第5章 告白

第14話 救急車で病院に

 文化センターの入り口に、救急車が止まった。救急隊員の人は、詩季を抱えた真名子先生の元に駆け寄った。

「患者さんですね」

 瑠子が、詩季の名前も年齢も正確に伝えてくれていた。

 救急車からストレッチャーが運ばれてくる。

 真名子先生が、詩季をストレッチャーに寝かせた。救急隊員の人が手際よくベルトをしめながら聞いた。

「苦しくありませんか」

 詩季は顔をゆがめて、辺りを見回した。目は見えているけれど、よく聞こえていないみたいだ。ぼくは、体を乗りだして詩季に、ベルトをしめるジェスチャーで話しかけた。

「きつくない? 大丈夫?」

 詩季がうなずいた。ぼくは救急隊員の人に伝えた。

「耳が聞こえにくいみたいなんです。前からです」

 真名子先生がうなずく。

「担任のおれと、この子が一緒に行きます。保護者にも連絡済みです」


 ぼくは、真名子先生と一緒に救急車に乗り込んだ。

 真名子先生は、隊員の人に、あらためて詩季の血液型や今日の様子を話している。

「飲んでいる薬はありますか?」

 隊員の人の質問に、先生はメモを見ながらこたえていた。

 詩季が目線で何かを探している。苦しそうだ。救急車の中はずっとサイレンが聞こえている。

 ぼくは、ポケットから、さっき拾ったイヤホンを出した。

 詩季はイヤホンを手ににぎりしめて、少しだけ微笑んだ。


 救急車が病院についた。詩季が診察室に運ばれていく。

 平日の午前中だから、待合室には、診察を待つ人がたくさんいる。

 真名子先生とぼくは、少しはなれた廊下のイスに座った。

 頭の中にまだ救急車のサイレンの音が鳴っているような気がする。今までサイレンの音なんて、どこで聞いてもなんとも思わなかったけれど、もう一生聞きたくない。

 そっと先生の顔を見上げる。

「光太郎、ありがとうな」

「ぼく、何も」

「イヤホンをひろってくれただろう。詩季の大事なものだからな」

 ふいに、こみあげてきて、ぐっと歯を食いしばった。詩季に元気になってほしい。また「赤レンジャー、ださっ」って言って欲しい。


「詩季は大丈夫だ」

 先生の言葉に、ぼくはすかさず聞き直した。

「本当に本当に大丈夫ですよね?」

「ああ、大丈夫だ。詩季は今、サバイバルしてるんだ」

 サバイバル……今まで何度も何度も聞いたその言葉が、とてつもなく強く体の奥底に響いた。

「なあ、光太郎。これまですべてがサバイバルだっていう話をしてきただろう。病気の治療もそうだ。さっきおれが、詩季の血液型や飲んでる薬を伝えただろう。もし、それがウソだったらどうなる?」

「え?」

 ぼくがあんまりおどろいた顔をしたせいか、先生は苦笑して、手をふった。

「ちがうちがう、ちゃんと本当のことを伝えたよ。でもな」先生が真顔になった。

「病院の先生にウソを言ってしまうことがあるかもしれないよ。たとえば、薬を飲むのを忘れたのに、ちゃんと飲みました、って」

「あ、それはあるかも」

 真名子先生がうなずく。

「薬飲みましたってウソ言っておけば、なんで飲み忘れたんですかって言われなくてすむ。その場をやりすごすためのウソもサバイバルの道具だ」


 ドキッとした。先生が何を言おうとしているのか見えてきた。

「でもな、お医者さんは、薬が効いているかどうかで、量を増やしたり減らしたりするんだよ。ちゃんと飲んでるはずなのに効いてなかったら、薬を増やしたり、違う治療になるかもしれない」

「ウソは、いけないですよね……」

 恐る恐る先生の顔を見上げる。真名子先生は、優しい微笑みをうかべていた。

「ウソが守ってくれることもある。イジメるヤツや、こわい先生や親から、ウソついて逃げてもいい。いつでも正直でいることが正しいとは限らない。動物だって生きるためにウソをつくんだよ」

