンジ色の夕日が見えた。見下ろす町並みも、あたたかいオレンジ色に染まっている。この景色はこんなにキレイだったっけ。

 その瞬間気づいた。変わったのはぼくだ。昨日までのぼくは、ウソでできていた。だけど、今は本当のぼくのことを、瑠子が知っている。瑠子の本当もぼくが知っている。


 月曜日の朝。いつもより早く目がさめた。先週までの自分とは違う。空気も気持ちも違う。

 駅の階段を駆け上がり、そのまま、サバイバル教室のある文化センターへ走った。

 勢いよくドアを開ける。

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