「え? 動物が?」

「ああ、言葉をしゃべれない動物のウソは、わざと間違ったニセ情報を発信することだよ。ほら理科の授業で擬態を、調べたろう?」

 毒のあるハチのように見せかける毒のない虫、鳥に食べられないように蛇のような形をしている幼虫がいる。カッコウは別の鳥の巣に卵を産む。怪我したフリをして、敵を巣から遠ざけようとする鳥もいる。

「もっとすごいやつもいるぞ。イカは体の色や模様を変えて女装するんだ。体の半分をメス、半分をオスの模様にして、カッコいいオス模様の側で、メスにアタックするんだ。反対側はメス模様だから、ほかのオスからは、女子が仲良くしてるように見えるだろ」

「へえ、ほんとに? そんなことあるんだ!」


 ぼくが笑ったのを見て、先生もリラックスした表情になった。

「動物だってこんなに工夫してるんだからな。人間だって生きていくために、使えるものは何でも使っていこうな。イジメ相談掲示板に書かれてたウソつきのズルい卑怯者なんて言葉、気にしなくていいぞ」

「でも! あれは」

 思わず言いかけて、口をつぐんだ。

 真名子先生がぼくの肩にそっと手を置いた。

「分かってるよ。光太郎がそうじゃないってこと。でもな、人はウソをつく生き物だ。そしてな」

 先生がふと真顔になった。

「ウソは使い方を気をつけなきゃいけない。敵に対しては強力な武器になるが、自分を傷つける毒にもなる」

 ぼくは、だまってうなずいた。

「なあ、光太郎。サバイバルしていくのに、強くなることは大事だけれど、どんなに強くても人はひとりでは生きていけない。人と人はいろんなもので結びついている。愛で結ばれる関係もある。これから仕事をするようになったら法律やお金でのつながりもできる。そして、なにより大事にしなくちゃらならないのは、仲間だ。じゃあ仲間を結びつけるものは何だと思う?」

 法律でも愛でもお金でもないもの。


 先生が、ほほえんだ。

「信頼、だよ。お互いを信じる気持ち。仲間は、ただ信頼だけでつながっているんだ。どんなときも、何があっても、『あいつを信じる』っていう気持ち。それが友達だ。信頼っていうのは一朝一夕にはできない。何ヶ月も何年もかけて、少しずつコツコツと積み重ねて作られていくものなんだよ。作るのはものすごく時間がかかる。でも壊れるのは一瞬だ。たったひとつのあやまちで壊れてしまう」

 先生の言葉が胸に深く響いた。

「光太郎。きみは分かってる。信頼の大切さを。だから壊れた信頼を取り戻すこともできるはずだ」


 診察室のドアが開いて、看護師さんが出てきた。笑みを浮かべている。

 真名子先生が立ち上がって、看護師さんと話している。

 去って行く看護師さんに深く頭を下げてから、真名子先生がふりむいた。

「詩季は点滴して、今は落ちついて眠ってる。検査で異常はなかった。ここ最近、工事の音がうるさかったからな。ストレスもあったみたいだ。週末ゆっくり休めば大丈夫だろうって」

 先生の言葉に、体の力が一気に抜けた。

「よかった……」

「ああ。おれは詩季の家族が来るまでここにいるから、光太郎はサバイバル教室にもどって、みんなに話してきてくれるか? 今日の授業はこれで終わりとする。よろしく頼む」

 先生が自分を信じてくれているのを感じた。その気持ちにこたえなければ、と思った。

「はい! 伝えてきます」

 先生はタクシーで帰っていいと言ったけれど、ぼくは首を振った。

「この病院には、電車で来たことあるから、大丈夫です!」


 6年生になって、お腹と頭が痛くなって学校に行けなくなってから、お母さんと一緒にこの病院に来た。検査をしても全然原因が分からなくて、何の役にもたたない無駄な時間だったと思ったけれど、今、役に立った。

 先生から電車賃だけ受け取って、電車をのりついで、サバイバル教室に戻った。

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